メインカテゴリーを選択しなおす
里見義頼の死後、安房里見氏の家督を継承したのは、里見義頼の長男、里見義康である。 1588年(天正十六年)、里見義康は、父の義頼に引き続き、増田長盛の取次の…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正13年(1585年)1月、毛利輝元(もうりてるもと…
うん。姫路城はどういう真っ白かと言う歴史があるか言うのを買いましたっていうか姫路城に行ったんですけど、姫路っていうのはその地理的にアイリス西日本ますおそらく昔の人からしたら九州とか四国っていうのはまぁ割と未知の世界になっていて中国地方もそうかもしれないんですけど、そこに対しての端っこの拠点って言うような感じの位置づけなのかなって思いました。昔の人というか。京都が日本の中心なので京都とか大阪名古屋の辺の辺の人達から見るとやっぱりその辺が姫路が西の間自分たちのわかる範囲での端なのかなぁって言う感じです。姫路と言えば黒田官兵衛が生まれたところであります。黒田官兵衛は姫路の城主の子供だったかなとして黒…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正12年(1584年)1月、大阪城…現在の大阪城「ま…
あの戦国武将に似合うクルマはこれだ! 独断と偏見で勝手に選んでみた
日本史にその名を刻んだ歴戦のツワモノたる戦国武将たち…名将、智将、猛将、いろんな武将が頭に浮かびますが、今回はそんな戦国武将たちが現代社会に生きていたら、彼らはこの時代にどんなビジネスで活躍していたんでしょうか?そしてどんなクルマが似合いそ
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正11年(1583年)11月、経言(つねのぶ、後の広…
日本で最初に行われた土地調査(測量)です。 戦国時代の武将豊臣秀吉が、農民の田畑について一筆ごとに広さを測り、土地の石高(収穫量)などを定める「太閤検地」を行いました。 統一的な方法により全国規模で行われました。 度量を […]
今日も肌寒く感じたのに、石油ファンヒーターを点けると汗だくだった。 PMSと低気圧の怠さと花粉症の鼻詰まりでボロボロだけど、とりあえず何とかなっている。 小田原厚木道路の平塚PAで見つけた、ヤマザキの低糖質うずまきパン。チョコとミルクの2種類あった。 コストコで売っているCut and slimの方がしっとりフワフワだけど、これもダイエット食品にしては凄く美味しい方だと思う。 近所では一度も見かけたこと無いな。パンまつりシールも付いていなかったし。 カタツムリみたいで可愛い。低糖質ではないうずまきパンより100kcalぐらい低かったと思う。 肉のハナマサで冷凍3色パプリカを買ってみたはいいけど…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「待たせたの〜!わしが秀吉(ひでよし)じゃ!」大阪城(…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。経言(つねのぶ、後の広家)は兄、元長(もとなが)から、…
今回は近隣にある 龍泉寺【天台宗】を紹介します。 場所は名古屋市の北東に位置しており尾張四観音のひとつといわれています。 それはかの徳川家康が名古屋城を築く際に北東の鬼門にあたる場所のこの寺
広島市唯一の国宝、不動院を訪れました。平安時代ごろに建てられた真言宗の寺院です。楼門と鐘楼駐車場は寺院の敷地内にありましたこちらが金堂戦国時代に戦火により消失…
引間城本丸跡に建つ元城町東照宮(2)若き日の家康・秀吉二公像
元城町東照宮の境内には、徳川家康と若き日の豊臣秀吉(木下藤吉郎)の像があります。秀吉(木下藤吉郎)は織田信長に仕える前、16歳前後の3年間、曳馬城主の配下の松下加兵衛に仕え、浜松で暮らしたことあるので、家康像の隣りに秀吉像もあります。二人の像の間に立って、写真を撮れるように作られています。 若き日の家康・秀吉二公と引間城 元城町東照宮の建つこの地は、浜松城の前身・引間城の本丸跡です。戦国時代のこの城...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「毛利(もうり)はわしに従え!」天正11年(1583年…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「わしは隠居いたす!」元春は妻、優(ゆう)、元長(もと…
勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ。こうした意味の助言・忠告の格言が、~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉であり、また長い歴史の流れの中には、この言葉に恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世での一例を取り上げてみれば
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)10月、本能寺の変から4ヶ月、…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月13日、羽柴秀吉(はしばひ…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。羽柴秀吉(はしばひでよし)との和睦後、備中を後にした毛…
方向方角を示す場合、一般的には「東西南北」を基準にするようです。 まあ、少なくともチョイ前まではそうだった気がします。 ところが、話は多少逸れますが、筆者なぞは実際にこんな光景を目撃したことが ありましたから、最近ではそうでもないのかもしれません。 それは、どうやら待ち合わ...
