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日本に漢字が伝来したことを示す最古の物的証拠は、福岡県の志賀島(しかのしま)から出土した「漢委奴国王」と書かれた金印だと思われます。これは、西暦57年に後漢の光武帝が倭奴国の使者に与えたとされるもので、古代の日本語と直接関係はありませんが、日本に関する非常に古い情報なので、このブログで取り上げてみることにしました。まず、『大日本全史上巻』(大森金五郎:著、冨山房:1921年刊)という本に掲載されている金印の図をご覧ください。【志賀島の金印】(『大日本全史上巻』より)この図の上部は、金印を横から見た図で、下部が印影になりますが、これを見ると、最後の「国王」は読めるものの、残りの部分は判読が困難です。この書体は「篆書」(てんしょ)とよばれるそうですが、『新撰篆書字典』(安本春湖:著、春湖書屋:1924刊)とい...志賀島の金印
2023年5月27日(土)「九大筑紫キャンパス開放!銀店町商店街満喫ウォーク」に参加。 真夏を思わせる暑さで、くたくた。 奴国の丘歴史公園、資料館はおすすめ。
2日目は、金印を見に、 福岡市博物館に行きました。 ポンペイ展で福岡に行くなら他に 何か見どころあるかな? と、ホリホリバイト仲間に聞いたら、 金印❣️と、教えてもらったから。 昔、歴史の時間に習った、 漢委奴国王(かんのなのわのこくおう)の印です。 もう建物が立派でビックリ‼️ 前日はあれだけ写真撮ったのに、 こちらは疲れもあって、 ほとんど撮ってなかったです。 金印は、 入ってすぐのコーナーで、 ドーンと、置いてありました! こんなのが、畑?田んぼ?から見つかったら めっちゃ驚いたことでしょうね。 義父が、金印の解説本を買ってました。 ミュージアムショップにいろいろありましたが、 私は前日…
今回は伊都国と金印の研究です。中国から金印を授かったのは①西暦57年 後漢へ朝貢し、光武帝(後漢帝56~57年)から金印「漢委奴国王」を授かる。②西暦239年 卑弥呼が魏へ朝貢し明帝(魏帝237~239年)「親魏倭王」の称号と金印を授かる。の2つを授かったと中