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新御車寄新御車寄とは、大正4年(1915)の大正天皇の即位の礼に際して、馬車による行幸を迎えるために新設された玄関です。天皇の行幸の際には、内裏の南側にある建礼門から出入りされるのが伝統を踏まえて新御車寄も南向きに建てられています。月華門本瓦葺丹塗十二脚門建礼門京都御所の南に位置する正門で、南御門とも呼ばれる檜皮葺切妻屋根の四脚門。天皇が行幸される際や譲位後に上皇となり仙洞御所へ遷御される際に使用され...
諸大夫の間諸大夫の間とは参内者の控えの間であり、格式の高い順に東から虎の間、鶴の間、桜の間と続く3室の総称とされています。御車寄の昇殿が許された高位の者以外は、諸大夫の間の西側にある沓脱石(くつぬぎいし)から昇降し、身分ごとに各室に控えました。古来、内裏では主要な御殿への昇殿が許される公卿・殿上人と、そうでない諸大夫との間には厳格な区別がありました。虎の間と鶴の間が小紋高麗縁の畳であり、それらの部屋...
12月初旬、京都御所の秋の特別公開「宮廷文化の紹介」に出かけて来ました。京都御所は通年公開していますが、秋と春の特別公開では普段見ることのできない部屋や調度などが公開されます。室内空間を再現した展示は35年ぶりだそう。この日は最終日でもって、日曜でしたので、大勢の見学者で列を成していました。入場口で荷物検査を受け、見学ルートに沿って進んで行きます。天皇の住まいである清涼殿の「西廂(にしびさし)」の調度...
京都市右京区嵯峨北堀町にある曇華院(どんげいん)は、単立宗教法人の尼寺。鹿王院に隣接しています。本尊は十一面観音。曇華院門跡とも呼ばれています。普段は非公開ですが、「秋の京都非公開文化財特別公開」で、本堂、庭園、茶室の他、尾形月耕(げっこう)が描いた源氏物語の錦絵など『源氏物語』にちなんだ寺宝や、源氏物語の世界が描かれている平安時代の遊び・「貝合わせ」の貝などが公開されました。かつて以仁王が住んでい...
「紫式部の書いた第三の物語が『光る君へ』」~NHK大河ドラマが終わった
NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わった。 今回の大河は観方が特殊だ。 視聴者は推理劇を観るように、 脚本家の仕掛けを探った、という話。(写真:フォトAC) 【NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わった】 NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わりました。視聴率は「いだてん?東京オリムピック噺」に続くワースト2だそうですが、確かな爪痕を残したように思います。 個人的には、第2作「赤穂浪士」から60年間も大河ドラマを見続けてきた私にとっては、「平清盛」「麒麟が来る」「鎌倉殿の13人」を押しのけて、断トツの1位に上げたくなる作品です。吉高由里子の押さえた声と目の演技は毎回背筋が寒くなるほどすごかったですし、柄…
京都市右京区嵯峨広沢西裏町にある遍照寺(へんじょうじ)は、真言宗御室派の準別格本山の寺院です。山号は広沢山。本尊は十一面観音。永祚元年(989年)花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって、寛平法皇(宇多天皇)の孫である寛朝僧正が、広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものです。寛朝が没すると次第に衰退、鎌倉時代には後宇多天皇により復興されましたが、室町時代の応仁の乱で廃墟と化しました。奇跡的に難を逃れた赤...
東福寺駅から徒歩5分、京都市東山区本町にある法性寺(ほっしょうじ)は、延長2年(924年)に藤原忠平によって創建されたと伝えられています。藤原氏の氏寺として栄え、藤原忠通(法性寺入道)の時代には、現在の東福寺と泉涌寺までの広大な寺域に大伽藍を構え、京洛21カ寺の一刹に数えられています。その後、兵火により衰退しましたが、明治以降、旧名を継いで再建されました。本堂の千手観世音菩薩像は、旧法性寺の潅頂堂(かんち...
雲林院は、京都市北区紫野にある大徳寺の塔頭です。こちらも『源氏物語』ゆかりの寺院です。もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に託し、ここを官寺「雲林院」とした。884年(元慶8年)、遍昭はこれを花...