御朱印帳画像 基本情報神社名:大阪城豊國神社拝受日:2023年2月11日サイズ:16cm×11cm初穂料:2000円(御朱印帳のみ)/2300円(朱印料込み)…
いつも当ブログ、歴史連載物語『猛将親父』をご覧になって頂き誠にありがとうございます。こちら⬇️は目次目次今回は『猛将親父』の登場人物第4弾です。コアラ🐨が紹…
いつも当ブログ、歴史連載物語『猛将親父』をご覧になって頂き、誠にありがとうございます♪こちら⬇️が『猛将親父』の目次だよ『歴史連載物語『猛将親父』目次』歴史連…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜相変わらず1週遅れてる〜ってことで第4話の感想ぉ!今川から離反した元康。織田信長と同盟を結ぶため、清洲城に…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月4日、毛利(もうり)方の備…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。和睦交渉に行っていた安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が羽…
豊臣秀吉の正室ねねを想う、高台寺@京都~外国人向け案内ツアー第38弾~
京都の高台寺に行って参りました!とっても素敵なお寺で、ぜひ外国人のみなさんにも行っていただきたいです!!!金閣寺や銀閣寺はもちろん定番ですが、高台寺もとっても風情があって素敵です。高台寺はあの有名は豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)が秀吉の冥福
#136 まとめ『近世日本国民史 豊臣秀吉時代』~大河『どうする家康』を楽しむために
司馬遼太郎先生の歴史小説の種本ともいわれた徳富蘇峰氏の『近世日本国民史』の豊臣秀吉時代を読了しました。全4冊で構成されています。徳富蘇峰氏によると、日本人にお…
#134 ブックレビュー『近世日本国民史 豊臣秀吉(四)』~『どうする家康』に備えて
2023年は、大河ドラマが『どうする家康』に備えて年末年始に読む第9弾 『近世日本国民史』豊臣秀吉(四)秀吉の時代、桃山時代について知る1冊近世日本国民史 豊…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「なんだ…これは…」援軍に来た元春は備中高松城(びっち…
同じ言葉でありながら、時代によってはその意味するところが違っている場合も決して少なくない。たとえば「御家人」という言葉もその一つで、こんな説明になっている。~武家の棟梁(将軍)の家人(家臣・郎党・従者)の身分を指す 語であるが、中世と近世では意味合いが異
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。羽柴秀吉(はしばひでよし)勢の動きは早かった。姫路を発…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。元春は安芸、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に来て…
#128 ブックレビュー『近世日本国民史 豊臣秀吉(三)』~『どうする家康』に備えて
2023年は、大河ドラマが『どうする家康』に備えて年末年始に読む第8弾 『近世日本国民史』豊臣秀吉(三)小田原征伐・東北平定・キリスト近世日本国民史 豊臣秀吉…
豊臣秀吉のお香とともに『豊臣秀吉』を読む戦国の英雄たちをイメージしたお香あります。私も明智光秀と豊臣秀吉を持っています。大河ドラマ『麒麟が来る』の時に購入し…
ブログタイトル変更しました。これまでの「一隅を照らす 次世代の幸せのために」を 「歴史」を「生きるヒント」 にするためのブログに変更しま…
#118 『どうする家康』を楽しむ為に、本レビュー『近世日本国民史 豊臣秀吉(二)』
2023年は、大河ドラマが『どうする家康』を楽しむ為に年末年始に読む第7弾 『近世日本国民史』豊臣秀吉(二)豊臣氏時代 乙篇 近世日本国民史 豊臣秀吉(二) …
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)1月末… 安土の町は兵が集まり…
筆者の生息地・名古屋では、本2023年1月4日から市営地下鉄の4つの駅の名称が 変更されました。 それには理由は二つほどあったようで、一つには「中村区役所」が新しい場所に 移転されたことで、それなのに駅名が従来通りに「中村区役所」駅のままでは さすがに不都合であるという...
#114 ブックレビュー『近世日本国民史 豊臣秀吉(一)』~『どうする家康』に備えて
2023年は、大河ドラマが『どうする家康』に備えて年末年始に読む第4弾 『近世日本国民史』豊臣秀吉(一) 近世日本国民史 豊臣秀吉(一) 豊臣氏時代 甲篇 (…
それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)とされているが、これ以後も多くの宣教師が訪れ熱心な布教活動を展開した。ただしダ、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり
フグを食べる国って少ないんですよ。 韓国や中国などで一部食べられているものの、こんなにも当たり前にフグを食べる国は日本のほかにありません。 国によっては危険なゲテモノ料理として扱われてさえいます。 しかし、日本で流通する ...
楽しい日本史 -偉人編- 17 石田三成 豊臣家に一生を捧げた男
寺で働いていたが、天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康と対立した石田三成についての以下のような疑問を学習する記事
楽しい日本史 -偉人編- 16 豊臣秀吉 貧しい身分から天下を統一した男
農民から武将になり、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉についての以下のような疑問を学習する記事。 東海・近畿地方の変
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「馬鹿者!!」わし、経言(つねのぶ)は父である元春に怒…
2023年最初の散歩は、石垣山城へ。まずは東海道線で早川駅へ。ホームからは海はかすかに見えるだけ。特徴的な橋は、西湘バイパスの小田原ブルーウェイブリッジというそうです。早川港への航路です。早川駅は、ホームは15両対応の長さですが、駅舎は非常にこじんまりとしたロ
本日の「今日は何の日」の流れです。 名護屋城(なごやじょう)※名護屋城とは全く別物 大陸出兵の前線基地として朝鮮半島への直線距離が玄界灘を隔てて最短である肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋)に築いた城。 日本全国でも同じ秀吉が築いた大阪城に次ぐほどの規模を誇...