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「どうする家康」の最終回で、小栗旬さんが天海役でサプライズゲスト出演をされたので、今日は天海中心の記事をアップします。1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言。 天海は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内に多くの伽藍や子院が建立しました。上野の寛永寺は、天台宗関東総本山の寺...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
一方、5月2日、豊臣軍は、河内口から迫る、徳川軍に対して、大坂城の東方、大部隊の機動には、適さない、低湿地帯で、迎撃することにし、木村重成の兵6,000が、…
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「その1」のつづきです。津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。 写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。藤堂高虎が築いた櫓とは似...
藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その3 <高虎像・西の丸・高山神社>
「その2」のつづきです。津城本丸跡の一角に、藤堂高虎の騎馬像があります。 藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に...
前稿で藤堂高虎が築いた伊賀上野城を歩きましたが、同時進行で高虎が伊勢国に築いた城が、現在の三重県津市にある津城です。高虎は関ヶ原の戦い後の慶長13年(16...
天下一の高石垣を誇る伊賀上野城。 その4 <城代屋敷跡(筒井古城跡)>
「その3」の続きです。伊賀上野城本丸西側を制覇したので、続いて本丸東側の城代屋敷跡を歩きます。ここは藤堂高虎が改修する以前は、筒井氏の城がありました。その...
「その2」の続きです。伊賀上野城本丸に建つ天守を見て歩きましょう。 本丸南西から見た天守です。白亜の美しい天守ですが、残念ながらこの天守は、復元でも復興で...
「その1」の続きです。伊賀上野城表門を過ぎて、本丸に向かう坂を登ります。 表門跡をまっすく進んだところにある石碑です。 坂を登る途中の本丸南側下段の曲輪ら...
忍者の里として知られる伊賀国。その街の中央にある標高184mほどの丘に、江戸時代、豪壮な高石垣に守られた平山城がありました。上野城、伊賀上野城、白鳳城とも...
-つづき亀老山展望公園しまなみ海道ラストの眺望来島海峡大橋を一望できる丘の上の公園。きれいやなぁ~・・・・ しまなみ良かったなぁ・・・ 今回の旅を振り返る。展望台では、おじさんとおばさんが小さな売店をやっていて、そこで玉藻塩アイスを食べた。これが、ひじょーーに美味しい!塩アイスの上にわりにがっつり粗塩がかかってる。その塩っ辛さとアイスの甘さが混ざって最高。しまなみ海道から愛媛 今治に入って、まだ時...
お城と言えば「お堀」が付き物ですが、「今治城のお堀」は海につながっており、海水が混じっている珍しい「お堀」です 又、「棟梁」と言えば近年では良くも悪くも名を残したのは「山口達也棟梁」ですが、戦国時代においてはかの「徳川家康公」にその才能を見出された「藤堂高虎棟梁」の存在を忘れてはいけません。 そんな「今治城」に行って参りました 今治城 それほど大きくはなさそうですが、なかなかの迫力です こちらから入れるようです どういたしまして! 入場 藤堂高虎と今治城 馬の筋肉美よ 「お堀」の話に戻ります 先にも述べましたがこちらの「お堀」は海につながっているそうなので、その確認作業に入りたいと思います。 …
旅スポット紹介46~風雲!伊賀上野城~ 本編の前に我が家のプチネタ。 今日のお題は「ももた、コタツの中」。 コタツが置いてある場合、ついていようとい…
私の三重の自宅から2㎞ほど離れたところに、本丸・西の丸の一部と内堀だけしか残っていないのですが、今はお城公園となって整備されている津城跡があります。隣に市役所と図書館があるので、私はそこへ車を止めて時々お城公園内で散歩しています。 この津城は1573年頃に信長の弟の織田信包が創築して最初の藩主になったのですが、1582年に信長が本能寺で亡くなった後15万石の大名として秀吉に従っていたのですが、1594年に改易されています。 その後、主君を7度代えたということで有名な藤堂高虎が伊予の今治から移封されて津城の藩主となり、その時に津城は大改修されたようです。 藤堂高虎は、最初は浅井長政の元で足軽とな…
基本情報 城名:赤木城 城地種類:平山城 主な城主:藤堂高虎 住所:三重県熊野市 交通:JR紀勢本線「熊野市」駅から車で
「本能寺の変」(1582年)が起きる二年ほど前のこと、主君・織田信長(1534-1582年) から突如19ケ条にわたる折檻状を突きつけられて織田家を離れたという、いささか 気の毒にも感じられるエピソードを持つ織田家筆頭家老・佐久間信盛(1529-1582年)。 その信盛の従...
