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江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は篤胤が、釈尊が火葬される経緯について、どのように評したかを見ておきたい。さて其翌朝阿那律と云弟子が阿難に云ことには、汝王舎城に入リ諸の末羅〈はたらき人のことか〉に仏の滅度を語て頼むがよいと云時に、阿難が泣泣城に入り諸の末羅どもの一所にをつたる処へ行た所が、夫らが云には、朝早くなにの用在て来たぞと云時に、阿難が云には、如来昨夜已に滅度せられたによるてきてくりやれと云。是らのいふに、どふしてそう急に死んだ事じやなどヽいひつヽ、これらがかヽりてとりしつらひ天冠寺と云寺へ持ち...釈尊の火葬についての評価(拝啓平田篤胤先生51)
江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は釈尊の身体の色について描かれた内容に対する、篤胤の扱い方を見ておきたい。さて釈迦の身体が無量の金色大光明を放たと云事、それも随心の羅漢弟子といふにばかり左様に見へて、いまだ釈迦を深く信ぜぬ者は罪がふかいによつて、釈迦を場灰色やせ婆羅門と見たと云事が観仏三昧経と云に見へて有が、こりや合てんのゆかぬ事でござる。然にかやうの隔があるといふは、つらつら考ふるに、信ずる者は迷によりて金色大光明の体とみなす。信ぜぬものは迷はぬによりて有のままに灰色のやせ法師とみへるではないかと思...釈尊の身体の色について(拝啓平田篤胤先生49)
さてさて…天邪鬼な人のことをつむじ曲がりとか左巻きと云ったりしますな… 何故かご存じっすか?… それは…釈尊の白毫(額のおできみたいなやつ…実はあれは白く長い…
さてさて…2月15日は入滅した日、涅槃会でした…平家物語は末法思想、滅びの美学に基づいている…と云われたりしますが… 釈尊が入滅してから千年間は正しく仏法の行…
さてさて…あと1週間もすると2月の最大のあのイベントだな… 2月15日の涅槃会… 2月のお寺は梅の季節だ… 仏教には三大イベントがあって…4月8日の花まつりは…
富士日興門流は日蓮大聖人を御本仏と立てるので、あまり仏陀(釈尊)の事は深く学習しません。釈尊の生涯についても知らない人も多いと思います。大聖人を御本仏立てているとはいえ一般的には仏教言えば釈尊という認識ですから弘教する上では少しは釈尊についても知っておくべきなので、仏陀(釈尊)の基本的な超略伝記事を書いてみます。仏陀の生涯は「誕生」「出家」「降魔成道」「転法輪」「涅槃」に分けられ語られることが多いです。仏陀の誕生は一般的に今から約2500年前にネパール南部のインド国境近くのルンビニ園で誕生したとされてます。父はシャカ族のスッドーダナ、母はマーヤー夫人で仏陀はシッダールダ太子と呼ばれ29歳まで王…
今日は父の日である。由来はアメリカのドッド(Dodd)夫人が「母の日」に倣い、父親に感謝するために白いバラを送ったのが始まりとされる。なので、余り仏教とか関係ないのだが、拙ブログの立場上、その辺で書くしかないので、今日は釈尊の父親に関する記事としておきたい。宋居士沮渠京声(?~464、『衆経目録』では「北涼世安陽侯」とある)の訳とされる『仏説浄飯王般涅槃経』一巻(『大正蔵』巻14所収)を簡単に見ておきたい。このお経の経緯としては、釈尊の父親である浄飯王が臨終を迎えようとしているときに、以下のような歎きを漏らしたという。我が命逝くと雖も、以て苦と為さず。但だ、我が子、悉達に見えざることを恨むのみ。又た、次子難陀に見えざることを恨む。貪婬・世間の諸欲を除くを以てす。復た斛飯王子阿難陀に見えざることを恨む。仏の...今日は父の日(令和6年度版)
周りの人達が「釈尊は偶像崇拝を禁止していた」という話をしていたのだが、拙僧的にはあれ?と思った。いや、以前から「律蔵」について読んでいるが、仏像はもちろん、偶像についての話など見たことが無い。しかし、釈尊自身が生きている間は、仏陀を像にする必要はないわけで、仏像がどうこうとかいう話にならないのは当然か?!もう一方で、その後、全世界では仏像が造立され、崇拝されている。そうなると、「律蔵」での不在は、偶像崇拝などを「禁止」した形跡が無いことになる。その辺を思って、ちょっとだけ調べてみると、以下のサイトが見付かった。・初期仏教が偶像崇拝を禁止していた言うのは本当ですか?(Yahoo!知恵袋)いや、このアンサーについて、ちょっと笑ってしまった。いくら何でもこれは酷い。ただの日本仏教叩きになってしまっていて、質問者...釈尊は偶像崇拝を禁止したのか?
