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悟りを開いた仏陀(釈尊)は、最初に師事した二人の仙人に一番最初に悟りを説こうと思いましたが二人ともすでに亡くなっていたと神に知らされ、最初に一緒に修行をした五人に一番に法を説くことにし五人のいる鹿谷苑に向かいます。当時の鹿谷苑は宗教的聖地でした。そこで苦行を共にした親しい五人に四諦、八正道、中道を説き五人は仏陀に帰依します。仏陀の一番最初のこの説法を『初転法輪』といいます。ここから仏陀の布教の旅が始まります。その中で様々なエピソードや説法がありますが詳細は割愛しますが、『九横の大難』と呼ばれる九種類の横難が有名です。簡単に説明すると、①孫陀梨が謗り(釈尊が外道の者に孫陀梨という外道の女性と関係…
富士日興門流は日蓮大聖人を御本仏と立てるので、あまり仏陀(釈尊)の事は深く学習しません。釈尊の生涯についても知らない人も多いと思います。大聖人を御本仏立てているとはいえ一般的には仏教言えば釈尊という認識ですから弘教する上では少しは釈尊についても知っておくべきなので、仏陀(釈尊)の基本的な超略伝記事を書いてみます。仏陀の生涯は「誕生」「出家」「降魔成道」「転法輪」「涅槃」に分けられ語られることが多いです。仏陀の誕生は一般的に今から約2500年前にネパール南部のインド国境近くのルンビニ園で誕生したとされてます。父はシャカ族のスッドーダナ、母はマーヤー夫人で仏陀はシッダールダ太子と呼ばれ29歳まで王…
栄西は保延7年(1141)、吉備国総鎮護の吉備津神社の神職・賀陽(がや)氏の子として生まれ幼名は千寿丸といい14歳で比叡山に出家し栄西の僧名を受け以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学び仁安3年(1168)28歳の時に栄西は初めて中国(南宋)に渡ります。禅宗は唐時代に始まり一時弾圧を受けていましたが宋代には国家仏法にもなっていて広まっていました。しかし最初の入宋の際には栄西は天台の典籍を持ち帰り、比叡山天台座主・明雲に献呈しました。文治元年(1185)に後鳥羽上皇の勅により祈雨の修法を行い【葉上】の号を賜り栄西は【葉上房】とも呼ばれます。文治3年、47歳の時に二度目の…