おつかれさまです。 大河ドラマ『光る君へ』が終了して、ロスに陥っているそこのあなた!(←わたし) おすすめのドラマを紹介。 『知らなくていいコト』 知らなくていいコト[DVD-BOX] 吉高由里子 Amazon 『知らなくていいコト』は、2020年1月から3月まで日テレで放送されていたドラマ。 主演は 吉高由里子さん 柄本佑さん。 そして、 脚本は大石静さん。 さらに、 佐々木蔵之介さんも! 『光る君へ』とカブる! 放送されていたのは、ちょうど謎の流行り病が日本に来て、世の中がワサワサし始めた頃。 ステイホームとは言え生活の変化に戸惑い、のんびりドラマという感じでもなかったので、見ていない人も…
京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町にある引接寺(いんじょうじ)は、通称千本ゑんま堂と呼ばれています。本尊は閻魔法王。引接とは仏が衆生を浄土に往生させること。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野の入口に立っています。あの世とこの世を行き来して、昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕 えたとの伝説を残す小野篁が、この地に自ら閻魔法王の姿を刻...
京都市北区紫野西御所田(ごしょでん)町に「紫式部・小野篁卿の墓所」があります。なぜこの二人の墓が隣接しているかというと好色な話が多い『源氏物語』を描いた紫式部が、人々を惑わした罪として地獄へ落とされたという噂を耳にした小野篁が、閻魔大王に彼女を地獄から救うようお願いし、助け出した後、自分の墓の隣に埋葬したのではないかといわれています。また、地獄に落ちた紫式部を哀れむ読者が、篁に彼女を助け出して欲し...
【光る君へ】#47 乙丸、渾身の「帰りたい」連発でメンタルボロボロまひろを動かす大活躍。「あと1回」には悲鳴😢終わらないで~
周明の死が悲しくて、私も迷走 NHK大河ドラマ「光る君へ」第47回「哀しくとも」が12/8に放送された。前回終わりで賊の矢を左胸に受けた周明は、やはり絶命。か細い声で、泣き叫ぶまひろに「逃げろ」と言う、切ない最期だった。 乙丸に引っ張られ逃げなかったら、まひろは周明のそばで泣き続けて同様の害を被っただろう事は容易に想像できる。乙丸、姫様を守り切ったね。ナイス。いつも役立たずみたいに書いてゴメンよ。今回、乙丸はきぬとの約束通り、まひろを守り切り、京に連れ帰った。大活躍だ。 公式サイトからあらすじを引用する。 (47)哀しくとも 初回放送日:2024年12月8日 まひろ(吉高由里子)たちは異国の海…
宇治市内には許波多神社(こはたじんじゃ)という名前の神社が木幡と五ヶ庄の隣接する2つの地区にあります。今回参拝したのは、木幡の許波多神社です。藤原道長が寛弘2年(1005)から2年がかりで創建した藤原家の菩提寺「浄妙寺」はこの北東の木幡小学校辺りにあったとされています。社伝では、大化元年(645年)、皇極天皇が夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造...
宇治市の木幡(こはた)は、平安京から宇治に向かう途中にあり、藤原道長をはじめ、藤原氏の埋葬の地でした。藤原氏の菩提寺や墓所・宇治陵があります。そこで、木幡の藤原氏ゆかりの地を巡ってみました。浄妙寺は、藤原道長が寛弘2年(1005)に藤原氏の菩提を弔うために建立した寺です。道長は、1005年(寛弘2年)に木幡三昧堂を、その後も多くの建物を建て、1007年に浄妙寺を完成させました。1005年10月の供養会には、道長や中関白...
おつかれさまです。 今日は、滋賀県最古の木造建築と言われている「石山寺」の本堂を紹介します! 「石山寺」は、天平19年(747)創建の歴史の古い寺です。 重要文化財に指定されている大きな東大門をくぐって境内へ。 左右に安置された仁王像の威厳に背筋が伸びます。 その名の通り、石の山の上に建てられている本堂。 長い石段を登った先にあります。 外観のみ撮影可能なので、内部の写真はありません。 すごい場所に建っているので上手く撮影できず… そこがまた魅力でもあります。 他の建造物も、危なっかしい場所に建てられています。 それにしても、どうやって建てたの? 「石山寺」と言えば紫式部。 本堂の一角には「源…
真如堂、東北院の西側には、後一條天皇の菩提樹院陵があります。後一條天皇は、一条天皇第2皇子で、母は藤原道長の藤原彰子 です。一条天皇藤原彰子後一條天皇一条天皇の第二皇子。母は藤原道長女中宮彰子。その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。三条天皇の譲位(長和5年1月29日、1016年3月10日)により践祚、2月7日(3月18日)に数え8歳で即位。幼帝の...
