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【どうする家康】#47 「乱世の亡霊の王」を育てた拗らせ茶々、過ちに気づくも遅かった
罪なのは、美しき「憧れの君」松潤家康だった NHK大河ドラマ「どうする家康」ラスト前の第47回「乱世の亡霊」が12/10に放送された。前回は冬の陣、今回は夏の陣かと思ったら、講和と夏の陣に向かうまでの話だった。となると、次の最終回は夏の陣と家康の終活か。 まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。 家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初(鈴木杏)と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、…
秀吉の元へ保護された三姉妹のその後はどのような人生を歩んだのか??
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長浜の浅井歴史民俗資料館は、浅井三代の歴史と浅井三姉妹の波乱の人生を、ゆかりある武具や資料、人形ジオラマなどで展示されています。お江誕生人形ジオラマ 小谷城落城人形ジオラマ 実宰院人形ジオラマ小谷城址ジオラマまた、江戸時代後期から明治時代における浅井の庄屋・養蚕農家・鍛冶屋なども再現されています。この資料館の背後に見える大依山は、元亀元年(1570)6月28に日の姉川合戦にのぞむ浅井・朝倉軍が合戦に前に一...
小谷城跡から小谷寺へと自転車を進めて行きました。小谷寺は、小谷山の麓にあり、浅井家の祈願寺としてお市の方や浅井三姉妹もたびたび詣でたと伝わります。小谷落城の際、本尊以外は焼失してしまいましたが、後に長浜城主となった豊臣秀吉により再建されました。如意輪観音像や両界曼荼羅双幅は長浜市指定文化財となっています。 小谷寺は、今から約1280年前、聖武天皇の神亀5年(728)、加賀白山の開祖・泰澄上人が、白山から伊吹...
長浜の実宰院は、浅井長政の姉にあたる阿久姫が昌安見久尼と称して出家した庵でしたが、小谷山実宰院と改称され、宗派も曹洞宗に改宗し、現在に至っています。小谷城落城の際、長政は姉である見久尼に浅井三姉妹と母お市の方を匿ってもらうよう依頼し、三姉妹とお市の方はともに城を脱出し、実宰院にて匿われたとされています。実宰院と昌安見久尼の由来本寺は、鎌倉以前の創建といわれ、実才庵と称し天台宗であったが、その後、小...
長浜市にある曹洞宗の徳勝寺は、小谷城主・浅井氏の菩提寺で、元は応永年間(1394年~1428年)東浅井郡上山田村にあったの医王寺という寺でした。永正15年(1518)小谷城主であった浅井亮政が城下の清水谷に移し、浅井家の菩提寺としました。小谷城落城により、浅井氏が滅亡し、かわって湖北を治めることになった豊臣秀吉が、居城を小谷から長浜に移した際に、文禄4年(1595)、当寺も長浜城内に移築され、亮政の法号に因んで、「徳勝...
■「琵琶湖クルーズ」日本三大弁財天『竹生島』(滋賀県長浜市)
目次 1 北琵琶湖の雄「浅井長政」が大切にしてきた島 2 島までは35分の琵琶湖クルーズ 3 島全体が神仏の宿る「聖域」 4 大坂城の遺構が竹生島宝厳寺に移築された 5 「かわらけ投げ」に願をかける 1 北琵琶湖の雄「浅井長政」が大切にしてきた島 (写真
私の三重の自宅から2㎞ほど離れたところに、本丸・西の丸の一部と内堀だけしか残っていないのですが、今はお城公園となって整備されている津城跡があります。隣に市役所と図書館があるので、私はそこへ車を止めて時々お城公園内で散歩しています。 この津城は1573年頃に信長の弟の織田信包が創築して最初の藩主になったのですが、1582年に信長が本能寺で亡くなった後15万石の大名として秀吉に従っていたのですが、1594年に改易されています。 その後、主君を7度代えたということで有名な藤堂高虎が伊予の今治から移封されて津城の藩主となり、その時に津城は大改修されたようです。 藤堂高虎は、最初は浅井長政の元で足軽とな…
小谷城登城の代わりに、小谷城戦国歴史資料館を見学することにしました。小谷城戦国歴史資料館は、史跡小谷城跡内にある「戦国大名浅井氏と小谷城」をテーマに資料館です。浅井長政やお市の方、織田信長の画像(複製)や小谷城跡絵図、小谷城から出土した遺物など浅井氏と小谷城の資料が展示されています。小谷城の模型館内の資料を見たり、資料館の方の説明を聞いているうちに、小谷城に登った気分になれました(^_^;にほんブログ...
浅井長政、お市の方、浅井三姉妹(茶々、初、江)の悲劇の舞台として語られる小谷城は、長浜市の小谷山(495.1m)にあり、浅井家が3代にわたって居城としていました。堅固な山城として知られ、日本五大山城のひとつとして数えられています。小谷城址の石碑浅井長政は織田信長の妹・お市の方を妻に迎えて織田氏と同盟して全盛を築きましたが、信長と越前国の朝倉義景の対立が深まると、朝倉氏に与したことから、織田勢との武力対立...
4月2日の放送から、浅井長政が登場するらしいので、それに合わせて、浅井長政と家族の像をアップします。長浜市浅井支所の向かいに「家族(長政とお市)」の像があります。浅井長政と妻のお市の方、そして彼らの子どもたちの浅井三姉妹(茶々、初、江)と嫡男の万福丸お市の方が指差している方向は、以前は小谷山だったそうですが、来場者に背を向けることを避けるため、今は琵琶湖の方を向いているそうです。家族(長政とお市)町名...