メインカテゴリーを選択しなおす
【源氏物語】十九帖「薄雲(うすぐも)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十九帖「薄雲(うすぐも)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十九帖「薄雲(うすぐも)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
【源氏物語】十八帖「松風(まつかぜ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十八帖「松風(まつかぜ)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十八帖「松風(まつかぜ)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
随心院(ずいしんいん)は、京都市山科区小野御霊町にある真言宗善通寺派の大本山の寺院。薬医門寛永年間(1624年 - 1631年)の建立。開山は小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)僧正。随心院は、そもそもは仁海僧正が創建した牛皮山曼荼羅寺(ごひざんまんだらじ)の塔頭でした。仁海は神泉苑にて雨乞の祈祷を9回行い、そのたびに雨を降らせたとされ「雨僧正」の異名がありました。曼荼羅寺は仁海が一条天皇から小野氏邸宅...
京都市山科区勧修寺にある勧修寺(かじゅうじ)は、真言宗山階派の大本山の寺院で、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院でもあります。門跡寺院であり、「山階門跡」とも称します。昌泰3年(900年)、醍醐天皇が、若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めとされています。胤子の父は、紫式部の先祖にあたる藤原高藤(ふじわらのたかとお)、母は宮道弥益の娘・列子(...
古典文学にも登場する仁和寺『紫式部日記』には、仁和寺の僧都・済信(さいじん)が、また、『枕草子』には、仁和寺の僧正・寛朝(かんちょう)が登場します。中門五重塔寛永21年(1644年)再建。御室桜と共に仁和寺のシンボル的存在となっています。桃山時代建築の国宝建造物。仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図などが極彩色で描かれています。経蔵寛永18年(1641年)か...
京都文化博物館「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」
京都文化博物館で開催されている「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14 御堂関白記と源氏物語」を見学して来ました。今回の陽明文庫の名宝展では、国宝『御堂関白記』より、藤原道長による自筆本のみ4巻が紹介されています。また、鎌倉時代に書写された重要文化財『源氏物語』のほか、室町時代と江戸時代の写本が展示され、各時代の源氏物語の歴史を辿っています。この中でも、特に見たかったのは、道長の自筆です。(『御堂関...
御室仁和寺は、真言宗御室派大本山。宇多天皇が譲位後ここに住したので御室御所とも呼ばれ、その後、代々の別当は宇多天皇の子孫が務めていました。その後、三条天皇の皇子である性信入道親王が当寺の別当の上に新設された検校に任じられ、これ以降、門跡寺となって明治維新まで歴代法親王が住持となりました。寛弘7年(1010年)に藤原道長の妻である源倫子の御願によって、観音院潅頂堂が建立されましたが度々の火災で焼失。現在...
【源氏物語】十七帖「絵合(えあわせ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十七帖「絵合(えあわせ)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十七帖「絵合(えあわせ)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
NHK 光る君へ に、ツッコミたい(というか感想?) 11/17
本日ついに望月の歌 最後の場面 道長が一人月光に照らされて まわりのみんなで ご唱和な〜んて まるで舞台演出のよう 今まで権力欲があるんかないんか本当に民の…
サブタイトルは「望月の夜」。前々回、まひろによって呪縛を解かれた道長。1回ほど間を置きましたが、ついに周囲の言葉に耳を傾けるようになったと言うか、自分に政治家は向いていないと自覚しましたね。予告で公任..
長和5年(1016年)正月下旬に三条天皇は譲位し、東宮・敦成親王が9歳で即位、後一条天皇が誕生しました。幼帝であったため、藤原道長が摂政となりましたが、翌年になると、摂政を嫡男の頼通に譲り、従一位太政大臣に。寛仁2 (1018) 道長の三女で叔母にあたる、九つ年上の威子(いし/たけこ)を後一条天皇の中宮とし、娘の彰子、妍子、威子の立后により一家3后を実現し、藤原氏摂関政治の最盛期を築きました。藤原実資は、『小右記』...
【光る君へ】#43 鈍感純粋まひろ一筋な道長、実資と議論かみ合わず。倫子様は鬱屈をひとりで昇華させた
「ホワイト道長」だから NHK大河ドラマ「光る君へ」第43回「輝きののちに」が11/10に放送された。あと残り5回。ドキドキするなあ。 ここにきて、私には道長はボーっとした純粋な三郎のままで、まひろ(&直秀)との約束だけを胸に、精一杯真っ直ぐに頑張ってきた、人は良いけどちょっと抜けた人物のように見えてきている。もちろん前回で黒白については片が付き、彼はホワイト決定だ。 だって「お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる」だよ・・・この言いぶりには驚いた。そこまで愚直だったのか、と。まひろ一筋、真っすぐじゃん。まひろも、辛かったね頑張ったねとヨシヨシするしかないよ。 柄本佑のシュッとした光るルックス…
三条天皇は、第六七代の天皇。冷泉天皇の第二皇子。名は居貞(おきさだ)。母は太政大臣藤原兼家の女超子。986年(寛和2)7月、従弟の一条天皇即位に際し元服、立太子。1011年(寛弘8)危篤の一条天皇の譲位を受け、36歳で即位し、皇太子には中宮藤原彰子の子、敦成親王(後一条天皇)が立ちました。しかし、その頃は藤原道長が左大臣として権勢をふるった藤原氏の全盛時代で、有力な後見を欠く三条天皇は、在位5年の間、絶えず政権...
