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不変で普遍で持続的?! 愛とか恋とか...エロとかSEXとか... @ヴェネツィア
皆さん、こんにちは〜( ´ ▽ `)ノ アートの記事を読んでいると時々、目にするのが興味深い「性関係」グッズの記事♂♀ それは現代的なものだけでなく過…
⑤平安の遊び ~偏つぎ~平安時代の遊び「偏つぎ」をしている様子が再現されています。偏つぎとは、主として女性や幼い子が漢字の知識を競い合った文字遊戯の一つ。漢字の旁(つくり)を示して、これに種々の偏をつけた文字を次々と考えさせ、行き詰まると負けになるもの。『源氏物語』では、「葵」の巻で、源氏が紫の君と偏つぎに興じる場面が出てきます。⑥四季のかさね色目に見る平安王朝の美意識かさね色目平安時代には、四季の彩...
日本最古の物語『竹取物語』『竹取物語』は通称で、晴れの場では、『竹取と翁の物語』と呼ばれ、『かぐや姫の物語』とも呼ばれることがあったそうです。『竹取物語』(たけとりものがたり、英語: The Tale of the Bamboo Cutter)は、平安時代前期に成立した日本の物語。「現存する日本最古の物語」とされて、現在では
④女房の日常・局 ~王朝女性の身嗜み・黒髪~平安時代の美人として重視されていたのは、美しい長い髪でした。『源氏物語』に登場する末摘花も、容姿こそ優れていなかったものの、髪だけは長く豊かでした。女房の身嗜み豊かな髪に見せるため、髢(かもじ)をつけた。髢(かもじ)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。平安時代では女性が髪を垂らすためにかもじを補ったとされる...
③仏名会・師走(十二月)の年中行事(『源氏物語』「幻」より)「幻」(まぼろし)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第41帖。出家を前にした光源氏の心情を四季のうつろいを通して描く。十二月、六条院で行われた御仏名の席で、源氏は久しぶりに公に姿を現した。その姿は「光る君」と愛でられた頃よりも一層美しく光り輝いており、昔を知る僧並びに出席した貴族たちは涙を流した。晦日、追儺にはしゃぎまわる三の宮を見る...
②王朝文化の粋を競う婚礼仕度・冊子作り~『源氏物語』に記された明石の姫君の婚礼仕度~(『源氏物語』「梅枝」より)源氏物語第32巻「梅枝」光源氏39歳。明石の姫君の裳着と入内の準備などを描いています。入内が決まると、持参品の草子などが集められます。草子「さくし(冊子)」の変化した語。「ぞうし」とも )(紙をとじ合わせて本の体裁にしたもの。書や歌や文章を書いてあってもなくても、冊子の形態をなしたものをいう。①...
市バス「西本願寺前」下車、西本願寺の斜め向かいのビルにある風俗博物館に出かけて来ました。エレベーターが5階に到着しドアが開くと、いきなり平安時代の世界が広がっています。風俗博物館では、『源氏物語』の六条院の館「春の御殿」を4分の1のサイズの模型で作り、人形・調度品・寝殿などで、源氏物語の世界を表現しています。①六條院移徙(『源氏物語』「少女」より)②王朝文化の粋を競う婚礼仕度・冊子作り~『源氏物語』に...
前回の記事でご紹介しました、三日目の風俗博物館。なかなかにマニアックな博物館でしたが、源氏物語好きとしては「たまらん」博物館だったので、別記事といたします。前回の記事でちらっと書きましたが、こちら源氏物語で六條院と聞いたら女主人たちが思いう
長崎のAさん関西ツアー④ (京都 風俗博物館からの~宇治へ)
やばい。。1ヶ月前の事なのに、記憶がもうあか~~ん💦Aさんのアテンド3日目は、めちゃハードな日程でっせ~~(詰め込み過ぎやん。。?)この日は、Aさんの👘仲間と一緒に行動します。メンバーは、Aさん、初日に夕食を一緒に食べたおじさまNさん、三重からの参加MちゃんそしてFちゃんと私の5人。女子チームうぬぅ。。おじさまと背が変わらん。。。男チーム(笑)まずは、京都駅近くの風俗博物館へビルの中のフロアに【源氏物語~六條院の生活~】が展示されています。ここには、10年前ぐらいに友達と行った事があって、当時はガラガラだったので貸切状態で見学できたし、平安衣装を着れたりしたんだよねぇ(詳しくはこちら)リニューアル後は衣装体験もなくなって、大河の影響か結構お客さんがいたわぁさぁ~~雅な世界を紹介するよ~~んひゃ~~~優雅ね...長崎のAさん関西ツアー④(京都風俗博物館からの~宇治へ)
京都の五条大橋です。愛知に帰る前に京都に立ち寄りました。 旧五条楽園 サウナの梅湯 五條会館 特殊喫茶 丸福楼 渉成園 東本願寺 風俗博物館 西本願寺 唐門 鐘楼 飛雲閣 京都駅 旧五条楽園 鴨川の西側を並行して流れる高瀬川です。 この一角は以前、英語ガイドさんが案内する外国人向けのウォーキングツアーにお邪魔した時に訪れたことがあります。8年ぶりの訪問ですね。 あまり日本人観光客が訪れないエリアかと思います。 菊浜と呼ばれるこのあたりは江戸時代から明治にかけて、京都最大の色街だった五条楽園がありました。(2010年くらいまで現役だったらしい) 8年間で何か変わっているかな?と、ぶらぶら歩きます…