京都市左京区浄土寺にある東北院は、藤原道長の没後、道長の娘である藤原彰子(上東門院)の発願によって道長が建立した法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立されました。彰子は東北院を建てた後、晩年ここを在所としたため、別称を東北院ともいいます。法成寺の区域の東北にあり、上東門院の母・源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあって「西北院」と呼ばれていたことから、こちらは「東北院」と称せられました。...
縣神社は、永承7年(西暦1052年)、藤原頼道の平等院建立にあたり総鎮守となり、平等院の地主神として祀られています。祭神は木花開耶姫。平安時代、平等院建立以前では藤原道綱の母が、宇治に来た時、『蜻蛉日記』に「あがたの院」に詣でたことを記しています。明治維新までは、大津市の三井寺円満院の管理下にありましたが、「神仏分離令」により三井寺から独立しました。現社殿は昭和11年(1936年)造営。毎年6月5日から6日...
東福寺の塔頭・同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。かつて、この地には延長2年(924年)に藤原忠平が建立した天台宗の法性寺があった。そこに藤原道長が寛弘3年(1006年)に、仏師康尚(定朝の父)に作らせた不動明王を中心とする五大明王を祀った五大堂を建立した。しかし、後に兵火によって不動明王を残して五大堂は焼失した。その後、嘉禎2年(1236年)に九条道家は衰微した法性...
寛仁3年(1019年)3月に藤原道長は胸病の苦しみが激しくなり、剃髪して出家しました。戒師は院源、法名は行観(後に行覚)。『栄花物語』によると、彰子が末妹・嬉子の行く末を心配して出家を制止しようとした、倫子が夫の後を追って出家しようとしたが道長が押し止めたなどの話が伝わっています。晩年は浄土信仰に傾倒、極楽往生を願い、寺の造営に力を注ぎました。1019年(寛仁3)から土御門殿の東にあたる鴨川西岸に、九体阿弥...
宝物殿には、手習観音が祀られています。平安時代中期、小野篁作と伝えられ、『源氏物語』宇治十帖の「手習」の古跡に祀られていたといわれることから、「手習観音(てならいかんのん)」とも呼ばれます。右足の親指が少し浮いているのは、「衆生の困苦をを救うため、すぐ駆けつける」と言う意思を表しているそうです。天竺殿興聖寺は応仁の乱や兵火に遭い、衰退してしまいますが、寛永10年(1633)淀城主として入国した永井尚政(...
本堂(法堂)慶安元年(1648年)に伏見城から移築され、改築されました。堂内には本尊釈迦牟尼仏を中心に両側に文殊菩薩、普賢菩薩を祀るほか、達磨大師、大権修理菩薩、十六羅漢が祀られています。それでは、興聖寺の内部を見学していきましょう。薬医門を潜り、庫裡の入口で拝観の受付を済ませます。庫裏庫裡には、大きな魚鼓(ぎょく)が吊るされています。魚鼓は、仏具の一種で、曹洞宗や臨済宗などの寺院などで僧堂や庫院につる...
興聖寺(こうしょうじ)は、日本曹洞宗最初の寺院で、道元が深草に興聖宝林寺を建立したことから始まり、江戸時代初期の慶安2年(1649)淀城主永井尚政がこの地に復興しました。参道は、そばを流れる小川のせせらぎの音と坂の形が琴に似ていることから、「琴坂」と呼ばれ、紅葉の名所として人気を集めています。道幅が狭いので、両側から紅葉が迫ってくるような感じがします。山門が見えてきました。門前にいた警備員さんが、琴坂...
宇治神社は、隣接する宇治上神社と二社一体の存在であったとされています。創建年代などの起源は明らかではありませんが、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるそうです。祭神は、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)で、その名が宇治の地名の由来とされています。菟道稚郎子は、応神天皇の皇子であり、仁徳天皇の弟です。幼い頃から聡明だったため、父の応神天...
【大津・石山寺】石の山 参り籠りて 光る君|60歳からの御朱印めぐり〔085/541〕
大津市にある石山寺は紫式部ゆかりの寺院。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したとされる「源氏の間」があります。御朱印は直書きでいただけます。
平等院と宇治川の間にあるあじろぎの道は、春は桜、秋は紅葉など四季折々の景色を楽しみながら歩ける川沿いの遊歩道。ベンチも設置されており、、宇治川の景色を楽しみながら休憩できます。石碑の後ろの朱色の端は、は宇治川に浮かぶ塔の島とあじろぎの道を結ぶ喜撰橋。喜撰橋を渡って塔の島へ。橋を渡ると、塔の島にそびえ立つ大きな石塔が見えて来ます。高さ15mの浮島十三重石塔は、現存する近世以前の石塔としては、わが国最大...