この記事は、【前回の記事】の続きに当たる。江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』では、『過去現在因果経』などの典拠を踏まえてではあるが、釈尊伝を篤胤目線で講釈しているのだが、その中に弟子達との関わりがある。前回は特に実質的な釈尊の後継者となった摩訶迦葉尊者出家時の様子を確認したのだが、今日は更にその続きを見ておきたい。ところで、前回の記事で、迦葉尊者が釈尊のことを、「年少沙門」と呼んでいたことを採り上げたが、篤胤は両者の年齢の違いを、以下のように論じている。さて釈迦が迦葉を骨折て伏させたる事は、先にもいふ如く此者は年といへば釈迦よりは四さうばいで百二十歳、家柄もよく富栄へ其眷属も多く、修行は八十年して釈迦の出ぬまへは神通広大で中々其時には右にたつ者なく、国々の王共を始め世には大...釈尊と摩訶迦葉尊者について②(拝啓平田篤胤先生32)
江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』では、『過去現在因果経』などの典拠を踏まえてではあるが、釈尊伝を篤胤目線で講釈しているのだが、その中に弟子達との関わりがある。既に【「善来比丘」に関する篤胤の雑感(拝啓平田篤胤先生26)】でも採り上げたことだが、今回は特に実質的な釈尊の後継者となった摩訶迦葉尊者について、釈尊との関係を篤胤がどう見ていたかを確認したい。扨かくの如く大山ごとを工夫して、とうとう釈迦は一大家となつて国々をあるく所が、彼婆羅門の輩も多くしめられて弟子と成たるが多き中に、摩揭陀国の王舎城と云所に摩訶迦葉と云婆羅門が有、是は其父なる者は甚だの大富長者で天竺の内に十六大国と名におふ国が十六有て、其国々に肩を并る者はなかつたといふ事でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇...釈尊と摩訶迦葉尊者について①(拝啓平田篤胤先生31)
長崎県長崎市では、8月9日に78回目の原爆の日を迎えた。ところで、例年長崎市松山町の平和公園で行われるが、今年は台風6号が九州西部を通る予報となっており、そのため市内の屋内施設「出島メッセ長崎」で、午前10時40分から市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に黙祷を捧げられる。なお、式典そのものも大幅に縮小され、被爆者のほか岸田総理大臣や各国大使といった来賓の参列を見送ることにしたとのことで、この式典に被爆者が参列しないのは、昭和31年に市主催の式典が始まって以来、初めてだと報じられている。そして、7月末までの1年間に死亡が確認された3314人の名前を記した原爆死没者名簿を奉安するが、死没者数は19万5607名となった。しかし、このように死没者の「数...8月9日長崎原爆の日に思う「不殺生」(令和5年度版)
釈尊の対話に学ぶ 『新・人間革命』3巻 仏陀の章私たちは何故この世に生を受けたのか人生の意味とは何か『新・人間革命』3巻 仏陀の章より、釈尊の生き様の姿が、生き生きと描かれています。この中で、釈尊の2つのエピソードが心強くに残りましたので、紹介させて頂きます。その1 優樓頻螺迦葉(うるびんらかしょう)との対話あるとき、優樓頻螺迦葉(ウルビンラカショウ)という、500人の弟子を持つバラモンの師がいた彼は...
