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渡内日枝神社(→神奈川県藤沢市渡内3丁目)は、平安時代前期の923(延長元)年に「相模国の賊を討伐せよ」という醍醐天皇(だいごてんのう)の勅命を受け相模国鎌倉郡村岡に下向した平良文(たいらのよしふみ→下総千葉氏の祖で村岡五郎と称した)が、屋敷地裏山の宮山に大山咋神(おおやまくいのかみ)を勧請して鎮神として祀ったことから始まります。千葉神社(→千葉県千葉市中央区院内1丁目)の碑文によると、平将門の乱(→939年~941年)で、...
無量山 慈眼寺(→神奈川県藤沢市渡内)は、小田原北条氏の2代北条氏綱(ほうじょううじつな)の信頼を受けて一門に迎えられた北条綱成(ほうじょうつなしげ→玉縄城主)が、僧の韓嶺を開山に迎え、天文年間(→1532年~1555年)に開基したと伝わる曹洞宗寺院です。この場所は、平将門の乱(→939年~941年)の平定にも参加した村岡五郎こと平良文(たいらのよしふみ→下総千葉氏の祖)の邸宅跡にあるといいます。江戸時代には本山・末寺の制により...
さてさて…大河ドラマの鎌倉殿の13人はいよいよ佳境になるのかなというところですが… ところで…幕府御家人の中枢をなす13人は軍事力も経済力も強大だったからVI…
光明山 徳水院 大善寺(→神奈川県横浜市都筑区南山田2丁目)は江戸時代前期に本誉善達によって創建された浄土宗寺院です。江戸時代には徳川将軍家の菩提寺の1つである三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の末寺でした。『新編武蔵風土記稿』には室町時代の「永享」の年号が入った古碑があると記されていますので、大善寺が創建される以前にも寺院があったことが窺えます。寺紋には下総千葉氏の戦国期の家紋である「三日月...
久しぶりに稲毛浅間神社(→千葉県千葉市稲毛区稲毛)を訪問しました。稲毛浅間神社は、平安時代前記の808(大同8)年に富士山の御神体とされる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神として分霊した神社で、中世の豪族千葉氏の崇敬の厚い神社としても有名です。千葉氏の家紋の1つである九曜紋をかたどった神紋と社殿からも、千葉氏との関係性が窺えます。鎌倉時代を通して下総国守護を務めた有力御家人千葉氏も、鎌倉時代後期から南北朝...
薗生神社(そんのうじんじゃ)は千葉県千葉市園生町にある旧園生村の総鎮守で、創建年は不詳ながら現在も園生総鎮守として地元の崇敬を集めています。薗生神社は妙見社の本宮と拝殿がかなり離れた場所にあるのが特徴で、祭神は17柱も祀っています。今回訪問したのは本宮のみです。旧園生村は本宮近くの金蔵院付近にあり、中世には金蔵院裏山に千葉氏が治めていた園生城(そんのうじょう)がありました。薗生神社本宮の主祭神の天之御中...