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城ぶら「田中城」!徳川家康倒れる!家康が何度も訪れた鷹狩りの地
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、城ぶら「田中城」!徳川家康倒れる!家康が何
慶全寺は、天正年間、武田家の家臣・三枝虎吉が長篠の戦いで戦死した息子の三枝守友、守義、守光の菩提を弔うために創建したといいます。元々は田中城に隣接していましたが、慶長6年(1601年)、田中城の城主となった酒井忠利が田中城の拡張工事のため現在地に移しました。万治年間の火災で、多くの建物や寺宝を焼失しましたが、江戸時代の宝永年間に再建されました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よ...
続いて蓮生寺へ。蓮華寺公園の近くにあります。歩道に表示がありました。→もありわかりやすくて良いですね。蓮生寺(れんしょうじ)は、1195年(建久6年)蓮正(熊谷直実)が開山となって創建されたと伝えられています。また、1730年(享保15年)駿河国田中藩主となった本多氏の菩提寺となっています。山門は、文化8年(1811)、田中城主・本多正意によって寄進されたもの。蓮生寺は、藤枝市指定天然記念物となっているイブキでも...
<田中城>の”城門”を巡る-日本唯一の円郭式縄張りのお城の下屋敷に冠木門、「旭伝院」に移築門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<東海地方-田中城、横須賀城、寺部城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしていて、日本の北から南にかけて城郭建造物の「御殿(居館)」を特集してきました。 シリーズ途中からは、「茶室」…
本丸櫓を出て、田中城下屋敷の敷地内をまわります。長楽寺村郷蔵郷蔵(ごうぐら)とは、年貢米や飢饉に備えた非常(救済貸付)米を保存するための蔵で、江戸時代には村ごとに置かれていました。村役人が管理しており、夜間は畳敷きの小部屋に2人1組で泊まり込み、夜番をしました。 長楽寺村の郷蔵は、明治10年頃に中西家に払い下げられました。この時、郷蔵の半分を切り取り移築したものといわれ、本来は現状の倍の大きさであった...
徳川家康が鯛の天ぷらを食べたと伝わる藤枝の田中城の歴史は、今から500年ほど前この地の士族一色氏がその居館を拡大したのに始まるといわれています。田中城の東南隅にあった藩主の別荘庭園である田中城下屋敷には、田中城ゆかりの建物(田中城本丸櫓、茶室、仲間部屋・厩、長楽寺村郷蔵)が移築・復元されています。草むらの中に発見!なかなkシュールな「まつだいらたけちよくん」(^0^;)本丸櫓晩年の徳川家康は、鷹狩りと称して、...
田中城は、静岡県藤枝市田中にあった輪郭式の平城で、江戸時代には田中藩の藩庁が置かれた城です。駿府城で隠居生活を送っていた徳川家康は、鷹狩りのため、度々田中城を訪れたといわれています。家康は元和2年(1616)4月巳の刻(現在の午前10時ごろ)、家康は駿府城において75歳で死去しましたが、鯛の天ぷらが原因という説があります。同年1月21日、駿河国田中で鷹狩を行った際、家康は御用商人茶屋四郎次郎清次に上方での流行を...