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最後は、石清水八幡宮の摂社の高良神社に参拝しました。吉田兼好の「徒然草」には、仁和寺の法師が八幡宮参詣に来た折り、間違って高良神社に参詣したエピソードが記されています。徒然草第52段仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比...
石清水八幡宮の山上からケーブルで降りて、山麓の下院を散策しました。表参道には、八幡宮の門前名物・走井餅(はしりいもち)のお店があります。元々は、大津で江戸時代に創業した店で、大津の走井という名水を使い、餅や餡を作ったそうです。それが、大津名物となり、歌川広重の錦絵「東海道五十三次」にも茶店として登場しました。明治の終わりには、京都の八幡にも支店を出し、八幡名物となったそうです。こし餡をお餅で包んだ...
『源氏物語』第二十二帖では、筑紫から都に戻った玉鬘が、参拝する神社として描かれ、『枕草子』には、祭りの様子や一条天皇が行幸から帰る様子が書かれています。八幡神は、源氏の氏神として知られ、源氏は全国各地に八幡大神を勧請しました。源氏の源義家は、石清水八幡宮で元服し、自らを八幡太郎義家と名乗りました。義家の父である源頼義が石清水八幡宮を河内源氏の本拠地・河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壺井)に勧請したの...
京都府八幡市の石清水八幡宮は、男山の丘陵上に鎮座することから男山八幡宮ともいわれています。清和天皇の859年宇佐神宮から分祀したのが始まりとされ、平安京においては北東側の鬼門を守護する延暦寺に対し、南西側の裏鬼門を守護する神社として位置づけられました。国家鎮護の神として朝廷の篤い保護を受け、度々天皇の行幸が行われました。藤原道兼は、一条天皇の即位行事や石清水八幡宮の行幸を取りしきり、昇進を重ねていき...
京都市東山区粟田口鍛冶町にある粟田神社は、平安時代、清和天皇の時代の貞観18年(876)、素戔嗚尊を氏神として創建されたと伝わります。石段下の道は旧東海道・東山道であり、この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口であり、京都を行き来する旅人は旅の安全を祈願し、旅立ち守護の神として崇敬されました。『源氏物語』第16帖「関屋」では、石山寺に向かう光源氏は、粟田山(粟田口)を越えて、関(逢坂の関)に...
【光る君へ】#17 胡蝶の夢か、長兄・道隆が逝去。権力は移ろい道長の世が近い
NHK大河ドラマ「光る君へ」第17回「うつろい」が4/28に放送された。これから源氏物語を書いてもらわなくちゃいけないので、主人公まひろは疫病を克服し生き永らえた。彼女を寝ずに看病した道長も、これから権力者の階段を急速に上るところだから疫病にもならず、元気いっぱいだ。公式サイトからあらすじを引用する。 (17)うつろい 初回放送日:2024年4月28日 一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。その頃、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・…
室生寺と長谷寺でご朱印を頂いてきました。室生寺から長谷寺へ。 『①大人の遠足、奈良室生寺〜長谷寺へ。』日帰りバスツアーに参加し室生寺〜長谷寺へ行ってきました。…
パソコン教室の先生のおすすめの骨伝導ワイヤレスイヤホンを購入。大河ドラマがらみで源氏物語を読み直したいと思っていたけれど、読むのはハードルが高くオーディオブックで朗読を聴くことにしたのです。骨伝導イヤホン、耳にかけてこめかみに当てるのでとても楽です。耳を
こんにちは。いろはです。城下町のマンションでひとり暮らし。セミリタイア中です。 今の時期は緑が本当に綺麗ですね。久しぶりにお参りした梨木神社の緑に癒されまし…
※2011年に見学した祇園祭の山鉾巡行の続きです。北観音山(きたかんのんやま)楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天像(いだてんぞう)を祀る曳山で、後祭りの山鉾巡行の先頭を行き、「上り観音山」と言われます。元は昇山でしたが、後に曳山へと改められました。その名残として真木には松の木が立てられ、山鉾巡行時には、山の後ろに柳の大枝を差しています。橋弁慶山(はしべんけいやま)ご神体人形は、弁慶と牛若丸。...
