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本丸御殿だけじゃない!川越城ゆかりのスポット5選【埼玉・川越市】
川越城の城下町だった川越には、東日本では唯一現存の本丸御殿が残ります。本丸御殿と、御殿見学の際に立ち寄りたい、川越城ゆかりのスポットを紹介します。
鎌倉市扇ガ谷にある英勝寺は、鎌倉唯一の尼寺です。寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家の家宰であった太田道灌邸跡とされています。太田道灌4代の太田康資の娘とされるお勝の方は、徳川家康の側室です。家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めました。家康の死後は落飾して英勝院と称し、3代将軍・家光より扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建しました。第一世庵主は頼房の娘・小良姫(清因尼)で、以降は水戸徳川家のお姫さまが庵主を務めました。そのため水戸様の尼寺と称され、法要に際しては徳川将軍菩提寺の増上寺などから僧が派遣されました。1923年の関東大震災で倒壊した山門は市内の他所に移されていましたが、2011(平成23)年に境内の元の場所に再建されました...家康の側室・英勝院ゆかりの英勝寺
現在の江戸城の前身は、 1457年 に 麹町台地の東端に太田道灌 が築いた 平山城 です。 1590年 に 徳川家康 が江戸城に入城してからは、徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が行われました。3代・徳川家光に至る数回の工事で完成し、その後、数度の火災と改修を繰り返しましたが、本丸は幕末に焼失。明治になって皇居となり、西の丸跡に宮殿が建てられました。現存建造物としては、本丸の富士見櫓、宝蔵、...
岩槻人形博物館&ヨーロッパ野菜カフェで、のんびりな週末を!【埼玉・さいたま市】
さいたま市の岩槻人形博物館は、日本初の人形専門の公立博物館。歴史紹介や展示を通じ人形文化に触れられます。ヨーロッパ野菜メインのカフェが敷地内にありランチ楽しめます。博物館で文化的にすごしヘルシーなランチを頂く。そんなゆるやかな週末の過ごし方をご紹介!
仙波日枝神社、太田道灌はここから江戸城内に分祀した【埼玉・川越市】
仙波日枝神社は喜多院隣にひっそりたたずむ神社。江戸城とゆかり深い赤坂の日枝神社は、この仙波日枝神社勧請による創建とされます。歴史や伝承を紹介しつつ、神社の見どころを紹介。
こんばんは!メグおばちゃんです。朝晩、やっと秋っぽくなりました。薄手の長袖のブラウスで本日は過ごせました。さて、10月1日(日)神奈川県伊勢原市で行われた【道灌まつり】に行ってきました。4年ぶりの開催だそうで、今年で第56回目だそうです。以前から開催されているのは知っていましたが、足を運ぶのは初めてでした。【道灌(どうかん)】といわれてもピンとこない方もいらっしゃるでしょう。江戸城を造った太田道灌さんで...
小机城(→神奈川県横浜市港北区小机町)は室町時代中期におきた永享の乱(1438年~1439年→鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教の抗争)の頃に武蔵国守護を兼ねた関東管領上杉氏によって築かれた平山城と伝わりますが、実際の築城年代は定かではありません。小机城が実際に戦争で使われた記録は、1478(文明10)年に山内上杉顕定(やまのうちうえすぎあきさだ)対して叛乱を起こした長尾景春に味方した豊嶋氏が小机城に籠もったため、扇谷上...
< 外人さんに聞かれて何もまともに答えられなかった件 > 梅雨の中休みに、友人と連れ立って上野駅からぶらぶらと、台東区、かっぱ橋道具街に行って来ました。風がそこそこ吹いている日でしたけれど、蒸しっと暑い曇天の日。 その友人の母親が腱鞘炎になってしまって、野菜の皮むきがうまく出来ないので、なんとかいうスーパーな切れ味のピーラーを買うっていうんで、付き合いで一緒に行ったんですね。情報はしっかり把握していたみたいで、目的のピーラーはすぐに見つかりました。 刃の部分が斜めになっているピーラーでしたね。チカラを必要としないんだそうです。 ただの付き添いですからね、ピーラーについては、ふううんっていう感想…
今回は、川越街道の旅の最終回、終点川越城下です。 大井宿を出ると、旧道は国道254号線から分かれて進みます。その後JR川越線、東武東上線と交錯するあたりで再び国道254号線と合流しますが、すぐに国道254号線は国道16号線とぶつかります。ここは新宿(あらじゅく)交差点と...
↑長尾景春の乱で太田道灌が攻め落とした豊島(としま)氏の居城、東京都練馬区の石神井(しゃくじい)公園に所在する、石神井城跡を探訪しました。↑概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きましたので、御参照ください。東京都指定史跡石神井城跡 所在地:練馬区石神井台1-1900-2指 定:平成23年6月9日 石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川域を中心とする現在の東京都区部北側の地域に平安時代末期から室町時代中期頃まで...
城根山 妙蓮寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、南北朝時代の1344(康永3)年に、日蓮の孫弟子にあたる越中阿闍梨朗慶(えっちゅうあじゃりろうけい)が熊井太郎忠基(→源義経の側近)の旧跡に草案を構えた所から始まる日蓮宗寺院です。その後、長禄年間(室町時代中期→1457年~1461年、8代将軍足利義政の頃)まで途絶えますが、当時の江戸谷中感応寺(→現在の護国山天王寺、東京都台東区谷中7丁目)の日耀により再興され、戦国時代の1530(...
