釈尊と摩訶迦葉尊者について②(拝啓 平田篤胤先生32)
この記事は、【前回の記事】の続きに当たる。江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』では、『過去現在因果経』などの典拠を踏まえてではあるが、釈尊伝を篤胤目線で講釈しているのだが、その中に弟子達との関わりがある。前回は特に実質的な釈尊の後継者となった摩訶迦葉尊者出家時の様子を確認したのだが、今日は更にその続きを見ておきたい。ところで、前回の記事で、迦葉尊者が釈尊のことを、「年少沙門」と呼んでいたことを採り上げたが、篤胤は両者の年齢の違いを、以下のように論じている。さて釈迦が迦葉を骨折て伏させたる事は、先にもいふ如く此者は年といへば釈迦よりは四さうばいで百二十歳、家柄もよく富栄へ其眷属も多く、修行は八十年して釈迦の出ぬまへは神通広大で中々其時には右にたつ者なく、国々の王共を始め世には大...釈尊と摩訶迦葉尊者について②(拝啓平田篤胤先生32)
2023/10/28 12:17