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<聚楽第(後編)>の”城門”を巡るー京都市内だけでなく秀吉から拝領受けて萩市内にも移築
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
妙覺寺を訪れた日は、まるごと美術館の開催期間中でした。まるごと美術館というのは、寺社仏閣の特別拝観と合同で行う「春・秋の展覧会」のことで、寺宝に加えてアー...
妙覺寺の紅葉は、迫り来るような存在感がありました。そこにいると、まるで自分が赤に染まっていくようでした。私が訪れた時、外国人観光客の方は一組だけでした。(...
1838. リフレクションのエトセトラ *妙覺寺の紅葉 ②*
1枚だけ赤い葉っぱがいました。妙覺寺では、リフレクション写真が撮れるように文机が二前置かれていました。いざ撮るとなると、これがなかなか難しくて。この文机に...
大きなイチョウの木が出迎えてくれました。ここは、京都にあります妙覺寺(みょうかくじ)です。公式HPによると、信長の時代までは13代将軍足利義輝、織田信長、...
静かに桜の花見をしながら散策できるのはここ!2(妙顕寺~本法寺~妙覚寺~水火天満宮)
桜のシーズン、京都市内はどこもいっぱいでうんざりしますね。きれいな桜は見たいけど人ごみの中で見るのは疲れます。そこで今回は、桜を静かに見ることができる場所とその途中で立ち寄れる寺社の第2弾をご紹介したいと思います。第1弾も一緒に参考にしてくださいね
天正10年(1582年)5月29日、織田信長は備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援するため、小姓を中心とする僅かのお供を連れて安土城を発ち、京都の本能寺に入ります。その頃、信長の嫡男・織田信忠は5月21日にすでに京都の妙覚寺に入っていました。妙覚寺の山門本堂京都に城を持たない信長は、かつては妙覚寺を寄宿先としていましたが、1580年以降はかつての宿所であった本能寺を寄宿先に戻し、代わりに信忠が妙覚寺を寄宿先として使用す...
雲騰山 妙覚寺(→東京都稲城市矢野口)は、室町時代に僧の陽雲が創建した臨済宗建長寺派寺院です。寺伝によると室町時代後期に12代将軍足利義晴が開基したとありますが、足利義晴は前将軍足利義稙(よしたね)とその後見人である周防守護大内義興(よしおき)に京都を追われ征夷大将軍を解任され、近江守護の六角高頼を頼って落ち延び、同地で死去した波乱の人生を送った人物です。そのような人物が武蔵国の妙覚寺を開基するはずがなく、...
前回ブログで、堀川通から上御霊前通を東に約100m進みました。ここで上御霊前通は、小川通と交差します。今回は、約80m東の日蓮宗妙覚寺を訪れます。撮影日は、2020年3月29日日曜日午後4時15分。急がないと、あと2時間で日が沈みます。上御霊前通から、小川通を北に向いています。小川通は約200m先の鞍馬口通で突き当たりますが、その脇から北に油小路が伸びています。(第248回ブログを参照)また、この小川通が今回ブログのメイ...