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戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰がらみの事件に遭遇している。たとえば、領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、一揆衆側に味方する家臣も少なくなかったことで、この時は、当の家康自身が「命の危機」に晒さ
「その3」のつづきです。山頂の城跡を攻略したので、下山して麓の居館部を攻めます。八王子城の縄張りは、標高445 m、比高約240 mの深沢山(城山)山上に...
三木自綱が永禄年間に築き、豊臣秀吉の命で金森長近に天正十三年(1585)に落とされた松倉城三ノ丸跡で、巨石を組んだ埋門(うずみもん)が発見された。 17日午前10時と午後1時半から現地説明会があるという。[朝日新聞・中日新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
「その2」のつづきです。いよいよ山頂の八王子城本丸に向かいます。 本丸への登り口は小宮曲輪からのルートと中の曲輪からのルートがありますが、中の曲輪から登り...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「やっと会えたな、吉川元春」豊前小倉城(ぶぜんこくらじ…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春の周りには白い雪景色が広がっていた。目の前には子供…
せんだいメディア―テークで【甲冑の展示】をやっていた 宮城県仙台市
「仙台・青葉まつり」の一環だそうですが、1階で戦国武将の甲冑が7体展示されていました。伊達政宗公をはじめとする超有名武将のものばかり。東京にある映画やドラマの撮影に使う道具として甲冑などを貸し出している会社のものだそうです。NHK大河ドラマにも貸し出したりしているんだとか。どの甲冑もかっこよかったし、重厚感と美しさがありました。僕が見ている時、他には小さい子を連れたご家族がいたんですが、甲冑の前に子どもを立たせて記念撮影をしようとしたら、怖いと言ってものすごく嫌がっていました(笑)。
「その1」のつづきです。登山口から登ること約30分、八王子城本丸下の中の曲輪に到着しました。 左奥に見える建物は、八王子神社の社殿、右手の建物は登山客の休...
最近はまっている御朱印集め。日本全国の神様、仏様にお礼を言って、お願いして回っています。このGWには、関西に行ってきました。目的はジンベイザメを見に海遊館に行くことだったのですが、大阪や京都、滋賀などの神社・仏閣で御朱印もいただいてきました。大阪では、大阪城を見物に行ったら、敷地内に豊臣秀吉公の神社があったので寄ってみたのですが、そこでびっくりする出来事がありました。豊臣秀吉は厳しくて現実主義!?豊臣秀吉ゆかりの神社は
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正14年(1586年)10月初め、元春は毛利輝元(も…
たまたま遭遇した奈良の大仏さんの紹介記事には、こんなことが書いてありました。 ~(奈良・東大寺の大仏は)第45代・聖武天皇の発願で745年に制作が開始され、 752年に開眼供養会が行われた~ 現在からなら1,400年近くも以前のことになりますから「メッチャ大昔の出来事」 ...
【「天下人のスマホ」シリーズ『秀吉のスマホ』】群雄割拠の戦国時代を舞台にした「天下人のスマホ」新シリーズ。
秀吉のスマホ,天下人のスマホ,ミニドラマ,豊臣秀吉,徳川家康,織田信長,歴史,どうする家康,
【豊国神社】大阪城公園にある豊臣秀吉ゆかりの神社へ!仕事運のご利益を授かろう!
大阪を観光するにあたり大阪城天守閣はまず外せないですよね。でもその大阪城公園の中に秀吉公を祀る神社があるのをご存じの方意外と少ないんじゃないでしょうか?今回はその豊臣家ゆかりの「豊国神社」をご紹介させていただきます。この記事を読めば秀吉公を
過日、東京出張の折、1日だけオフがあったので、かねてから行きたかった東京都八王子市にある八王子城跡を訪れました。八王子城は、小田原城を本拠とする北条氏の3...