【期間限定】石山寺店限定の『石餅』がで全店舗で販売中 叶 匠寿庵
おつかれさまです。 午前中はキーボードの隙間にたまったホコリを取って終わりました。GWの中日は暇なので、1日2回投稿させていただきます。よろしければお付き合いください。 今日は、叶 匠寿庵の『石餅』を紹介します! 叶 匠寿庵は全国に店舗がありますが、『石餅』は滋賀県大津にある「石山寺」が発祥の地。 こちらは「石山寺」の門前に店を構える石山寺店。 「石山寺」と言えば、寺の象徴でもある雄大な硅灰石。 この硅灰石に見立てたのが『石餅』。 石山寺の名物として親しまれています。 餅の上にはたっぷりの小豆餡。 ふわふわ・やわやわな餅ではなく、しっかりとした弾力がある餅です。 素朴な食感と優しい甘さでおいし…
源氏物語 4 (河出文庫 か 10-9)源氏物語 5 (河出文庫 か 10-10)4巻では、夕顔の忘れ形見、玉鬘をめぐるあれこれが描かれました。紫の上の時は、幼い頃に引き取って自分のモノにしてしまった光君だったので、この玉鬘も結局は光君の思い通りにしてしまうんだろうと思ってまし
※2011年に見学した祇園祭の山鉾巡行の続きです。鶏鉾(にわとりぼこ)中国の史話「諌鼓(れんこ)」より取材した鉾。昔、堯(ぎょう)の時代に天下がよく治まり、政治に不満がある時に叩かせる訴訟用の太鼓(諌鼓)に鶏が巣を作ったという故事によります。伯牙山(はくがやま)「琴破山(ことわりやま)」ともいわれます。ご神体は、知音(ちいん)の語源でもある琴の名手・伯牙が、友人鐘子期の死を聞いて、琴の弦を断ち再び琴を...
長崎のAさん関西ツアー④ (京都 風俗博物館からの~宇治へ)
やばい。。1ヶ月前の事なのに、記憶がもうあか~~ん💦Aさんのアテンド3日目は、めちゃハードな日程でっせ~~(詰め込み過ぎやん。。?)この日は、Aさんの👘仲間と一緒に行動します。メンバーは、Aさん、初日に夕食を一緒に食べたおじさまNさん、三重からの参加MちゃんそしてFちゃんと私の5人。女子チームうぬぅ。。おじさまと背が変わらん。。。男チーム(笑)まずは、京都駅近くの風俗博物館へビルの中のフロアに【源氏物語~六條院の生活~】が展示されています。ここには、10年前ぐらいに友達と行った事があって、当時はガラガラだったので貸切状態で見学できたし、平安衣装を着れたりしたんだよねぇ(詳しくはこちら)リニューアル後は衣装体験もなくなって、大河の影響か結構お客さんがいたわぁさぁ~~雅な世界を紹介するよ~~んひゃ~~~優雅ね...長崎のAさん関西ツアー④(京都風俗博物館からの~宇治へ)
こちらはドイツのフランクフルトのゲーテの生家です。(公式のゲーテハウス生家ホームページより) 「過去に思いを馳せる」 ちょっと未来の自分を想像はしても、何百年前かに思いを馳せること、なかなかないですよね。 昔の文学、たとえば 紫式部と清少納言によって、およそ1000年前に書かれた源氏物語と枕草子。 シェイクスピアは1564~1616のリア王などの四大悲劇、ロミオとジュリエットなどを書いた劇作家。 ゲーテは1749~1832にファウストや若きウェルテルの悩み、など書いています。(ちなみなゲーテについては、エッカーマンによる「ゲーテとの対話」が有名です。) これらの文学や映画をみて私たちは遠い昔に…
日本三大祭の一つに数えられる祇園祭は、八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれました。八坂神社 西楼門四条通りの突き当たりに建つ切妻造の楼門。南楼門八坂神社の正面門にあたる楼門。舞殿本殿現在の社殿は承応3年(1654)に4代将軍徳川家綱により建立されたもので、拝殿と本殿を大屋根で覆った特殊な建築様式から「祇園造」と呼ばれています。貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地...
京都市東山区の観光名所である音羽山清水寺は、778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝わっています。法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史があり、平安時代には、観音霊場として信仰を集めました。清少納言の『枕草子』では、「さわがしきもの」の例として、清水の縁日が挙げられています。紫式部の『源氏物語』第4帖「夕顔」では、「清水の方ぞ 光多く見え 人の気...
【光る君へ】#16 道長&まひろ悲田院での再会。別れから8年、すれ違いから4年(オリンピック?)
