プロフィールPROFILE

sinfuさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
邪馬台国の研究
ブログURL
http://yamatai.blog.jp/
ブログ紹介文
邪馬台国の場所が、日本のどのあたりに有ったのかを、 私の解釈で、ひも解いて行きたいと思います。
更新頻度(1年)

3回 / 365日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2018/05/09

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、sinfuさんの読者になりませんか?

ハンドル名
sinfuさん
ブログタイトル
邪馬台国の研究
更新頻度
3回 / 365日(平均0.1回/週)
読者になる
邪馬台国の研究

sinfuさんの新着記事

1件〜30件

  • 遂に判明 「邪馬台国は99.9%九州にあった」

    それでは邪馬台国は九州のどのあたりにあると魏志倭人伝には書かれているのかの検証をしていきたいと思います。邪馬台国は九州のどこにあったのかと魏志倭人伝に書かれているのかを今まで説明してきた、光正解釈説をベースに考えて行きたいと思います。それでは魏志倭人伝(

  • ブログ 邪馬台国の研究

    私はNHKラジオの中国語講座を聞きはじめたのをきっかけに、今年令和2年(2020)で中国語学習歴18年目になります。私が参加している某中国語サークルで教えてくれてる老師が去年4月から一年間中国に行って ( 帰えって ) しまい、サークルの存続がどうなるか心配でしたが、そ

  • 私の”生口”の解釈

    一般に”生口”の解釈は諸説あるようですがどうして諸説あるのかというと、”生口”という単語が今の中国語にないので解釈者の勝手な解釈で文面の流れに差し支えない諸説を出しているからでどれが正しいかは今の時代では答えが出ません。というのが現状の様なので、それなら

  • 邪馬台国の研究 遂に判明(末盧国=博多、伊都国=日田)

    伊都国は日田。末盧国は博多。九州の街道を調べていると博多から日田に行く日田街道なるものがあるということを発見しました。日田街道は博多から甘木→朝倉→日田に着きます。この日田街道は、また日田往還とも呼ばれてます。いわゆるこの日田往還は日田から博多、久留米、

  • 邪馬台国の研究 其25の話 (伊都國が何処か・・・)

    私はこれまで、このブログ上で公明正大(中国では光明正大)に魏志倭人伝(原文)を解釈して来まして、自分的には私の解釈(光正解釈説)で魏志倭人伝に記述ある国々は、濃い霧から薄っすら光が漏れてきて、あの国はこのあたり、この国はあのあたりと、朧気ながらも見えて来

  • 邪馬台国の研究 其24の話(末盧國が何処か・・・)

    魏志倭人伝に記載されている倭国の對海國、一大國、末盧國、の国から先ずは推測していきます。とくに末盧國に関しては諸説あります。倭人在帶方東南大海之中 從郡至倭循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對海國 又南渡一海千餘里名日瀚海

  • 邪馬台国の研究 其23の話(場所探し開始)

    魏志倭人伝に書かれている倭国とは?私(sinfu)がこれまで魏志倭人伝(原文)を読んで、自分なりに解釈した魏志倭人伝を読む限り、私がイメージとして思い浮かぶのは、中国の使者が書いた魏志倭人伝(原文)に記載している倭(国)の国々の所在地は、九州地方に全て位置して

  • 邪馬台国の研究 其22の話(奴国は2つ有った?)

    奴國に対してのもう一つの考え方以前にも書いたように、魏志倭人伝は邪馬台国への道程を書いたものではない。じゃあ、なんで国々を次々に名を挙げて説明してるのは何のため?魏志倭人伝をよく読んでみると倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使

  • 邪馬台国の研究 其21の話(奴国Aと奴国B)

    奴国(A) と奴国(B)について倭人在帶方東南大海之中 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里始度一海 千餘里 至對海國 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 又渡一海 千餘里 至末盧國 東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴國(A) 

  • 邪馬台国の研究 其20の話 〔年已長大)

    (卑弥呼)年已長大広く一般に解釈されている説はもうすでに年老いてるすでに年寄りだすでに年取ってるのように解釈されていて私も、 テレビ·雑誌·書籍等で多くはそのように説明されていたので いままで卑弥呼の年齢はすでに高齢だと思っていました。しかし 中国人にこの箇所

  • 邪馬台国の研究 (到伊都国と至伊都国)

    到と至について東南陸行 五百里 到伊都國 東南至奴国 百里 東行至不彌國 百里  南至投馬國 水行二十日。南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月この箇所で気になるのが東南陸行 五百里 到伊都國とここだけ到の字が使われていて、その他の箇所はすべて至の文

  • 邪馬台国の研究 (女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種)

     「光正解釈説」より導き出された情報に、さらに、魏志倭人伝に記載されている戸数情報を記入すると、① 末盧國(4,000戸余り)から東南へ五百里歩いて行く  と  伊都國(1,000戸余り)に到る。② 末盧國から東南へ百里で  奴國 (20,000戸余り)へ至る。③ 末盧

  • 邪馬台国の研究 私の解釈 (要約)

    [光正解釈説要点]いままで書いてきた「私の解釈」の要点だけをまとめて、箇条書きにすると① 末盧國から東南へ五百里歩いて行くと 伊都國に到る。② 末盧國から東南へ百里で奴國方面に至る。③ 末盧國から東へ百里で不彌國方面に至る。④ 末盧國から南へ水行二十日で投

カテゴリー一覧
商用