明日から天気が悪いみたい(^^;;毎週オンラインで仏教について学んでいる、5月半ばの講義は[仏跡地巡礼~釈尊の教え~]だった。釈尊については手塚治虫の「ブッダ」しか知らず、その内容もうろ覚え、誕生についても初めて知る事ばかりだった。その釈尊が誕生した釈尊四大聖地のひとつであるルンビニーは、日本の仏教会の援助と世界的建築家「丹下健三」氏の設計によるものとの事。このような雑学は面白い、釈尊を少し身近に感じる事ができた。ところで「天上天下唯我独尊」という言葉を知っているだろうか。この言葉を知ったのは、「夜露死苦」的な感じでヤンキーがジャンパーに刺繍していたものからだったと思う。字面からして「俺が一番」いかにもやんちゃな子が好きそうな言葉だ。釈尊だが、生まれてすぐに七歩も歩き「天上天下唯我独尊」と言ったそうだ。私...スーパーマン釈尊が何故に悶々とできたのだろう?
昨日、【『遊行経』に見る釈尊出家の年齢】という記事をアップしたが、その際、中国で編まれた『歴代三宝記』の中から、『般泥洹経(「泥洹」は「涅槃」の別表記)』に見る釈尊成道後の年数について扱っているのを見た。よって、今日はその一節を掘り下げてみようと思う。『般泥洹経』も涅槃経系の経典だから、この時期に学ぶべき経典として入るわけである。ところで、『歴代三宝記』は、良い意味で意訳したものだろうか、実際の文章とはかなり相違している。般泥泥洹の下巻、仏、阿難に語り、我、成道し来たる年、亦た自ら四十有九に至る。仏、覩るべきこと難し。一億四千万歳、乃ち弥勒有るのみ。『歴代三宝記』以上からすれば、上記のような文章があるように感じてしまうけれども、現在、一般的に見ることができる同経典では、以下のような文章が見られるのみであっ...『仏般泥洹経』に見る釈尊成道後の年数
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダの永遠の真理を伝える言葉「スッタニパータ(Sutta-nipata)」- 本当の人間として生きるお釈迦さまの真実の姿がありました ブッダの言葉 中村元 講演 新潮カセット(講演) ブッダの言葉 中村元 講演 令和4年(2022年) 8月8日...
ちょっとした備忘録のような記事である。この『三啓経』だが、おそらくは『無常経』という呼び方が一般的だと思う。この経典は、比丘達の葬儀に詠まれてきたと解され、義浄が訳出した経典である。なお、義浄訳の全体が、おそらくは比丘への葬儀作法を踏まえたものであり、そのため、本体となる経文の前後に、伽陀(偈頌)が付されている。その意義についてはまた、何らかの機会に学んでもいいと思うが、個人的に気になったのは『三啓経』というタイトルについてである。無常経一巻〈亦、三啓経と名づく、大足元年九月二十三日、東都大福先寺に於いて訳す〉『開元釈教録』巻9以上の通り、義浄訳の『無常経』は『三啓経』と呼ばれたという。『無常経』であれば、諸行無常の法を示す教えとして理解出来るが、『三啓経』とは何を意味しているのか、文字を見ただけでは良く...『三啓経』について
悟りの木 スリーマハー菩提樹の写真集 仏教三大聖樹(仏教三霊樹)
観葉植物として圧倒的にオリジナルでスペシャル!スリーマハーボダイジュの先が伸びたうつくしい葉っぱにうっとり♪♪ うつくしいスリーマハー菩提樹の葉っぱ 令和4年(2022年) 7月14日 村内伸弘撮影 スラリと尾状に細長く伸びたスリーマハー菩提樹の個性的な葉先 令和4年(20...
釈迦苦行像/釈迦断食像 - 仏教聖地・インド ブッダガヤにて購入
お釈迦さまが悟りを開いてブッダ(仏陀)となった仏教最高の聖地・ブッダガヤ。"インドの世界遺産" ブッダガヤで祖父母が買い求めた釈迦苦行像/釈迦断食像 難行に打ち込み、断食で痩せ衰えたお釈迦さまの修行姿を描写した「釈迦苦行像」 ガリガリに痩せ、あばら骨や血管がクッキリ浮き出て...
釈尊の教え!NHKこころをよむ浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を聞き始めます♪
浄土教&浄土真宗の根本聖典。仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経の三経典をカセットテープで聞きます NHKこころをよむ浄土三部経(NHKカセット) NHKこころをよむ浄土三部経「無量寿経」 講師:坂東性純 NHKこころをよむ浄土三部経「観無量寿経」 講師:石上善應 N...