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十六帖「関屋(せきや)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十六帖「関屋(せきや)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る君へ
【源氏物語】十五帖「蓬生(よもぎう)」簡単あらすじ&登場人物
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十五帖「蓬生(よもぎう)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十五帖「蓬生(よもぎう)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る
紫式部の父・藤原為時は、長和5年(1016年)4月29日に園城寺(三井寺)にて出家。式部の母の兄弟である康延(こうえん)、式部の異母弟・定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶でした。『紫式部日記』には、中宮彰子が出産の際、園城寺の心誉阿闍梨(しんよあじゃり)がもののけの調伏に当たったとあります。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます...
【源氏物語】十四帖「澪標(みおつくし)」簡単あらすじ&登場人物
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十四帖「澪標(みおつくし)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十四帖「澪標(みおつくし)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『
京都御苑の枇杷殿(びわどの)は、藤原仲平の屋敷跡です。左京一条にある枇杷第を伝領し、邸内に枇杷が植えられていたことから、枇杷殿、枇杷左大臣などと呼ばれていました。長和3年(1014年)三条天皇は眼病を患い、藤原道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫りました。また、この年と翌年、内裏が相次いで焼失。眼病の悪化もあり、長和5年(1016年)三条天皇は、皇后娍子(せいし/すけこ)の子・敦明親王の立太子を条件に、道...
藤原道隆の四子・藤原隆家は、996年(長徳2)権中納言の時、兄の伊周(これちか)とともに、花山法皇への暴力事件を起こし、出雲権守(いずもごんのかみ)に配流され、病のため但馬(たじま)に留まりました。997年、東三条院詮子(せんし)の病気によって伊周とともに召還。帰京後は兵部卿となり、のち従三位(じゅさんみ)へ。1002年(長保4)権中納言に再任され、04年(寛弘1)正三位、07年従二位、09年中納言となりました。長和元年(101...
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十三帖「明石(あかし)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十三帖「明石(あかし)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る君へ
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十二帖「須磨(すま)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十二帖「須磨(すま)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る君へ』『
【源氏物語】十一帖「花散里(はなちるさと)」簡単あらすじ&登場人物
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十一帖「花散里(はなちるさと)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十一帖「花散里(はなちるさと)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けし
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の十帖「賢木(さかき)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』十帖「賢木(さかき)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る君へ』『
藤原顕信(あきのぶ)は、藤原道長と明子(左大臣源高明 の娘)の子で、道長の三男に当たります。11歳で兄と共に元服、寛弘2年(1005年)侍従に任官。寛弘3年(1006年)左兵衛佐を兼ね、寛弘6年(1009年)従四位下、寛弘7年(1010年)従四位上と昇進し、寛弘8年(1011年)10月に右馬頭に。同年12月に三条天皇から道長に対して、藤原通任の参議昇進で空席となっていた蔵人頭に顕信を補任させる意志を告げられましたが、顕信は「不足職之...
こんばんは☺ 『年賀状の写真を撮りに、三室戸寺に行ってみた』こんにちは 年賀状の写真を撮りに 三連休の最終日 家族でお出掛けしました 世の中の流れとして年々年…
友人が比叡山延暦寺の横川に行って来たと画像を送ってくれました。横川は、延暦寺の最北端にあり、第三代座主・円仁(慈覚大師)によって開かれました。横川中堂本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。延暦寺は火災で荒廃した後、10世紀に良源(元三大師)によって再興されました。元三大師と角大師(『天明改正 元三大師御鬮繪抄』1785年仙鶴堂発行より)根本如法塔 円仁が法華経を写経し納めた塔が始まりで、1925年...
比叡山延暦寺には、多くの貴族が参詣しました。目や耳の病気に苦しんでいたという三条天皇もその一人です。三条天皇が天皇の位を退いた後、延暦寺に参詣したことが藤原実資の『小右記』書かれており、比叡山へと続く、きらら坂を輿で半日かけてのぼり、延暦寺の根本中堂で病気の回復を祈願したといいます。4年前に訪ねた時の画像です。ケーブル延暦寺から延暦寺の参道を歩いていきます。歩くこと7分で、延暦寺に到着。比叡山の山内...