小谷城跡から小谷寺へと自転車を進めて行きました。小谷寺は、小谷山の麓にあり、浅井家の祈願寺としてお市の方や浅井三姉妹もたびたび詣でたと伝わります。小谷落城の際、本尊以外は焼失してしまいましたが、後に長浜城主となった豊臣秀吉により再建されました。如意輪観音像や両界曼荼羅双幅は長浜市指定文化財となっています。 小谷寺は、今から約1280年前、聖武天皇の神亀5年(728)、加賀白山の開祖・泰澄上人が、白山から伊吹...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正14年(1586年)8月…「皆、立派に戦ってくるの…
醍醐山一帯に広がる「醍醐寺」、豊臣秀吉設計の庭園も残る【京都・京都市】
醍醐山の山麓一帯に広大な寺域を持つ醍醐寺。京都最古の木造建築物の五重塔を始め、歴史的建造物が多く残る。豊臣秀吉が盛大に花見をおこなったことでも知られる、秀吉ゆかりとのゆかりも深い寺院です。
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「元春が出陣するのか!?」大阪城に秀吉(ひでよし)の声…
■血塗天井と俵屋宗達の襖絵 浅井長政の菩提を弔う「養源院」(京都府京都市)
(写真:『養源院』は豊臣秀吉が建立したにも関わらず徳川の家紋が掲げられる数奇な歴史を持つお寺でもあります)『養源院』は豊臣秀吉の側室・淀君が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した寺であり浅井氏の菩提寺になります火災によ
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正14年(1586年)4月、大阪城(おおさかじょう)…
#163 まとめ 徳富蘇峰氏による信長・秀吉・家康の歴史三部作
司馬遼太郎先生の歴史小説の種本ともいわれた徳富蘇峰氏の『近世日本国民史』の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を年末年始に読もうと思いながら、ようやく2月に読了したの…
【清和源氏】編『新田一族』章「山名氏」節 13.山名祐豊・弐
山名祐豊及び、甥の山名豊国は、織田信長が、但馬国・因幡国の国主としての山名氏の地位を否認したことに不満を持っていた。 家臣の太田垣氏は、鉱山利権を巡り、織田…
【清和源氏】編『新田一族』章「山名氏」節 11.山名祐豊・弐
1560年(永禄三年)、山名祐豊は、弟の山田豊定が死去すると、自身の長男、山名棟豊を因幡守護代として派遣した。 しかし、翌年の月に山名棟豊は、十八歳で、死去…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)10月…四国攻め後、元春は再び…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。戦は終わり、元春は経言(つねのぶ、後の広家)と共に炎上…
金ヶ崎の戦いで京都に逃げ帰った織田信長は、その約2ヶ月後の元亀元年(15670年)6月、大軍を率いて北近江に侵攻します。その目的は、金ヶ崎の戦いの際に反...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜金ヶ崎で浅井長政の裏切りに会うところからだねってことで第15話の感想ぉ〜!浅井長政の裏切りから、なんとか金…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「お前は吉川元春!!」伊予国の野々市ヶ原から逃れた金子…
■「琵琶湖クルーズ」日本三大弁財天『竹生島』(滋賀県長浜市)
目次 1 北琵琶湖の雄「浅井長政」が大切にしてきた島 2 島までは35分の琵琶湖クルーズ 3 島全体が神仏の宿る「聖域」 4 大坂城の遺構が竹生島宝厳寺に移築された 5 「かわらけ投げ」に願をかける 1 北琵琶湖の雄「浅井長政」が大切にしてきた島 (写真
【チャットGPT】で信長・秀吉・家康の生涯を聞いてみたら驚きの答えが!!
今や政治のニュースでも話題に出てくるのがChatGPTですが、公明党の山口那津男氏が自分の事を聞いたら、そのような人物は
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春と経言(つねのぶ、後の広家)は忍びの弥助(やすけ)…
1871(明治4)年4月19日(新暦6月6日)に江戸時代には武士にのみ許可されていた乗馬が一般人にも許可されたことにちなむ。 それまでも農作業や荷物運搬用の馬にひかせた荷車に乗るのは問題ありませんでした。 また馬方や馬子が付き添う馬の背に乗るのは「自分で馬を操っているわけで...