NHK大河ドラマ「光る君へ」第16回「華の影」が4/21に放送された。まひろと道長のニアミスや再会があっても、一喜一憂せずフラットに受け止めると前回のすれ違いで反省して書いたが、今後は「いと」が私の代わりに大騒ぎしてくれそう。いと、いいねー。 公式サイトからあらすじを引用する。 (16)華の影 初回放送日:2024年4月21日 石山寺からの帰路、まひろ(吉高由里子)は思いかけず、さわ(野村麻純)を傷つけていることを知り落胆する。宮中では、後宮に伊周(三浦翔平)や弟の隆家(竜星涼)らが集い賑わう中、詮子(吉田羊)が現れる。一条天皇(塩野瑛久)らが緊張する中、伊周は・・・その頃、都で疫病がまん延し…
京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信清の娘の坊門信子(西八条禅尼)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。また、当寺は光源氏のモデルとなったという源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河...
五条大橋の南東(下京区木屋町通五条下ル)に源融河原院跡の石碑があります。紫式部の『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院があった地とされています。この辺りは河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある榎は、森にあった木の最後の1本とされています。源融河原院跡この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公 光源氏のモデルの一人と...
縮遠亭印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室。西側入口の土間から入ると、茶室(抹茶席)あり、四畳間が付く構成をとっています。その南端から斜めに続く板間を経て、三畳敷の上段の間が連結されており、上段は床を高く支えた舞台造りになっています。上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見晴らせたとのことですが、江戸後期には、すでに樹木が繁っていて、見えなくなっていたそうです。源融が奥州塩...
蘆菴(ろあん)二階建ての茶室で、階下は七畳、西側に床を構え、二方に縁がついています。階上は主室四畳半に、台目三畳の次の間があります。主室北側を板敷きとし、中央に赤松の曲木を立てて、左を床とし、右脇には二重棚があります。二方肘掛け窓からは、眺望を楽しむことができる煎茶席です。「盧庵」は、江戸時代の文書では、「露庵」と書かれており、中国・唐代末(9〜10世紀)の禅僧・雲門文堰(うんもんぶんえん)の言行録...
スーパーのブックラックにこんな本が。 この手の本が出回っているということは、平安時代に興味を持つ層が増えたということなのかな。 かくいう私の周りでも月曜日は「光る君へ」が話題の中心だし、急に光源氏を読み始めた友達もいて平安ブーム到来です🤩 2月23日の日記 腰を据えてじっ...
京都市下京区の渉成園は、「お東さん」と京都市民に親しまれている東本願寺の庭園で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸とも呼ばれています。1641年、徳川家光によって現在の土地が寄進され、、1653年、本願寺第13代宣如上人の願いによって石川丈山が作庭。江戸時代の二度にわたる大火により建物はすべて類焼しましたが、明治初期に復興されました。四季折々の風情を楽しむことができ、国の名勝にも指定されてい...
NHK大河ドラマ「光る君へ」の違和感をAIに聞いてみた。なるほど、なるほど。多少矛盾する回答もあるがおおよそ理解出来る。
悲田院は、奈良・平安時代に,身寄りのない貧窮の病人や孤児などを収容した公設の救護施設で、「悲田」とは慈悲の心で哀れむべき貧窮病者などに施せば福を生み出す田となるの意。聖徳太子が四天王寺に建てたと伝わっていますが、723年(養老7)奈良の興福寺に施薬院(せやくいん)とともに設けられたのが初見。光明皇后もまた施薬・悲田の二院を設けています。これを継承して平安時代には、平安京の東西二カ所に施薬院別院として東...
藤原氏の氏寺である奈良の興福寺は、天智天皇8年(669)藤原鎌足の夫人鏡女王(かがみのおおきみ)が、山城国山階(京都市山科区)に山階寺(やましなでら)を創建したのに始まり。天武天皇元年(672)大和国高市郡厩坂(うまやさか)(奈良県橿原市)の地に移して厩坂寺と呼ばれました。和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。その後は、天皇家や藤原氏の手によって次...