【光る君へ】#42 道長は、やはりのんびりな三郎のままズタボロになっていた。まひろと道長、互いへの誓いが生きる源
最近アクセス数が増えていたのは、伊周 NHK大河ドラマ「光る君へ」第42回「川辺の誓い」が11/3に放送された。ラスト2カ月に突入だ。今回も、中年以降の生きる意味を見出すのが難しい世代の悩みをうまくすくい上げたような、心に深く響く素晴らしい回だった。 いや、中年以降に限らないかな。若い人たちも、小学生でも、生きる意味について悩む場合もあるもんね。まひろ&道長のように、相手が生きていてくれるだけで自分も生きていけるという、深い絆が持てる人に出会える人生は幸福だ。 ところで、このブログでこれまで最もアクセス数が多かったのは、過去の大河ドラマ「黄金の日日」で石川五右衛門を演じた故・根津甚八を私の中で…
真珠庵の境内には紫式部の産湯として使用したと伝わる井戸が現存しており、紫式部ゆかりの地としても知られています。紫式部産湯の井戸紫式部の産湯に使われたと伝わる井戸。紫式部の母が、大徳寺塔頭の雲林院の観音菩薩に安産祈願に訪れたことから、真珠庵にある井戸水を産湯にしたのではないかといわれています。梵字が刻まれているそうです。この井戸は、現在も枯れることなく地下水が湧き出ているそうです。にほんブログ村 歴...
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の九帖「葵(あおい)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』九帖「葵」は、2024年大河ドラマ『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『源氏
京都市北区紫野にある大徳寺の塔頭・真珠庵の特別公開に出かけて来ました。今回の特別公開では、本堂、現代作家が描く⽅丈襖絵書院 通僊院(つうせんいん)茶室 庭⽟軒(ていぎょくけん)⽅丈東庭「七五三の庭」、通僊院庭園『源⽒物語図屏⾵』が公開されています。真珠庵は、永享年間(1429年~1441年)に、大徳寺を復興した一休宗純を開祖として創建されました。応仁の乱により焼失し、延徳3年(1491年)に堺の豪商・尾和宗臨(...
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。 すっかり秋らしくなりましたね。この秋初めての袷を着て、滋賀県立美術館の志村ふくみ展に行って来ました。車で京滋バ…
観音堂の前に、芝が扇形になっている扇の芝があります。ここは、源頼政の終焉の地とされています。治承4年(1180年)5月26日、源頼政は以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平知盛・重衡軍を宇治川で迎え撃ちます。宇治川を挟んでのこの戦は、「橋合戦」と呼ばれ、以仁王軍は、橋の底板を外して敵の侵入を防ぎ、矢で応戦していました。橋の上でも激戦が繰り広げられましたが、17歳の足利忠綱が宇治川の急流の宇治川に馬を乗り入れる...
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。 11月1日は古典の日なのだそうです。先日伺った京都文化博物館に紫式部の像があり、そう書かれていました。 皆さん…
朱色に染まった紅葉を愛でながら、鐘楼の建つ小高い丘へと進んで行きます。ちょうど紅葉の中央に見えるのが鐘楼です。平等院の鐘は、姿の美しさから日本三名鐘に数えられています。こちらには、複製の梵鐘が懸けられており、実物は鳳翔館にあります。梵鐘鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平...
宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣・源融が営んだ別荘だったものが陽成天皇、宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、それが宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となったもの。表門道長は万寿4年(1027)に亡くなったため、当...
サブタイトルは「川辺の誓い」。なんというか、久しぶりに心穏やかな余韻の回でした。いや道長が三条天皇とうまく行ってなかったり、病に倒れたり怪文書ばらまかれたりと、いろいろ大変なところはあったのですが。 ..
【光る君へ】#41 道長へのまひろの信頼も揺らいだか。彰子はゴッドマザーの片鱗を見せ始める
あと2カ月、完走するだけ NHK大河ドラマ「光る君へ」第41回「揺らぎ」が10/27に放送された。衆院選投開票日とあって、NHK総合での放送は定時の午後8時から早まった。そのせいで番組の視聴率は揺らいだかもしれないね・・・でも、こっちは全然関係ない。残すところ2カ月のドラマを、固唾を飲んでどう着地していくのか見届けるだけだ。 前回から、すっかり「ああ、良かったな~今年の大河ドラマは」的な噛みしめる気分に浸り始めているのが、我ながらおかしい。放送発表の日から、源氏大河を本当に楽しみにしていたもんね。期待にたがわず、紫式部を取り巻く源氏物語を生んだ平安世界のドラマを、豪華絢爛な美術や衣装と共にここ…
「源氏物語」を生んだ一条朝は、紫式部、清少納言、安倍晴明など、おなじみのスターが活躍した時代。藤原道長が権勢をふるった時代とも記憶されているが、一条天皇は傀儡の帝だったわけえなく、「叡哲欣明」と評された賢王であった。「源 ...
