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源氏物語七帖「紅葉賀」の考察 『源氏物語』は日本文学の金字塔であり、その全54帖の中でも七帖目の「紅葉賀」は、光源氏がその栄華を極める若き日々を描いた重要な一篇です。この帖では、源氏の人生における華やかな一面と、裏に潜む運命の影が巧みに描か
源氏物語八帖「花宴」考察―光源氏と桜の宴 『源氏物語』は、日本文学の最高傑作の一つとして知られています。その中でも八帖「花宴」は、桜の宴での美しい光景と、光源氏の儚い恋心が描かれた章として人気があります。この章は、華やかな宴会の場面と、それ
源氏物語 九帖「葵」考察 『源氏物語』は紫式部によって書かれた平安時代の文学作品であり、その中でも特に有名な一章が「葵」巻です。この「葵」巻では、主人公である光源氏とその正妻である葵の上、そして源氏の情熱的な愛人・六条御息所との関係が中心に
源氏物語十帖「榊」考察 『源氏物語』は、紫式部が11世紀初頭に著した古典文学の傑作であり、日本の文学史において非常に重要な位置を占めています。その中でも「榊」(さかき)は、十帖目にあたる巻であり、物語全体のテーマをさらに深く掘り下げています
源氏物語十一帖「花散里」考察 『源氏物語』は、平安時代に紫式部によって書かれた日本文学の傑作です。全54帖からなるこの物語は、主人公である光源氏の恋愛模様を中心に描かれています。その中でも、十一帖「花散里」は、光源氏とその愛人の一人である花
【2024年大河ドラマ『光る君へ』第三十五回「中宮の涙」】《新たな推しの誕生》 中宮彰子役をつとめる見上愛の名演技に魅せられて。
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【光る君へ】#35 中宮彰子の純粋な涙にもらい泣き、定子を偲ぶ一条帝もおとなになっていた(伊周変わらず)
巷で話題の「平安ファイト一発」 NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回「中宮の涙」が9/15に放送された。「我が家の一大事」=引っ越し間近なので、今回は書けるだけ。 あらすじを公式サイトから引用する。 (35)中宮の涙 初回放送日:2024年9月15日 道長(柄本佑)は中宮・彰子(見上愛)の懐妊祈願のため、息子の頼通(渡邊圭祐)と共に御嶽詣へ向かう。しかし険しい行程と悪天候に悩まされ、目的地である金峯山寺への到達に手こずっていると、伊周(三浦翔平)が武者を引き連れ、不穏な動きを見せる。その頃、まひろ(吉高由里子)の書く物語に興味を持った一条天皇(塩野瑛久)が、まひろに物語の真意を尋ねては、自身の…
寛弘5年(1008)、藤原道長は、娘の中宮彰子のために、金峯山で懐妊祈願を行いました。その甲斐あってか、ついに彰子の懐妊が判明。出産のために、彰子が道長の邸である土御門邸へ里下がりすると、4月から5月にかけて、彰子の安産祈願のための法華三十講が行われました。※法華三十講法華経二十八品 (ほん) に開経の無量義経と結経の観普賢経を加えた30巻を、1日に1巻ずつ、または朝夕に1巻ずつ講ずる法会。京都市左京区聖護院山王町...
清涼寺は、秋の紅葉の名所でもあります。黄金に輝くイチョウ多宝塔と紅葉一昨年の秋、本堂と庭園を見学してきました。本堂を抜けると、渡り廊下が続き、ここから庭園を鑑賞します。弁天堂は、本堂のうしろの池に面して建っています。弁天堂弁天堂は、正面柱間三間、屋根宝形造で、正面に軒唐破風が付いており、建築年代は江戸末期ごろと推定されます。弁天堂のまわりは、池遊式庭園になっています。弁天堂西 川中島観光客の姿はほ...
【光る君へ】35話”中宮の涙”ネタバレあらすじ。再放送は?どこで見れる?