東京都練馬区の遊園地「としまえん」の跡地に整備を進めていた「都立練馬城址じょうし公園」が開園した。2020年に閉園した「としまえん」の跡地約27ヘクタールは五つの区画に分けて整備が進められており、今回開園したのは「花のふれあいゾーン」「エントランス交流ゾーン」「川辺の散策ゾーン」の一部。平時は公園、災害時は避難所として使われる。 としまえん跡地のゾーン 6月には隣接する「にぎわいアクティビティゾーン」に「ハリー・ポッター」を題材にした都市型テーマパークがオープンする。 なぜ練馬区の練馬城址が「としまえん」だったのか 豊島氏は武蔵南部の有力豪族だった 長尾景春の乱とは 太田道灌に滅ぼされ、城は破…
↑扇谷(おうぎがやつ)上杉家の家宰として活躍した太田道灌公の斬殺事件に纏わる史蹟、神奈川県伊勢原市上粕屋1349−6に位置する「七人塚(しちにんづか)」を訪問しました。神奈川県伊勢原市は太田道灌公の地元で、霊地(墓所)が二箇所あります。一つは「首塚のある大慈寺」で、もう一つは「胴塚のある洞昌院(とうしょういん)」ですが・・・↑七人塚は、胴塚のある洞昌院の直ぐ近くです。最寄駅は、小田急 小田原線の「伊勢...
↑神奈川県横浜市港北区小机(こづくえ)町789に位置する平山城、小机城に登城しました。小机城は、長尾景春の乱の際、文明10年(1478)4月10日に、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏家宰(かさい)の太田道灌公が攻め落としたことでも有名ですね。 城山の標高は42m、比高は22mと低いですが、情緒ある竹林と空堀、変化に富んだ地形で楽しい登城になりました。 城は「小机城址市民の森」として整備されており、危険な箇所は無く、初め...
↑太田道灌公が開基となった神奈川県伊勢原市上粕屋1160の曹洞宗の寺院、蟠龍山 洞昌院を訪問しました。※以下、洞昌院(とうしょういん)と、院号のみに省略させて頂きました。縁起は、洞昌院公式サイトより以下に引用させて頂きました。洞昌院は、太田左衛門大夫持資入道道灌(法名洞昌院心圓道灌、文明18年卒)を開基として、陽室照寅が開山となり、創建したといわれています。 天正19年寺領3石の御朱印状を受領、近隣に多く...
江戸川柳でたどる偉人伝(鎌倉・室町時代②)日蓮・楠木正成・新田義貞・高師直・足利尊氏・小栗判官・一休・太田道灌
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
大宮 鉄道博物館ツアー…チョットその前に小江戸・川越の街を散策しましょPart2 の巻
ここに来てやっとゆで落花生を作成!今年は去年以上に実入りがよく、個人的に満足している さくら でございます。。。m((_ _))m さて、小江戸・川越の街を散策した後はその足で川越城の方に足を延ばし・・・ちなみに川越城ですが、築城は1457年、築城主は太田道真、道灌父
「太田道灌生誕の地」越生町をレポ!道灌の墓や山吹の里で伝承を追った【埼玉】
武将・太田道灌の生誕の地、埼玉県越生町で道灌ゆかりのスポット巡り。歌道のきっかけとなった地・山吹の里歴史公園と、道灌の墓がある龍穏寺を紹介します。
辞世の句(その8)室町時代 太田道灌・足利義政・足利義輝・山崎宗鑑
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
昨晩はスエヒロ館に行った。 サガリステーキ。 サラダバーに柿があったので、迷わずおかわり。 まだサクサクなのと、少し軟らかくなっているのが程よく混ざっていて美味しかった。 そして川越まつりのつづき。 中原町、河越太郎重頼の山車。 川越市も「鎌倉殿の13人」にあやかって、さぞ盛り上がっているはず…とばかり思っていたけど、そういう感じはしなかった。 重頼も仙波二郎安家も出なかったのかな? 連雀町、道灌の山車。この辺は見物客が少なくて歩き易かったよ。 手を振ってくれた嬉しい。 川越市、猩猩(しょうじょう)の山車。 ↓大昔、こんな感じのビジュアル系バンドがいたような気がする。名前を思い出せない。 お囃…
令和4年8月25日(木) 【旧 七月二八日 仏滅】・処暑・綿柎開(わたのはなしべひらく) 里は荒れ野となる露の深草や鶉《うずら》がねやをてらす月影 ~太田道灌(1432-1486)『花月百首』人里は荒れ野となり、露が置き、草深くなってしまった。鶉の寝床をただ月の光が照らし
さいたま市「岩槻城城下町」を城跡探し、城址公園だけじゃない!【埼玉】
埼玉県さいたま市岩槻は城下町といわれ城址公園もありますが、実際のところ城郭跡はどれだけ残っているの?そんなテーマでの町歩きを紹介。御城印の紹介もありますよ!