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<丹波亀山城>の”城門”を巡るー”御殿門”や”明智門”の他に城門と思われる城門が移築されている
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<伊賀上野城>の”城門”を巡る-藤堂家の伊賀国居城、立派な東西大手門があったが現在は白鳳門が代用
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<久居陣屋>の”城門”を巡る-藤堂高通が津藩から5万石を分与、久居藤堂家菩提寺の長屋門形式の山門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<津城>の”城門”を巡る-城内に城門はないが、西の丸跡内に藩校の”入徳門”が現存移築
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
四国に大きな足跡を残した藤堂高虎像です。戦国時代、黒田、加藤清正に並び築城三名人と言われるそうです。主君も浅井、豊臣、徳川に仕えた戦国大名です。最終的には津藩の藩主になります。外様大名でしたが、家康の臨終にも立ち会うほど信頼を受けました。藤堂高虎は190センチ近くの大男と伝えられています。この人物、調べれば調べる程興味の湧く人物でした。過去の投稿記事です。宇和島城日本100名城現存天守閣-リタイアじーじの徒然絵日記高知城、松山城に続き宇和島城に行きました。これまた、現存天守閣重要文化財でした。麓からは天守は見えず、山の林を抜けて天守に辿り着きました。周囲の景観を含めて、と...gooblog今治城のお堀-リタイアじーじの徒然絵日記今治城のお堀は海水です。瀬戸内海の水を引き込んでお堀としています。だから干満...今治城天守閣と藤堂高虎
大洲城の天守閣は木造再建で木造の暖かさがありました。櫓は4つあり現存で重要文化財でした。4っの櫓と天守閣がとても調和が良く美しい姿をしていました。ここも藤堂高虎の手が入っていました。寅さんの寅次郎と殿様においても、殿様の名前は藤堂でした。四国のこの辺りでは藤堂高虎の足跡がしっかり残っていました。過去の投稿記事です。宇和島城日本100名城現存天守閣-リタイアじーじの徒然絵日記高知城、松山城に続き宇和島城に行きました。これまた、現存天守閣重要文化財でした。麓からは天守は見えず、山の林を抜けて天守に辿り着きました。周囲の景観を含めて、と...gooblog四国城巡り今治城日本100名城-リタイアじーじの徒然絵日記やっと暑さも凌げるようになり、四国にお城巡りに行って来ました。小生の場合、ミーハーで天守閣があるのを...大洲城日本100名城
紅葉のベストシーズンに現存天守を巡る四国観光旅行に行ってきた(その7)
宇和島城 宿泊したホテルの窓からも見えました 現存天守を巡る四国観光旅行3日目の予定はこうだ。 午前中に宇和島城見学 普通列車で宇和島を12:18に出発し、14:27に窪川着 窪川駅周辺観光 観光列車の「時代の夜明けのものがたり」で窪川を15:13に出発 17:53に高知到着後、高知市内に宿泊 本日のメインイベントは、現存天守の宇和島城の見学と観光列車「時代の夜明けのものがたり」への乗車となります。 宿泊ホテルのスーパーホテル宇和島駅前を出発し、宇和島城へ・・・・と行きたいところだったが、時間がたっぷりあったのでその前に少しだけ寄り道。 宇和島城から少し歩いたところに、天赦園という庭園がある。…
<名張陣屋> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-名張藤堂家邸として奥向きが一部現存
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
「どうする家康」の最終回で、小栗旬さんが天海役でサプライズゲスト出演をされたので、今日は天海中心の記事をアップします。1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言。 天海は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内に多くの伽藍や子院が建立しました。上野の寛永寺は、天台宗関東総本山の寺...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
一方、5月2日、豊臣軍は、河内口から迫る、徳川軍に対して、大坂城の東方、大部隊の機動には、適さない、低湿地帯で、迎撃することにし、木村重成の兵6,000が、…
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「その1」のつづきです。津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。 写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。藤堂高虎が築いた櫓とは似...
藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その3 <高虎像・西の丸・高山神社>
「その2」のつづきです。津城本丸跡の一角に、藤堂高虎の騎馬像があります。 藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に...
前稿で藤堂高虎が築いた伊賀上野城を歩きましたが、同時進行で高虎が伊勢国に築いた城が、現在の三重県津市にある津城です。高虎は関ヶ原の戦い後の慶長13年(16...
天下一の高石垣を誇る伊賀上野城。 その4 <城代屋敷跡(筒井古城跡)>
「その3」の続きです。伊賀上野城本丸西側を制覇したので、続いて本丸東側の城代屋敷跡を歩きます。ここは藤堂高虎が改修する以前は、筒井氏の城がありました。その...
「その2」の続きです。伊賀上野城本丸に建つ天守を見て歩きましょう。 本丸南西から見た天守です。白亜の美しい天守ですが、残念ながらこの天守は、復元でも復興で...
「その1」の続きです。伊賀上野城表門を過ぎて、本丸に向かう坂を登ります。 表門跡をまっすく進んだところにある石碑です。 坂を登る途中の本丸南側下段の曲輪ら...
忍者の里として知られる伊賀国。その街の中央にある標高184mほどの丘に、江戸時代、豪壮な高石垣に守られた平山城がありました。上野城、伊賀上野城、白鳳城とも...
