メインカテゴリーを選択しなおす
今日、2月15日は釈尊涅槃会である。なお、我々日本仏教は北伝仏教での言説の影響を受けて、今日となっている。例えば、影響を与えたかもしれない文献として、以下の一節などはどうか。是の如く我れ聞けり、一時、仏、拘尸那国力士生地、阿利羅跋提河の辺、娑羅双樹の間に在り、爾の時、世尊と大比丘八十億百千人衆、前後圍遶す。二月十五日に涅槃に臨む時、仏、神力を以て大音声を出だす、其の声、遍満し、乃至、有頂まで、隨其の類音に随いて普ねく衆生に告ぐ、「今日、如来、応供、正遍知、衆生を憐愍し、衆生を覆護し、衆生を等視すること、羅睺羅の如し、為作帰依を作すは、屋舎室宅と為す、大覚世尊、将に涅槃せんと欲す、一切の衆生、若し疑う所有れば、今、悉く問うべし、最後の問いと為す」。大乗『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」いわゆる大乗『大般涅槃経...今日は釈尊涅槃会(令和5年度版)
昨日、【『遊行経』に見る釈尊出家の年齢】という記事をアップしたが、その際、中国で編まれた『歴代三宝記』の中から、『般泥洹経(「泥洹」は「涅槃」の別表記)』に見る釈尊成道後の年数について扱っているのを見た。よって、今日はその一節を掘り下げてみようと思う。『般泥洹経』も涅槃経系の経典だから、この時期に学ぶべき経典として入るわけである。ところで、『歴代三宝記』は、良い意味で意訳したものだろうか、実際の文章とはかなり相違している。般泥泥洹の下巻、仏、阿難に語り、我、成道し来たる年、亦た自ら四十有九に至る。仏、覩るべきこと難し。一億四千万歳、乃ち弥勒有るのみ。『歴代三宝記』以上からすれば、上記のような文章があるように感じてしまうけれども、現在、一般的に見ることができる同経典では、以下のような文章が見られるのみであっ...『仏般泥洹経』に見る釈尊成道後の年数