読売カルチャーセンター錦糸町で「徳川家康はなぜ最後に天下人になれたのか」という題で公開講座を開き、「戦国の三英傑」について話した。織田信長(1534~82)、豊臣秀吉(1537~98)、徳川家康(1542~1616)の性格の違いを話した際に、有名な「ホトトギスの歌」を取り上げたのだが、時間の関係で十分話せなかった。補足をかねて再録することにしたい。 有名なのは『甲子夜話』だが 作者は聡明な名君、松浦静山か 『甲子夜話』より古い『耳嚢』 ほかにもある出典候補 有名なのは『甲子夜話』だが 「ホトトギスの歌」は三英傑の性格の違いを端的に示した狂歌として有名だ。実際に3人が詠んだ歌ではなく、江戸時代後…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)6月27日、羽柴秀吉(はしばひ…
どうする家康 第14話「金ヶ崎でどうする!」 ~金ヶ崎の退き口~
永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿記』によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。そ...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)春…四国は土佐国の岡豊城(おこ…
【京都・醍醐寺】太閤の 桜の寺に 古都の春|60歳からの御朱印めぐり〔041/541〕
醍醐寺は豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」で有名な京都の桜の名所。境内の至る所で桜が咲き誇り、「桜の寺」と呼ぶにふさわしい景観が広がっていました。
【読書】王者の妻(下)今年の大河ドラマ『どうする家康』を観ていて、戦国時代を読みたいなと思っていたところで見つけた、永井路子さん著作の『王者の妻』。Kin…
里見義頼の死後、安房里見氏の家督を継承したのは、里見義頼の長男、里見義康である。 1588年(天正十六年)、里見義康は、父の義頼に引き続き、増田長盛の取次の…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)1月、毛利輝元(もうりてるもと…
うん。姫路城はどういう真っ白かと言う歴史があるか言うのを買いましたっていうか姫路城に行ったんですけど、姫路っていうのはその地理的にアイリス西日本ますおそらく昔の人からしたら九州とか四国っていうのはまぁ割と未知の世界になっていて中国地方もそうかもしれないんですけど、そこに対しての端っこの拠点って言うような感じの位置づけなのかなって思いました。昔の人というか。京都が日本の中心なので京都とか大阪名古屋の辺の辺の人達から見るとやっぱりその辺が姫路が西の間自分たちのわかる範囲での端なのかなぁって言う感じです。姫路と言えば黒田官兵衛が生まれたところであります。黒田官兵衛は姫路の城主の子供だったかなとして黒…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正12年(1584年)1月、大阪城…現在の大阪城「ま…
あの戦国武将に似合うクルマはこれだ! 独断と偏見で勝手に選んでみた
日本史にその名を刻んだ歴戦のツワモノたる戦国武将たち…名将、智将、猛将、いろんな武将が頭に浮かびますが、今回はそんな戦国武将たちが現代社会に生きていたら、彼らはこの時代にどんなビジネスで活躍していたんでしょうか?そしてどんなクルマが似合いそ
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正11年(1583年)11月、経言(つねのぶ、後の広…
日本で最初に行われた土地調査(測量)です。 戦国時代の武将豊臣秀吉が、農民の田畑について一筆ごとに広さを測り、土地の石高(収穫量)などを定める「太閤検地」を行いました。 統一的な方法により全国規模で行われました。 度量を […]
今日も肌寒く感じたのに、石油ファンヒーターを点けると汗だくだった。 PMSと低気圧の怠さと花粉症の鼻詰まりでボロボロだけど、とりあえず何とかなっている。 小田原厚木道路の平塚PAで見つけた、ヤマザキの低糖質うずまきパン。チョコとミルクの2種類あった。 コストコで売っているCut and slimの方がしっとりフワフワだけど、これもダイエット食品にしては凄く美味しい方だと思う。 近所では一度も見かけたこと無いな。パンまつりシールも付いていなかったし。 カタツムリみたいで可愛い。低糖質ではないうずまきパンより100kcalぐらい低かったと思う。 肉のハナマサで冷凍3色パプリカを買ってみたはいいけど…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「待たせたの〜!わしが秀吉(ひでよし)じゃ!」大阪城(…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。経言(つねのぶ、後の広家)は兄、元長(もとなが)から、…