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関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は征夷大将軍となり、上総東金を鷹狩りの宿泊地して八鶴湖に御殿を建てます。家康が植えたみかんの木や大阪の陣決断に至る地元住職との対談など、ドラマには出て来ないエピソードがあります。
日本の伝統祭り、城下町岩槻鷹狩り行列(その4)。 CANON EOS7DmarkⅡ EF 100-400mm IS USM 一…
日本の伝統祭り、城下町岩槻鷹狩り行列(その3)。 CANON EOS7DmarkⅡ EF 100-400mm IS USM 一…
城下町岩槻鷹狩り行列(その2)。 鷹匠さん達は20名程度で各々が様々な鷹を持ち、行列に加わっていました。 今までの鷹匠さんのイメージはこんな感じでした。…
昨日、人形の街岩槻の「城下町岩槻鷹狩り行列」を初めて見に行きました。 この祭りはかつて徳川家康公が鷹狩りを好み、岩槻城址を訪れたという史実を再現するもので…
江戸幕府第10代将軍・徳川家治(1737-1786年)の長男・家基(1762-1779年)には、徳川宗家の通字である「家」の字を賜りながら、将軍職には就けなかったために「幻の第11代将軍」とのニックネーム?もあるようだ。幼年の頃から聡明で文武両道に秀でた優秀な人物だったとされ
前回の続きこのホテルは人里離れた場所にあるため、ゴルファーではない滞在客が飽きないよう様々なリクリエーションを用意していました。 2人ともアーチェリーは初めて…
医王山 瑞雲寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、南北朝時代の1338(暦応元/延元3)年に瑞鹿山 円覚寺(→神奈川県鎌倉市山ノ内、鎌倉五山第二位)の7代住職梅林霊竹が開山したという臨済宗円覚寺派寺院です。境内の地蔵菩薩は「都築橘樹(つづきたちばな)酉年(とりどし)開帳地蔵菩薩霊場」の1つに数えられ、12年に1度の酉年に開帳されることで知られます。寺宝に「鷹薬師如来」と呼ばれる像があり、徳川家康がこの辺りで鷹狩をしていた...
浜離宮恩賜庭園にて、鷹狩りを見てきました。 訓練した鷹を放って鳥や小動物を捕まえる猟法を『放鷹(ほうよう)術』と言うそうです。 3年ぶりの開催とのことで、楽しみにされていた方も多かったのではないでしょうか。 暖かくお天気にも恵まれ、 合図で
<お知らせ>2022・11・05(土) 今まで利用してきた「webry blog」が近日閉鎖予定とのことで、 当「muragon blog」へ引っ越しいたしました。 今後とも従前同様の応援をお願いいたします。 管理人:住兵衛 -------------------...
「春日局から稲葉正則宛の書状に見られる「雲雀」を巡って」再考
以前、春日局から稲葉正則に出された書状に見られる「雲雀」と「鮎ずし」をめぐり、主に正則の鷹狩について検討しました。この書状が出された寛永20年(1643年)には正則はまだ20歳という若さでしたが、この「雲雀」を得るためには鷹狩をしたと考えられるものの、実際に正則がこの年に鷹狩を行ったことを裏付ける史料は他に見当たらないことを指摘しました。春日局(再掲)麟祥院所蔵の肖像画(パブリック・ドメイン,Wikimedia Com...
昨日の潤くんの生配信、途中、飛び入りゲストがありましたね(笑)ここ近年、企業の面接や入社式等でも、話題になったりしてましたが………Web3.0の話が潤くんから…