『光る君へ』35話”中宮の涙”では、中宮・彰子の思いがあふれて、一条天皇の心を揺さぶりました。 道長がまひろの娘・賢子が実は我が子だと悟った場面や、彰子が『源氏物語』の若紫に自分を投影する場面、一条天皇が雪を見て定子への気持ちに区切りをつけ
まひろとの会話や伝えようとする話から殻を破りそうな中宮彰子を描いた『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第34回「目覚め」について敦康新王には心を開くも、父…
本堂の西側には、豊臣秀頼の首塚があります。1980年(昭和55年)大阪城の京橋口三の丸跡から、地中に埋葬され、周囲にシジミやタニシの生貝が敷かれた頭蓋骨が発見されました。その頭蓋骨は、20~25歳の若武者で、首に介錯の跡があり、左耳が不自由だったこと、出土品などから、大阪夏の陣と時期が合うことがから、秀頼のものと推定され、1983年(昭和58年)、秀頼ゆかりの清涼寺に首塚を造って納骨されました。石は小豆島の自然石...
清涼寺の仁王門を潜ると、左側にあるのが法然上人像です。法然上人像この像の奥には、聖徳太子殿があります。聖徳太子殿法隆寺の夢殿を模したものといいます。この北側には、多宝塔が建っています。多宝塔 江戸護国寺での出開帳の際に寄進され、3年後の元禄16年(1703年)に船で運ばれ再建されました。鐘楼「嵯峨十景・五台の晨鐘」と呼ばれてきたには足利義政・日野富子・足利義尚の名と文明16年(1484年)の日付が刻まれていると...
読書記録:あさきゆめみし2:源氏物語(講談社コミックスミミ961)コミック1981/10/1前半部分は末摘花や源典侍などのコミカルなエピソード。少女漫画な光源氏も、ここまでくるとすっかり女たらしキャラになってきたなあ..
上の予告編は9月15日放送 源氏物語の執筆が始まりましたね、楽しみしかありません。紫式部と中宮彰子の関係も良い具合になってきました。 マレーシアの記事を書く傍ら、趣味である平安文学についても触れていこうと思います。NHK大河ドラマ「光る君
2024大河ドラマ『光君へ』、すごく良かったです。これまで源氏物語だとか紫式部さんに特別な興味はなかったのですが、源氏物語好きの母につられ、またドラマの面白さに、毎回楽しみにしておりました。脚本が大石静さんかぁ。。 おもしろいですよね。。。(わたしのように、源氏物語だとか紫式部さんに特別な興味がなくても楽しめるドラマに仕上がってましたね・・ このドラマ以降、あたしも同居のスピさん達も源氏物語&紫式部さ...
藤式部(まひろ)には考えを語る中宮彰子様、その導きで一気に爆発的な覚醒をなさった『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第35回「中宮の涙」について藤式部の導…
嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。仁王門この地には平安前期、嵯峨天皇の皇子で、『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。阿弥陀堂(栖霞観跡)阿弥陀堂は、源融が建立した棲霞観を偲ぶ唯一の建物と言われています。阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は、源融...
金峯神社は、吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祀る神社です。二の鳥居金峯神社に伝わる経筒は、金峯山から出土したもので国宝となっています。令和6年(2024)には、金峯神社と金峯山寺が所有する藤原道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定されました。拝殿 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの義経隠れ塔源頼朝に追われた源義経がここに隠れていたという塔。その際に追っ手に囲まれてしまい、屋根を蹴...
サブタイトルは「中宮様の涙」。今回はダブルミーニングではなく直球タイトルでしたね。っていうか、中宮様が帝へのアタック方法のアドバイス受けた途端にお渡りがあって、たぶん脳みそ真っ白になったままド直球で告..
