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引地山 養命寺(→神奈川県藤沢市城南4丁目)は、戦国時代の1570(元亀元)年に、本山である蟠龍山 宗賢院(→神奈川県藤沢市大庭)の3代住職・暁堂が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。本尊の木造薬師如来坐像(→国指定重要文化財)は、源頼朝に仕えた御家人大庭景義(おおばかげよし)の守護仏と伝わり、鎌倉時代前期の1197(建久8)年の銘があり、前身となる寺院の存在を示唆します。養命寺は、その後衰退したようですが、江戸時代中期の延享年...
建久9年(1198)12月27日、頼朝公は稲毛三郎重成(妻は北条時政の娘)が相模川に架けた橋の落成供養式典に出席。橋の渡り初めをし、その帰路、頼朝公の前に源義経の亡霊が現れ、頼朝公は驚きの余り落馬して、それが原因で翌年、建久10年1月13日に死去した。里人たちはその怨霊を鎮めるため、源義経の霊を毘沙門堂に合祀した・・・このような伝承があると知り、いてもたってもいられず(笑)↑写真の神奈川県茅ヶ崎(ちがさき)市に...
茅ケ崎市南湖の御霊神社は、大庭景能が鎌倉権五郎景正の霊を祀ったことが始まり、また1198年、相模川に新造した橋の落成供養から帰る源頼朝の前に、亡霊となった源義経の怨霊を供養するため、御霊神社に霊を合祀したと伝えらえています。武運長久である2つの御霊が祀られていることから、合格祈願や願掛けにご利益があるといいます。 御霊神社の由緒 御祭神 鎌倉権五郎平景政 御祭神 九...