【源氏物語】二十七帖「篝火(かがりび)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十七帖「篝火(かがりび)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』二十七帖「篝火(かがりび)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします...
NHK【生中継 古都の春 光る君へ 千年の桜】再放送は?見逃し配信サービスは? 光る君へ関連番組もご紹介。
大河ドラマ『光る君へ』とのコラボ企画として、2024年3月30日に放送された『古都の春 光る君へ 千年の桜 極上の夜桜と平安文化を堪能する2時間』について『生中継 古都の春 光る君へ 千年の桜』の放送を知らなかった。録画するのを忘れた。『光...
『源氏物語』第54帖のうち最後の10帖は、「宇治十帖」と呼ばれ、「橋姫(はしひめ)」「椎本(しいがもと)」「総角(あげまき)」「早蕨(さわらび)」「宿木(やどりぎ)」「東屋(あずまや)」「浮舟(うきふね)」「蜻蛉(かげろう)」「手習(てならい)」「夢浮橋(ゆめのうきはし)」の10帖の総称。主人公薫(かおる)大将と宇治の八の宮の娘、大君(おおきみ)・中君(なかのきみ)、および浮舟との人間模様が語られ、主として宇治の地が舞台となって...
【源氏物語】二十六帖「常夏(とこなつ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十六帖「常夏(とこなつ)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』二十六帖「常夏(とこなつ)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします...
【源氏物語】二十五帖「蛍(ほたる)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十五帖「蛍(ほたる)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』二十五帖「蛍(ほたる)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。『光る...
宇治駅から『源氏物語』ゆかりの宇治を散策しました。駅を出てすぐ目に入るのがこの茶壺型ポスト宇治らしさ満点ですね😄史跡を見ながら宇治橋に向かって行きます。京都銀行宇治支店前に「宇治代官所跡」の石碑があります。宇治代官所跡江戸時代には、この場所に代官所が置かれていました。宇治代官の上林家(かんばやしけ)については、本能寺の変の際に、堺から三河に逃げ帰る徳川家康を先導したと伝えられています。上林家は、将...
藤原道隆の四子・藤原隆家は、996年(長徳2)権中納言の時、兄の伊周(これちか)とともに、花山法皇への暴力事件を起こし、出雲権守(いずもごんのかみ)に配流され、病のため但馬(たじま)に留まりました。997年、東三条院詮子(せんし)の病気によって伊周とともに召還。帰京後は兵部卿となり、のち従三位(じゅさんみ)へ。1002年(長保4)権中納言に再任され、04年(寛弘1)正三位、07年従二位、09年中納言となりました。長和元年(101...
【光る君へ】#45 道長、失恋➡出家!まひろと道長の物語は終わりを迎え、まひろは自立の旅へ
望月の歌を四納言が解説 NHK大河ドラマ「光る君へ」第45回「はばたき」が11/24に放送された。源氏物語を脱稿したまひろ(藤式部)は、これまでの道長との生き方に別れを告げ、羽ばたいていった。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (45)はばたき 初回放送日:2024年11月24日 まひろ(吉高由里子)の源氏物語はいよいよ終盤を迎えていた。ある日、まひろは娘・賢子(南沙良)から、宮仕えしたいと相談され、自分の代わりに太皇太后になった彰子(見上愛)に仕えることを提案。まひろは長年の夢だった旅に出る決意を固める。しかし道長(柄本佑)の反対にあい、ついにまひろは賢子にまつわる秘密を明かすことに。…
石田流芸術展 源氏物語花絵巻@大丸松坂屋名古屋店 本館7階 大催事場
招待券をいただいたので久しぶりに石田流の花展を観に☆ 基本は無料の展示でした☆(混みあった時には招待状を持っている方を優先していたとか。) 会期・会場 【会期日時】1
京都市伏見区の醍醐寺(だいごじ)は、平安時代初期の貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が創建した真言宗醍醐派の総本山となる寺院です。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とし、薬師堂、釈迦堂(金堂)、五重塔が建立されるなど発展を遂げました。釈迦堂(金堂)五重塔弁天堂『源氏物語』第23帖「初音」では、末摘花の兄が醍醐寺の阿闍梨という設定になっています。末摘花(すえつむはな)「源氏物語」の登場...