現在の大河ドラマ光る君への時代です。この時代あまりドラマになることはありませんでした。内容は戦国時代と比較して新鮮です。平安貴族の優雅な生活が描かれています。ドラマ自体は藤原姓の登場人物が多く人間関係が複雑、難解です。平安時代の貴族の優雅な生活が忍ばれます。過去の投稿記事です。源氏物語の現場紫式部-リタイアじーじの徒然絵日記いよいよ来年の主役、紫式部の登場です。石山寺には、お堂の一画にに紫式部の人形がこんな風に展示されています。お堂の一画で、こんな感じで、源氏物語を執筆されていたの...gooblog石山寺東大門重要文化財-リタイアじーじの徒然絵日記大津市の三番目の名刹石山寺です。来年の大河は紫式部だそうです。来年の舞台になるのでしょう❗きっと延暦寺、三井寺と比較するとこじんまりしています。東大門は頼朝に...平等院鳳凰堂国宝
【光る君へ】#15 まひろ、道綱の母に示唆され作家の道に光を見出す
NHK大河ドラマ「光る君へ」第15回「おごれる者たち」が4/14に放送された。何も踏み出せなかった歯がゆい時期を経て、闇から立ち上がるヒントを石山寺で得ることができた主人公まひろ。ここから「書くこと」へと思いが動き、いよいよ紫式部の「源氏物語」ワールドが花開くか・・・! まずは、あらすじを公式サイトから引用する。 (15)おごれる者たち 初回放送日:2024年4月14日 道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公…
大沢池の池の周りを歩いて行きます。紀友則詠碑「ひともとと おもひし菊をおほさわの 池のそこにもたれかうえけん」大沢池と菊島名古曽橋心経宝塔昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置、宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀っています。名古曽の滝跡名古曽の滝は離宮嵯峨院にあった滝殿庭園内に設けられたもので、『今昔物語』では百済川成が作庭し...
日本を代表する古典文学といえば紫式部の「源氏物語」。2024年のNHK大河ドラマが紫式部を主人公とする「光る君へ」とあって、にわかに源氏ブームが起きていそうです。今からおよそ1000年以上前に成立したこの世界最古ともうたわれる日本文学史上の傑作。全文を読んだことはなかろうとも、義務教育を受けた人ならばその名前を知らぬはずがありません。でも、多くの人にとりましては、教科書に出てくる、土佐派のやまと絵に描かれた、引き目鉤鼻のもったりした白い顔の男女の色恋沙汰の物語、そんなざっくりしたイメージしかないのではないでしょうか。古典の授業でも、「枕草子」だとか「徒然草」だとか「今昔物語集」だとかはともかく、「源氏物語」それ自体が教材になったり、テストに出た記憶もあまりありません。まあ、危険なラブアフェアの連続ですから...あなたの源氏物語はドコから?
このまま暖かくなるたろうとホットカーペットカバーを洗濯し片付けました。床が見えるとすっきりします。季節が変わると断捨離熱がふつふつと湧いてきます。誰も彼も?実…
大覚寺の東に位置する大沢池は、唐の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したもので、庭湖とも呼ばれます。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、平安時代前期の名残をとどめる周囲約1kmの日本最古の人工の庭池とされています。「名古曽滝跡」とともに国の名勝に指定されており、毎年、中秋の名月の頃、「観月の夕べ」が催され、大沢池に竜頭船や鷁首船での遊覧が楽しめます。春は桜の名所でもあり、池の周...
春の京都旅、初日は廬山寺へ↓ 『紫式部が源氏物語を執筆したとされる京都の廬山寺』先日、京都へ行ってきました (転勤先で知り合った元地域猫と会うため、半年に1回…
石山寺。源氏物語の中でも光源氏が訪れていたり藤原道綱の母(蜻蛉日記作者)も祈願に訪れています。紫式部もこの石山寺で源氏物語の構想を練ったと言い伝えがあります。…
滋賀県野洲市喜合のさざなみ街道沿いにに紫式部の歌碑があるとのことで、守山市在住の友人が画像を送ってくれました。「おいつ島 しまもる神や いさむらん 浪もさわがぬ わらわべの浦」 沖の島は、古くから人の心をとらえていた島で、歌に詠まれたり、文学の中にその名をとどめている。 この歌は、紫式部が、沖の島の対岸であるあやめ新田童子が浦のこの地から、遠く沖の島を望んで詠んだものと言われている。 平成五年三月...
人生初の御朱印を頂きました。並ばず頂けたのが幸いしました。バスツアーに便乗し源氏物語由来の石山寺、大河ドラマ館〜源氏物語ミュージアム〜宇治橋〜平等院へ大満足の…
「枕草子『香炉峰の雪』は第何段なのか問題」NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ていたら、来週の予告で中宮定子が「香炉峰の雪」と言ったところで番組は終わった。有名な…
多宝塔からさらに上に上がっていくと、見晴らしの良い所に出ます。「近江八景 石山の秋月」で描かれており、瀬田川の光景を眼下に望むことができます。月見亭保元年間、後白河上皇の行幸のために建てられたといわれています。光堂平成20年(2008年)石山を発祥の地とする東レ(株)によって寄進されました。本堂と同様懸造りになっています。光堂の周りでは、早咲きの桜に出会えました。紫式部の像源氏苑の一角にあります。紫式部は、...