南禅寺(なんぜんじ)水路閣は古代ローマの水道橋を思わせる 京都
水路閣 日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇り、京都五山の上におかれる別格扱いの寺です。古代ローマの水道橋を思わせる水路閣は、琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疎水の一部を構成する建物で、明治時代に造られた全長約93m、幅約4mのレンガ造りで、TVドラマや映画のロケ地としても登場することが多く、京都を代表するフォトジェニックなスポットです。 三門 三門は、高さ22mと日本最大級の高さを誇り別名「天下竜門」と呼ばれ、京都三大門の一つにも数えられています。現在の三門は、1628年に藤堂高虎が大阪夏の陣で倒れた家来の菩提を弔うために再建されそうです。急な階段を上った先、目に飛び込んでくるのは、寺院周辺の木々と京都の街並みが織りなす圧巻の景色で、歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と見得を切りました。 三門上 天授庵 ..
伊勢鉄道の短い旅を終えて、県庁所在地にしては良く云えば落ち着いた雰囲気の津駅前。ほど近い懐石料理店の暖簾をくぐる。伊勢志摩の贅沢を楽しむ店にリーズナブルなランチメニューがあった。"るみ子の酒"は、伊賀は森喜酒造の酒、注ぐ特別純米生原酒がリーデルグラスを曇らしていく。紅が鮮やかな肉に青い刻みネギを散らして“松坂牛レアステーキ”が美しい。サッと青柚子を絞って準備万端。松坂牛の旨みに青柚子の酸味がちょっぴりきいて美味しい。追いかける純米酒のすっきりした味わいが合う。さて、腹ごなしに2キロほど南へ彷徨うと津城跡、丑寅櫓が復元されている。馬上の甲冑姿は藤堂高虎公、主家を転々とした後徳川に与し、伊予今治から入城して伊勢藩主となった。伊勢の酒肴と歴史にちょっぴり齧って、夏の終わりの伊勢鉄道の旅なのだ。file-098<...一酒一肴津「るみ子の酒+松坂牛レアステーキ」
愛媛をかけた男たちの戦! 伊予の関ケ原「三津浜夜襲」を歴女が紹介
【伊予の関ケ原】徳川VS石田の関ケ原の戦いがあった頃、四国がどんな状況だったのか知っていますか?今回は愛媛をかけた織田信長・豊臣秀吉・長曾我部元親・小早川隆景・加藤嘉昭・藤堂高虎・毛利輝元などの男たちの戦について歴史好きの私がご紹介します。
築城の名手・藤堂高虎の最高傑作 今治城へ! 目の前に現れた美しい姿!今治城! 今治駅まで社長さんに送ってもらっ 築城の名手・藤堂高虎による日本三大海城の今治城。整然とスッキリ美しいお城でした。お堀が海に繋がっていて潮の満ち引きで水位が変わる、その水門も見ることができ、高虎の代表作楽しみました。
今回のお城は【紀州国】の 和歌山城 であります。 この城はかの豊臣秀吉公が天正13年(1585)紀州征伐後にその弟の秀長に命じて、築城の名手である藤堂高虎などを介し築城をしたのが起源だそうです。
今回も前回に続き【伊勢国】の 津 城 を紹介します。 場所は三重県津市で当時は安濃津城(※津城)と呼ばれていたそうです。 現在の城郭へと仕上げたのは徳川家康からの信頼が厚く築城技術には定
今回は【伊賀国】の 上野城 を紹介したいと思います。 この城の見どころはなんと言っても本丸西面の30mあると言われる超高石垣でしょう。 築城当時はまだ豊臣方の大阪城が脅威であったので、築城の名
今日のお城は【紀伊国】の 赤木城 を紹介します。 このお城を築いたのはすでに築城の名手と何度も紹介しているかの藤堂高虎公でありました。 この地は秀吉の紀州平定時から度々一向一揆が発生していたよ