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それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)だが、ただし、その「布教活動」の中身が、現代日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり曲者で、むしろ「布教後」の展望に重きを置いたものになっていたともい
メンタリストDaiGoさんがおっしゃっていたのですが宗教団体が信者に布教活動させるのは、 教えを広めたり、信者を獲得するためと言うより 既にいる信者を団体から…
「観るだけサーファー」というキャッチは最初から決めていたものの、なんかもうひと息ツカミが足りない気がしてAmebaの中を物色していたらふと「インドア」ってワー…
戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰がらみの事件に遭遇している。たとえば、領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、一揆衆側に味方する家臣も少なくなかったことで、この時は、当の家康自身が「命の危機」に晒さ
明日は総合の学習でSDGsの授業を(洗脳・布教授業)やります
明日の5,6時間目に「SDGsの学習」をやります...マジ最悪です。プリントに振り返りを書くとき、「SDGsは大切だと思いました。」などと噓を書きますw(本当…
「信教の自由」ということ。 誰が何を信じようが自由ということ。 「宗教の自由」、これは不可侵であるということになっています。 そう私は子供の頃から教えられてきた。 キリシタンであることをもって捕らえられては困るw。 黙っているのにわざわざ踏み絵をさせられて迫害を受けた、とw。 鞭打たれても石のつぶてを投げられようとも、信じることを曲げてはいけない。 それが人間。 「それでも地球は回っている」 ま、...