では、勝林院の境内を散策してみましょう。法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年 (1240)に建立されました。享保21年(1736)類焼し、現在の堂宇は、安永年度に再興されたものです。 法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年 (1240)に建立されました。享保21年(1736)類焼し、現在の堂宇は、安永年度に...
大原の勝林院は、延暦寺の僧・円仁によって創建され、荒廃した後、寂源法師により、長和2年(1013)に復興された天台声明発祥の寺です。寂源は、俗名は源 時叙(みなもとの ときのぶ)といい、左大臣・源雅信の八男、母は藤原穆子。藤原道長の妻・倫子の兄(弟)です。永観2年(984年)、当時侍従であった時叙は、同僚の侍従・藤原斉信、蔵人・藤原宣孝(のちの紫式部の夫)とともに賀茂臨時祭に怠けて出席しなかったことから花山天皇の...
【源氏物語】二十四帖「胡蝶(こちょう)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十四帖「胡蝶(こちょう)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』二十四帖「胡蝶(こちょう)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けしま
【源氏物語】二十三帖「初音(はつね)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十三帖「初音(はつね)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』二十三帖「初音(はつね)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
【源氏物語】二十二帖「玉鬘(たまかずら)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十二帖「玉鬘(たまかずら)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』二十二帖「玉鬘(たまかずら)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届け
客殿の庭園、聚碧園(しゅうへきえん)は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。江戸時代の茶人・金森宗和の作庭と伝えられています。聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は、室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝わっています。(三千院HPよ...
【源氏物語】二十一帖「少女(おとめ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十一帖「少女(おとめ)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』二十一帖「少女(おとめ)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
三千院は、三千院門跡とも称し、青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。8世紀、最澄により比叡山に創建された円融房を起源とされています。その後、移転を繰り返し、明治4年(1871)、現地に移りました。『源氏物語』第39帖「夕霧」で、落葉の宮が母の一条御息所と隠棲した小野の山荘は、この辺りだといわれています。三千院の境内は、境内南を流れる呂川(りょせん)と北を流れる律川(りつせん)と...
サブタイトルは「はばたき」。賢子は女房として羽ばたき、三郎(道長)は出家という形で現世から羽ばたき、まひろは京を旅立って羽ばたく。そしてまひろの出立に、三郎と出会った幼いあの日のような小鳥が飛んでゆく..
それでは、随心院の中を見学していきます。中にも小野小町ゆかりの物が随所に飾られています。小野小町像小野小町うた屏風これは、はねず踊りの人形ですね。随心院では、3月にはねず踊りが行われています。はねず(薄紅色の古名)の梅が咲き誇る中、はねず色の衣装と菅笠の小町と深草少将に扮した少女達の童唄と踊りが披露されるそうです。これも一度見てみたい京の行事です。茶釜能の間には、華やかな障壁画とカラフルな和傘が飾...
【光る君へ】#44 最終回?一同揃った豪華絢爛望月の夜、まひろと道長が万感の思いを交わす
三条天皇を譲位へと追い詰める NHK大河ドラマ「光る君へ」第44回「望月の夜」が11/17に放送された。残り4回。まずはあらすじを公式サイトから。 (44)望月の夜 初回放送日:2024年11月17日 道長(柄本佑)は公卿らにも働きかけ、三条天皇(木村達成)に譲位を迫るも、代わりに三条の娘を、道長の息子・頼通(渡邊圭祐)の妻にするよう提案される。しかし頼通はすでに妻がいるため、その提案を拒否。道長は悩んだ末、皇太后の彰子(見上愛)に相談したところ…。一方、まひろ(吉高由里子)は父・為時(岸谷五朗)から予期せぬ相談を受ける。さらに源氏物語の執筆を続けていると、ある決意を固めた道長が訪ねてきて…(…
【源氏物語】二十帖「朝顔(あさがお)」簡単あらすじ&登場人物と感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十帖「朝顔(あさがお)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。 『源氏物語』二十帖「朝顔(あさがお)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。
小町庭苑入口随心院の本堂裏には、小町文塚があります。小町文塚 深草少将や多くの貴公子から小野小町に寄せられた千束の文を埋めたと伝わります。小町文塚 百夜通いで有名な深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小野小町に寄せられた恋文を埋めたところと伝えられています。 このように丁重に供養された理由として、当時は思いを伝えるために書かれた恋文は、思いの篭ったったものであり粗略な扱いをしては相手に恨まれたり祟...