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<聚楽第(後編)>の”城門”を巡るー京都市内だけでなく秀吉から拝領受けて萩市内にも移築
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<聚楽第(前編)>の”城門”を巡るー現在跡地は市街地内で”址碑”が立つが”移築門”は各所に伝わる
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
豊臣の秀吉が豪華絢爛たる聚楽第を建造した時、その柱に、「驕れるもの久しからず」と落書きされた。くだんの祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・・に掛けてであるが、さすが大物秀吉怒るどころか、「驕らなくても久しからず」と返歌を書いたという、嘘か本当かよくできた逸話がある。この話をなんとなく想い出して、二つ並べて書いてみた。久しからず。落首の妙
京都に残る悲劇のあと「聚楽第」「瑞泉寺」!秀吉迷走…悲運の関白・豊臣秀次切腹事件
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、京都に残る悲劇のあと「聚楽第」「瑞泉寺」!
今日の京都検定:豊臣秀吉が平安京の大内裏跡に造営した壮大な邸宅は?
ペッチー 今日の京都検定の問題について解説するよ! 京都検定3級合格を目指して、京都について勉強をしています。
平安京の内裏跡(18)平安宮内裏蘭林坊跡・聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡
平安京大内裏の蘭林坊(らんりんぼう)があったところ(上京区土屋町通出水上る東側)は、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には、豊臣秀勝の邸宅があったと推定されています。蘭林坊とは、平安京内裏の北西部、朔平門と式乾門との間にある建物です。宮中の御物、御書などを納める所で、内に御書所・絵所が置かれていました。聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡伝承地このあたり一帯は、古代において、平安京大内裏(平安宮)のうち、天皇の住まいだ...
すっかり我が家の常備酒となっている京都 佐々木酒造さんの「聚楽第(じゅらくだい)」ですが、とある日、主人が仕事で京都に行った時にこちらのアイテムを買ってきてく…
京都が生んだロックな壁画絵師 キーヤンさんと佐々木酒造さんとのコラボ酒「古都」
すっかり我が家の常備酒となっている京都 佐々木酒造さんの「聚楽第(じゅらくだい)」ですが、とある日、主人が仕事で京都に行った時にこちらのお酒を買ってきてくれま…
京都市中京区木屋町三条の瑞泉寺1611年(慶長16)角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立した寺です。文禄4年(1595年)、秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、聚楽第の秀次のもとへ石田三成、前田玄以、増田長盛らが訪れ、秀次に対し高野山へ行くように促します。秀次は釈明の為に、秀吉のいる伏見城へ向かいますが、福島正則らに遮られ、秀吉に会うことは叶わず、同日高野山へ入ります。それから1週間後、秀次のもとへ...
京都を訪れました。二条城北側のコインパーキングに車を停め上京区の京都らしい街並に入りました。佐々木酒造、俳優の佐々木蔵之介の実家として有名で、弟が社長を継いでいます。平安神宮周辺は観光客が多いので、直ぐ北にあるくろ谷 金戒光明寺を訪れました。人も