明石市鍛治屋町にある浄土宗の寺院・光明寺は、元和5年(1619)、明石城築城時に三木市から現在地に移築されました。山門通称「浜光明寺」と呼ばれています。本堂本堂は、明石市内の寺院で最大級の大きさなのだそう。観音堂鐘楼享保14年(1729)、藤原国次によってに作られた釣鐘は、明石市内最大級で市の指定文化財になっています。1885年(明治18年)8月9日、山陽道御巡幸中の明治天皇が宿泊した場所でもあり、 1976年(昭和51年)2...
先日娘といっしょに父の面会に行って来ました体調不良(頭痛と首凝り)が続いているのでちょっとご無沙汰してしまいましたお土産は大好きなカップラーメンを箱でどんっ田辺農園のバナナ雪印コーヒー牛乳ローソンのシュークリームスナック菓子etc母娘の昼食のパンやら..てんこ盛り7月に罹患したコロナでしたが後遺症もすっかり治りとっても元気です後ろに掛かっているダウンコートをプレゼントしましたこれから寒くなるので活用してね~今年の大河ドラマ「光る君へ」がお気に入りの父自分で各回のあらすじをまとめて冊子を作ってますこれは25話の「いけにえの姫」のあらすじ箇条書きで5枚くらいにまとめてあります「藤原家」の相関図どの姫がどの天皇に嫁いだのかよくわかりますあぁ..こうやって道長は権力を増大していったのね~と納得..1~40話まで圧...父の面会に行って来ました。
無量光寺も戒光院同様、『源氏物語』明石の巻に登場する明石入道が光源氏に与えた邸の「浜の館」のモデルとされています。また、明石西国第2番観霊場となっている浄土宗本派の寺で、文学にゆかりの深い寺としても知られています。山門の彫刻は、左甚五郎作といわれています。山門を入ると左手に源氏稲荷が祀られています。大正時代には、作家の倉田百三、武者小路実篤らが訪れているそうです。にほんブログ村 歴史ブログランキング...
無量光寺の山門前には、光源氏が自分の住む「浜の館」から明石の上の住む「岡辺の館」へ通う時に通ったとされる「蔦の細道」があります。何気ない細い道ですが、ロマンを感じますね。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
明石の『源氏物語』ゆかりの地(1)善楽寺「明石入道・浜の館」
光源氏が明石の君と出会う舞台である兵庫県の明石を訪ねました。須磨で寂しい生活を送っていた光源氏が、住吉の神の導きにより、須磨を離れることに。その予言どおり、翌朝、明石入道が迎えの船に乗って現れ、源氏一行は明石入道の邸へと移りました。そこで、明石入道の娘の明石の君と出会い、姫を授かることになります。善楽寺は、戒光院・円珠院の総称です。戒光院は『源氏物語』の第13帖「明石」で、明石入道が澄んでいた「浜の...
須磨区多井畑には、在原行平に寵愛された松風・村雨の墓があります。松風・村雨 まつかぜ・むらさめ在原行平(ありわらの-ゆきひら)が須磨(すま)でよんだという歌をもとに生まれた説話上の姉妹。かつて行平に愛された海女の姉妹が亡霊となって旅の僧の前にあらわれ,行平形見の狩衣(かりぎぬ)を身につけて舞う。能「松風」,御伽(おとぎ)草子「松風村雨」,人形浄瑠璃(じょうるり)「松風村雨束帯鑑(そくたいかがみ)」などは松風物とい...
読書記録:あさきゆめみし10:源氏物語(講談社コミックスミミ269) 大和和紀 本 通販 Amazon強引な口説きと行き違いにより母を死なせ、しかも外堀を埋めた形となった二の宮を、強引に妻とする夕霧。後ろ盾もなく二夫..
多井畑厄除八幡宮の近くには、義経腰掛けの松があります。源平合戦の折り、源義経一行は、多井畑厄除八幡宮で先勝祈願をした後、この地の松に腰をかけ休息を取り出陣したと言い伝えられています。義経腰掛の松 1184年(寿永3年)2月7日未明源義経一行は多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願した後、この松の木の下で休息をとり一の谷に向かったと伝えられている。それから後、村人はこの場所に社を作り「ほんがんさん」の愛称で親しみと尊敬...
サブタイトルは「揺らぎ」。道長が……道長がついに行成にまで「おかしい」と言われ始めたことに衝撃を受けた回でした。いや気にするべきところは他にいくらでもあるんでしょうが、前回、帝と秤にかけて道長を取った..