メインカテゴリーを選択しなおす
ウォーキングも同じコースじゃマンネリになるんで、今日は墓所の下を抜けてお寺の方へ歩いてみました。うちのお寺さんは、曹洞宗 観音寺。和銅2年というから1,300年の古いお寺です。ここは一番上の段。観音寺は千手観音立像や天井絵が有名だけど、私が気になってるのはこの右手にあるお地蔵さんの一群。いかにも集められたように置かれてます。勝手な想像だけど、明治初めの「神仏分離令」でお寺とは切り離されて、でもほかに行く...
白玉山 般若院 荘厳寺(しょうごんじ→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、鎌倉時代初期の1184(寿永4・元暦元)年に僧の覚憲が開山、1235(嘉禎元)年に覚盛が中興した高野山真言宗寺院です。江戸時代には三島山 感応院 瑞光寺(→神奈川県藤沢市大鋸2丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いますが、元文年間(→1736年~1741年)に火災で焼失したため、1747(延享4)年に別当寺として祭祀を司っていた白旗神社(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)の隣に再建...
上恩田杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区あかね台1丁目)は、江戸時代に創建された神社で、江戸時代後期の1852(嘉永5)年3月の社屋造営の棟札が現存しているといいます。アメリカ東インド艦隊司令長官のマシュー=カルブレイス=ペリーが「黒船」を率いてい浦賀(→神奈川県横須賀市)に最初に来航するのは、翌年の1853(嘉永6)年6月3日のことです。上恩田杉山神社は、江戸時代には高野山真言宗の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉...
久地神社(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)は、創建年代などは不詳ですが、神仏習合の江戸時代には赤城社といい、日蓮宗寺院の秋興山 浄元寺(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年に神仏分離令が発布されると天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする久地神社と改称し、明治時代前期の1881(明治14)年に近隣の3社を合祀しました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみかみ)久地...
医薬神社(→神奈川県横浜市青葉区柿の木台)は、安土桃山時代の天正年間(→1573年~1592年)に真言宗関東三ヶ寺の1つに数えられた医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺)の境内社として創建されたのが興りと伝わります。医王山の「医」と薬師院の「薬」をとって「医薬神社」と名付けられたといいます。江戸時代前期の1649(慶安2)年には幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領5石を拝領しました。東光寺は江戸時代の本山・末寺の制により「東...
八雲神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、創建年代は不詳ながら上市ヶ尾村(→現市ヶ尾町)の鎮守として崇敬されてきました。江戸時代には当時の京都八坂神社(→京都府京都市東山区祇園町北側)の祭神・牛頭天王(ごずてんのう→疫病を防ぐ神)を祀る牛頭天王社と称し、真言宗豊山派の初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年の神仏分離令により神仏習合が終わり、素...