白河印地党について~その② 白河印地党の正体
何故に白河に、印地の党ができたのだろうか?実はよく分かっていない。以下は個人的な見解になるのだが、白河には平安期、法勝寺を代表とする六勝寺が建てられていた。200年余りで廃れてしまい、今は跡形も残っていないが、白河期に建てられたこれらの寺は、国王の氏寺としての位置づけで格式も高かった。こうした白河の地に、神人を母体とする印地打ちたちが生まれたのは必然であったのかもしれない。 では、彼らは何をして食べていたのか?これもよく分かっていない。当然、白河には田畑があり、農民たちが住んでいた。だがこれら「きちんとした」自営の農民たちが、印地の党を形成していたとは思えない。本百姓や脇百姓ではない、下人層だ…
2022/09/13 11:07