三十八所権現社本堂のすぐ東側にある鎮守社で、現存する文献などから慶長7年(1602年)に淀殿により再建されたものと考えられています。祭神は、神武天皇から天智天皇までの38代の歴代天皇。経蔵石山寺一切経や校倉聖教などの文化財を収容してきた校倉造の建物。屋根は瓦葺で、校倉造では珍しい切妻造となっています。紫式部供養塔石山寺で『源氏物語』を起筆した紫式部の供養塔。鎌倉時代に作られた石造の宝篋印塔で、その傘が三...
NHK大河ドラマ「光る君へ」:香炉峰の雪、いかならむ雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに、「少納言よ、…
石山寺の本堂へと続く階段を上っていきます。本堂正堂と礼堂が幅一間の相の間で繋がれていて、礼堂は急な斜面に造られているため、懸崖造になっています。懸崖造で有名なのは、京都の清水寺の本堂ですね。正堂は、承暦2年(1078年)に半焼した後、永長元年(1096年)に再建され、礼堂は、慶長7年(1602年)淀殿の寄進によって建てられました。本堂にある「源氏の間」は、紫式部が『源氏物語』の構想を練り、書き始めた場所と伝えられてい...
『源氏物語 紫の結び』荻原規子訳 理論社 第一巻 第二巻 第三巻 * * * 順番が前後して先に荻原規子さんの源氏物語解説本を読んでしまいました。 その後、荻原規子さん訳の「源 […]
先日、京都へ行ってきました (転勤先で知り合った元地域猫と会うため、半年に1回訪問) その際に参拝したのが、廬山寺↓ 紫式部の邸宅址で、源氏物語を執筆した場所…
年金支給日。私がもらってるのは、特別支給の老齢厚生年金、少ないけど生活の糧。 振込金融機関へ行き記帳、固定資産税一期分納付して来ました。 1年分の支払いを全て…
おつかれさまです。 トイレに行くとき、 「厠(かわや)に行ってきます」 と言いたくなるほど 大河ドラマにどハマリ中 の腰掛けOLです。 先週、滋賀県大津市にある『石山寺』に行って来ました! 4月14日放送の『光る君へ』第15回「おごれる者たち」にも「石山寺」のシーンが登場しました。 石山寺とは 紫式部ゆかりの寺 石山寺の桜 月見亭と桜 アクセス 石山寺とは 滋賀県大津市にある「石山寺」は、奈良時代に創建された寺。 「石の山の寺」という名前の通り、大きな石の上に位置しています。 迫力のある硅灰石(けいかいせき)は、国の天然記念物に指定されています。 そして、「石山寺」はとにかく広い! 伽藍山とい…
平安時代の人々は、霊験あらたかな石山寺の観音様に会いに行くのが大きな楽しみでした。藤原道綱母もその一人で、『蜻蛉日記』には朝早く都を出て、逢坂(おうさか)の関を越えて近江に入り、打出浜から舟で琵琶湖から瀬田川へ進み、夕方頃に石山寺に入ったと記されています。まさに一日がかりの石山詣だったようです。逢坂の関打出浜大河ドラマ館を出て、境内を散策していきます。明王院の前には、比良明神影向石があります。ここ...
石山寺では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」と「源氏物語 恋するもののあはれ展」の2つの展示を見学できます。明王院では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」を開催中。ドラマに登場する衣装や小道具、撮影の裏側を知ることができるパネルなどを展示。まひろとききょうのフォトスポット「光る君へ」の台本 まひろが書き写した後撰和歌集キャスト・スタッフのインタビューなどの映像を4Kシアターで上映。世尊院では、...
【光る君へ】#14 兼家没、遠ざかったまひろと道長は各自もどかしい空回り
前回ブログについての反省 NHK大河ドラマ「光る君へ」第14回「星落ちてなお」が4/7に放送され、オープニングのトリを飾っていた藤原兼家(演・段田安則)が没した。ここまで公の硬派的な物語を引っ張ってきた功労者、まだまだ居てほしかったが・・・そんなことを言ったら、いとに叱られるか。 まずはあらすじを公式サイトから引用しよう。 (14)星落ちてなお 初回放送日: 2024年4月7日 仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納…