メインカテゴリーを選択しなおす
北海道で農耕が行われていた擦文時代。グリーンランドでも農耕が行われました。古気候学では、中世温暖期と呼ばれます。……もう少し、正確に申し上げますと。擦文時代の北海道に成立していたのは、農耕社会ではなく園耕社会でしたけれどね。園耕民とは、狩猟民と農耕民の狭間にいる人達です。狩猟・漁撈・採集と組み合わせて、農耕も取り入れている。巷でよく言われる、「縄文農耕論」がそれなんですよ。後晩期の縄文人は、農耕民で...
今日は 道の駅 オーロラタウン93りくべつ の紹介です。 この場所は、道東の『日本一寒い町』と言われる陸別町の国道242号沿いに位置しております。 これは2年前に行った北海道の旅の中で
アイヌを介して行われた山丹交易。樺太を経由し、大陸(清)から、錦やガラス玉が齎されました。ですが、当時のアイヌは読み書き算盤、一切できません。交易相手の山丹人に対し、多額の負債を抱えていました。19世紀初頭、蝦夷地が幕府直轄領となった際、松田伝十郎が、山丹交易の改革を行います。アイヌの負債を、幕府が肩代わりしてくれたんです。※引用(漢数字→アラビア数字) サンタンやスメレンクルたちの白主の日本側交易...
平安時代の行政区分を見ると、北海道(蝦夷地)がありません。では、北海道は外国だったのか? それも違います。北海道に「国」はなかったので。※境界の日本史(p136-137)/森先一貴・近江俊秀/朝日選書983/2019.4.25……本の見開きページをスキャンしてアップしました。検索すれば、ウィキなどで綺麗な画像がヒットしますから、地図の詳細は、そちらでご確認頂ければと思います(_ _)さて、上図は律令制に基いた行政区分、...
[夏の七ヶ浜町ドライブ #19] 日本武尊にまつわる冷鉱泉という場所
「湊浜薬師堂(みなとはまやくしどう)」のすぐ近くにある「冷鉱泉(れいこうせん)」という場所です。ずっと前にもこのブログに画像をのせたことがありますが、改めて七ヶ浜町をじっくり巡るこの機会にまた訪れてみました。現地の案内板によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷征伐の時に発見したと伝わる冷鉱泉なんだとか。冷鉱泉というのは、僕もちゃんと意味を知らないんですが、ものすごくざっくり言うと、温泉みたいなものだけど温度が低いやつといったかんじのようです。 たぶん。この場所は、道路沿いにある岩壁の低いところに、ちょっとした浅い洞窟みたいなへっこんだ場所があって、そこの地面に水溜まりがある、といった場所です。見ただけじゃよく分からないけど、たぶんここにある水溜まりが冷鉱泉なのかな。特に観光スポットじゃないんですが、日本武尊に興味にある人は、一応それにまつわる伝説がある場所として何かのついでに立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。
今回は道南にある 松前城【蝦夷地】の紹介です。 今回の北海道の旅では念願であった日本最北の城であるこの松前城(※別名:福山城)を見ることができました。 天守は元国宝であったのですが、昭和24年
今日は幕末の軍艦である 開陽丸【蝦夷地】の紹介です。 コレも今回の北海道の旅の一コマで、それは江差にある海の駅 開陽丸にて復元されたものを見ることが出来るのです。 また実際に座礁して沈没した場所