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
【光る君へ】#34 まひろ、道長から贈られた檜扇にインスパイアされ、もう1人の自分「若紫」を書き始める
道長、対興福寺で奮闘。日記に記録が NHK大河ドラマ「光る君へ」第34回「目覚め」が9/8に放送され、まひろの宮廷作家生活は軌道に乗った一方、為政者道長は興福寺の強訴に遭った。これが、寺は違えど後世で白河法皇が嘆いた「天下三不如意」の山法師の強訴の走りなのだろうか。寺社勢力の強まりの兆しを感じる。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (34)目覚め 初回放送日:2024年9月8日 興福寺の僧らが都に押し寄せ、朝廷に要求を突きつける非常事態。道長(柄本佑)は事の収拾に奔走する。一方、まひろ(吉高由里子)は物語を書き進め、宮中の話題を集めるが、狙いである一条天皇(塩野瑛久)と中宮・彰子(見上愛…
宇治駅の近くにある東屋観音に「東屋」の古蹟があります。浮船の母は今は常陸介の後妻になっていた。浮舟には左近少将という求婚者がいたが、少将は、浮舟が介の実子でないと知ると、財力めあてで浮舟の義妹と結婚してしまう。この破談に浮舟を不憫に思った母は、縁を頼って二条院にいる中君に預けることにした。ある夕暮、ふと匂宮は、西対にいる浮舟を見て、その美しさに早速言い寄った。驚いた母は、娘の行く末を案じ、三条あた...
彼方神社の脇に「椎本」の古蹟があります。春、花の頃、匂宮は、初瀬詣の帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君やお供の貴族たちと音楽に興じた。楽の音は対岸の八宮の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばせた。薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのだった。薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心をひかれて...
#811 レビュー 『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』山本淳子
大河ドラマ『光る君へ』で、ついに、まひろが『源氏物語』執筆のため、中宮彰子の女房となるそのあたり以降のことを書いている『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのもの…
「育つべきものが育っていないと分からない世界を、物語が教える」~「光る君へ」に見る脚本家の力量④
育つべきものが育っていないと理解できない世界がある。 それを知るためには経験が必要だが、 もし実体験として得られないとしたら、読書に頼るしかない。 そのことを紫式部も大石静も知っていた。という話。(写真:フォトAC) 【脚本家・大石静の独創性】 これまでのところの「光る君へ」の脚本家の独創性――普通の人には思いつかないこと、思いついてもすぐに手放してしまうことは、三つあります。 ひとつは藤原道長と紫式部の子どものころからの関係と恋愛、不義の子を産んだこと。 二つ目は源氏物語の桐壺帝と桐壺更衣のモデルが一条天皇と中宮定子だとはっきり定めてしまったこと。 第三に、そのために「源氏物語は紫式部が夫の…
「ゴッド・マザー中宮彰子:普通の成長をしてこなかった子」~「光る君へ」に見る脚本家の力量③
今は弱々しい《陰キャラ》の中宮彰子、 しかしこの子はやがて86歳まで生きて、 藤原家を支えるゴッド・マザーとなる。 いったい彼女に何が起こるのか――。という話。(写真:フォトAC) 【中宮のイメージが違う。名前の魔力に騙されていた】 源氏物語は高校の古典の時間に学び、中高の歴史の授業でも触れました。一度は読んでおかなくてはならないという義務感から大学生時代に谷崎潤一郎の「源氏物語」を読み、それはそれで楽しかったのですが、他にもしなくてはならないことがたくさんあって、源氏物語と紫式部については、以後、社会科教師として教科書程度のことを教えるに留まりました。それ以上深く学ぶことはなかったのです。 …
京都翔英高等学校の近くに「蜻蛉」の古蹟があります。源氏物語宇治十帖(五) 宇治の山荘は、浮舟の失踪で大騒ぎとなった。事情をよく知る女房達は、入水を推察して、世間体を繕うため母を説得し、遺骸の無いまま泣く泣く葬儀を行った。薫君も匂宮も悲嘆の涙に暮れたが、思いはそれぞれ違っていた。 実情を知った薫君は、自らの志の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。 六条院では、明石中宮が光源氏や紫上のため...
読書記録:あさきゆめみし1:源氏物語(講談社コミックスミミ960)コミック-1980/11/1ようやく1冊目を読了。源氏物語をコミカライズしたものとしてはかなり有名だろう、8〜90年代頃の少女漫画。文庫版や完全版や愛..
【光る君へ】34話”目覚め”ネタバレあらすじ。再放送は?どこで見れる?