-つづき亀老山展望公園しまなみ海道ラストの眺望来島海峡大橋を一望できる丘の上の公園。きれいやなぁ~・・・・ しまなみ良かったなぁ・・・ 今回の旅を振り返る。展望台では、おじさんとおばさんが小さな売店をやっていて、そこで玉藻塩アイスを食べた。これが、ひじょーーに美味しい!塩アイスの上にわりにがっつり粗塩がかかってる。その塩っ辛さとアイスの甘さが混ざって最高。しまなみ海道から愛媛 今治に入って、まだ時...
お城と言えば「お堀」が付き物ですが、「今治城のお堀」は海につながっており、海水が混じっている珍しい「お堀」です 又、「棟梁」と言えば近年では良くも悪くも名を残したのは「山口達也棟梁」ですが、戦国時代においてはかの「徳川家康公」にその才能を見出された「藤堂高虎棟梁」の存在を忘れてはいけません。 そんな「今治城」に行って参りました 今治城 それほど大きくはなさそうですが、なかなかの迫力です こちらから入れるようです どういたしまして! 入場 藤堂高虎と今治城 馬の筋肉美よ 「お堀」の話に戻ります 先にも述べましたがこちらの「お堀」は海につながっているそうなので、その確認作業に入りたいと思います。 …
旅スポット紹介46~風雲!伊賀上野城~ 本編の前に我が家のプチネタ。 今日のお題は「ももた、コタツの中」。 コタツが置いてある場合、ついていようとい…
私の三重の自宅から2㎞ほど離れたところに、本丸・西の丸の一部と内堀だけしか残っていないのですが、今はお城公園となって整備されている津城跡があります。隣に市役所と図書館があるので、私はそこへ車を止めて時々お城公園内で散歩しています。 この津城は1573年頃に信長の弟の織田信包が創築して最初の藩主になったのですが、1582年に信長が本能寺で亡くなった後15万石の大名として秀吉に従っていたのですが、1594年に改易されています。 その後、主君を7度代えたということで有名な藤堂高虎が伊予の今治から移封されて津城の藩主となり、その時に津城は大改修されたようです。 藤堂高虎は、最初は浅井長政の元で足軽とな…
基本情報 城名:赤木城 城地種類:平山城 主な城主:藤堂高虎 住所:三重県熊野市 交通:JR紀勢本線「熊野市」駅から車で
「本能寺の変」(1582年)が起きる二年ほど前のこと、主君・織田信長(1534-1582年) から突如19ケ条にわたる折檻状を突きつけられて織田家を離れたという、いささか 気の毒にも感じられるエピソードを持つ織田家筆頭家老・佐久間信盛(1529-1582年)。 その信盛の従...
伊勢鉄道の短い旅を終えて、県庁所在地にしては良く云えば落ち着いた雰囲気の津駅前。ほど近い懐石料理店の暖簾をくぐる。伊勢志摩の贅沢を楽しむ店にリーズナブルなランチメニューがあった。"るみ子の酒"は、伊賀は森喜酒造の酒、注ぐ特別純米生原酒がリーデルグラスを曇らしていく。紅が鮮やかな肉に青い刻みネギを散らして“松坂牛レアステーキ”が美しい。サッと青柚子を絞って準備万端。松坂牛の旨みに青柚子の酸味がちょっぴりきいて美味しい。追いかける純米酒のすっきりした味わいが合う。さて、腹ごなしに2キロほど南へ彷徨うと津城跡、丑寅櫓が復元されている。馬上の甲冑姿は藤堂高虎公、主家を転々とした後徳川に与し、伊予今治から入城して伊勢藩主となった。伊勢の酒肴と歴史にちょっぴり齧って、夏の終わりの伊勢鉄道の旅なのだ。file-098<...一酒一肴津「るみ子の酒+松坂牛レアステーキ」
愛媛をかけた男たちの戦! 伊予の関ケ原「三津浜夜襲」を歴女が紹介
【伊予の関ケ原】徳川VS石田の関ケ原の戦いがあった頃、四国がどんな状況だったのか知っていますか?今回は愛媛をかけた織田信長・豊臣秀吉・長曾我部元親・小早川隆景・加藤嘉昭・藤堂高虎・毛利輝元などの男たちの戦について歴史好きの私がご紹介します。
築城の名手・藤堂高虎の最高傑作 今治城へ! 目の前に現れた美しい姿!今治城! 今治駅まで社長さんに送ってもらっ 築城の名手・藤堂高虎による日本三大海城の今治城。整然とスッキリ美しいお城でした。お堀が海に繋がっていて潮の満ち引きで水位が変わる、その水門も見ることができ、高虎の代表作楽しみました。
今回のお城は【紀州国】の 和歌山城 であります。 この城はかの豊臣秀吉公が天正13年(1585)紀州征伐後にその弟の秀長に命じて、築城の名手である藤堂高虎などを介し築城をしたのが起源だそうです。
今回も前回に続き【伊勢国】の 津 城 を紹介します。 場所は三重県津市で当時は安濃津城(※津城)と呼ばれていたそうです。 現在の城郭へと仕上げたのは徳川家康からの信頼が厚く築城技術には定
今回は【伊賀国】の 上野城 を紹介したいと思います。 この城の見どころはなんと言っても本丸西面の30mあると言われる超高石垣でしょう。 築城当時はまだ豊臣方の大阪城が脅威であったので、築城の名
今日のお城は【紀伊国】の 赤木城 を紹介します。 このお城を築いたのはすでに築城の名手と何度も紹介しているかの藤堂高虎公でありました。 この地は秀吉の紀州平定時から度々一向一揆が発生していたよ