『光る君へ』34話”目覚め”では、まひろ/籐式部の紡ぐ『源氏物語』に帝も彰子も公卿たちも夢中になります。 まひろと道長の出会いと、『源氏物語』の「若紫」が繋がって、まひろも彰子も一条天皇も「目覚め」ていくさまが手に取るように感じられました。
「フィクションはフィクションだから面白い」~「光る君へ」に見る脚本家の力量②
年間50話にも及ぶ大河ドラマ、 それを維持するには大胆な発想の転換が必要だ。 学者たちが何を言おうが、実際に見てきた人はいないのだ。 だったら一番面白い解釈を拾おう。という話。(写真:フォトAC) 【誰も真実を知らない】 大河ドラマを任された脚本家はきっとこんなふうに考えます。 これはたいへんだ。年間50回、1回の放送時間は45分(うちドラマ部分は40分)、全部合わせれば33時間に及ぶまさに大河ドラマ。生半可なことではすぐに持たなくなる。紫式部の物語だって? 資料はほとんどないじゃない。だからと言って好き勝手をやったらファンが許さない。 で、考えてみたらこれまでの大河ドラマの脚本家たちも、源義…
早蕨の古蹟からさわらびの道を進むと宇治上神社があります。さらに進んで行くと、与謝野晶子没後50年と宇治市制40周年を記念して建てられた与謝野晶子の歌碑があります。幼い頃から古典文学に親しんだ晶子は、源氏物語 にひかれ紫式部を師と仰ぎました。そして源氏物語の現代語訳に力を注ぎ、五十四首の詠歌で再構成した「源氏物語礼讃」によって歌人としての天分を発揮したといわれています。歌碑には宇治十帖の十首が晶子の真筆...
宇治駅から三室戸寺からに向かう交差点の近くの歩道に「手習」の碑があります。薫27歳から28歳の夏にかけての話。匂宮と薫の板ばさみで追い詰められ、自殺を図った浮舟は宇治川沿いの大木の根元に昏睡状態で倒れていた。たまたま通りかかった横川の僧都一行に発見されて救われる。僧都の80余歳になる母尼(ははあま)が、僧都の50余歳になる妹尼(いもうとあま)との初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰途に宇治で急病を患ったため、看護の...
現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側には、藤原道長の邸宅・土御門第がありました。藤原道長の日記『御堂関白記』には、寛弘4年(1007年)道長が、曲水の宴を土御門殿で主催したとあります。平安時代のこの辺りは、公家の屋敷や寺院が建つ土地で、東側には紫式部の邸宅跡・廬山寺、その南の鴨沂高校の辺りには、道長が創建した法成寺もありました。寛仁2(1018)年10月16日、道長の「御堂関白記」に和歌を詠んだ記載があり、その歌...
サブタイトルは「目覚め」。……いやいやいや、まひろの局に道長だけじゃなく中宮彰子や帝まで訪れて、しかも「また来る」ってwwこれが大河あるある(やたら歴史上の偉人に好意を持たれる主役)なんでしょうが、さ..
曲水の宴は、(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、庭園の曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという遊びで、もとは中国で行われたものです。奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられ、平城天皇の代に一時中止されましたが嵯峨天皇により復活。平安時代には宮廷や貴族の邸宅などでも行われるように...
【源氏物語】八帖「花の宴(はなのえん)」簡単あらすじ&登場人物
『源氏物語』の八帖「花の宴(はなのえん)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。2024年大河ドラマ『光る君へ』では紫式部/まひろ(吉高由里子さん)が『源氏物語』を書き始めました。八帖「花の宴」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察をお届けします。『光る君へ』『源氏物語』の両方を楽しんでいただくきっかけになれば幸いです。
荻原規子さん訳の源氏物語。 ゆるりゆるりと読んで感想を書いています。 目次 1 導入:はじめに2 感想2.1 末摘花2.2 玉鬘2.3 夕霧3 関連情報 導入:はじめに 構 […]
【光る君へ】#33 藤式部まひろ宮中で華々しく作家生活スタート。道長、彰子を照らす光に
まるで平安版「プラダを着た悪魔」、高級女官の生活を垣間見 NHK大河ドラマ「光る君へ」第33回「式部誕生」が9/1に放送された。大河ドラマの33回と言えば、「おんな城主直虎」の高橋一生の名演が否応なしに頭に浮かぶ。毎年、大体が節目となる大事な回だと思うが、今作ではとうとう(やっとのこと?)帝に認められ、まひろが宮中作家として華々しいデビューを飾った。 では、公式サイトからあらすじを引用する。 (33)式部誕生 初回放送日:2024年9月1日 道長(柄本佑)に頼まれ、まひろ(吉高由里子)は彰子(見上愛)が暮らす藤壺に住み込みで働き始める。まひろは早速、物語の続きを書こうとするも、宮中での暮らしに…
平安時代中期、奈良の興福寺別当であった定澄(じょうちょう)。壬生氏の生まれで左京の人。延喜19年(919年)17歳で得度し、仁和寺別当・寛空、興福寺別当・空晴に学ぶ。興福寺に籍を置き、永延2年(988年)の維摩会では講師を務めた。長徳元年(995年)権律師に任じられ、西大寺別当に就任[3][4][1]。長保元年(999年)興福寺権別当となり、翌年には正任の別当に転じ、権少僧都となって龍蓋寺・龍門寺の別当職も兼任した[5][6][7...
サブタイトルは「式部誕生」。……実は解説サイトさんで、まひろがすぐに内裏から下がることについては、ネタバレ食らってました(苦笑)でもそりゃあ、あの環境では集中して書けないよねと思います。しかもかっちり..
三室戸寺の鐘楼の脇に「浮舟」の碑があります。これは、寛保年間に「浮舟古跡社」を石碑に改めたものです。その際、古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、浮舟念持仏として、伝えられています。正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君に匿われて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って忍んで行く。浮舟が...
源氏物語 A・ウェイリー版 第1巻紫式部,アーサー・ウェイリー,毬矢まりえ,森山恵2017/12/22左右社 Amazon 楽天市場 このヴィクトリアン・GENJIを読むまで私は源氏物語を理解していなかった!このまま漫画にしてみたい!(竹宮
読書記録:「源氏物語ふあんたじい〈桐壺〉」阿素洛、与謝野晶子 https://jp.mercari.com/item/m6043919331610日ほどかかってなんとか読了。古すぎる書籍なためか、販売元をメルカリぐらいしか見つけられませんで..
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(5)嵯峨嵐山文華館
百人一首は、800年前に藤原定家がここ嵯峨嵐山で優れた和歌を撰んだことから始まると伝えられます。2006年1月から2017年3月まで営業していた百人一首ミュージアム「百人一首殿堂 時雨殿」を改装し、2018年11月1日に「嵯峨嵐山文華館」としてリニューアルオープンしました。常設展では百人一首の歴史やその魅力を伝える展示が行われています。1F 常設展百人一首の歌かるたは江戸時代の初期に誕生。当初は貴族や大名の嫁入り道具の1...
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(4) 中院山荘跡
清涼寺から西に約5分、二尊院門前北中院町の通り沿いに、地蔵尊が祀られており、その横に「中院山荘跡」の駒札があります。鎌倉時代のはじめ、僧・蓮生の中院山荘がありました。蓮生の出家前の名は、宇都宮頼綱といい、歌人としても著名で、藤原定家との親交が厚く京都歌壇、鎌倉歌壇に並ぶ宇都宮歌壇を築きました。『英雄百首』(歌川貞秀画)宇都宮頼綱鎌倉時代の武将,歌人。法名蓮生。宇都宮成綱の子。祖父朝綱の公田掠領の罪に...
まひろ、道長のために立ち上がり、一条天皇に献上する物語を書いていく大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第31回「母として」について道長の願いで、中宮彰子の為…
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したとされています。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅...
こんにちは。京都の朗読家 馬場精子です。ブログにお越しくださいましてありがとうございます。午後の教室が終わり、ブログを書いております。先日は、京都文化博物館に…
まひろ、中宮彰子の下で宮仕えをしながら、物語の創作活動に励む『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第33回「式部誕生」についてまひろ、中宮彰子のもとで宮仕え…