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創価学会退会の処方箋②創価を退会したら友達を失ってしまうと思っている方
創価学会員として男子部デビューしたばかりの頃、創価活動家は学会員以外(いわゆる外部)の友達が極端に少ないなぁと感じました。二世活動家などは子供のころから学会員の友人しかいなかったというし、「学会活動を真剣にしたら友人がいなくなった。でもそれは真の友人ではなかったのだからいなくなっても構わない」と外部に友人が少ないことを自虐ネタの自慢話に語る幹部もいたけど、いまいち笑えなかった。私は学会活動をしたら友達が増えると思っていたし外部に友人がいなかったら広宣流布なんてできないと思っていた。(事実、外部友人の少ない活動家は新聞啓蒙も折伏も結果をだせないでいた)でもいざ自分が学会活動を始めると確かに外部の…
「師弟不二」よりも酷いインチキ法門と言えば「人間革命」だろうな。創価公式によると「人間革命」とは、自分自身の生命や境涯をよりよく変革し人間として成長・向上していくことらしく創価思想を凝縮した言葉だそうだが、勿論「人間革命」などという言葉は御書には書いていない。御書に書いていないどころか創価オリジナルでもない。創価における「人間革命」の初出は昭和24年8月の戸田城聖会長の巻頭言(戸田城聖全集第1巻)である。 この「人間革命」は政治学者であり東大名誉教授だった南原繁氏のが初めて使った言葉である。その内容を一部抜粋すると「人間そのものの革命「人間革命」を成し遂げねばならぬ。われわれは単に政治的或は社…
池田大作の「裸の三畳間」は「月間ペン事件裁判」でもっとも興味を惹く部分だ。「裸の三畳間」とは、松島通子(旧姓・後の渡部道子)宅の三畳間で裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として元学会員の「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。二人とも当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。また当時松島家に同居していたいう「高根美枝」も証言台に立った。創価側は、「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが当時の松島家の住人や家族また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価…
創価怪文書『地涌』を破す③(創価幹部に論証された『地涌』のデマ)
創価怪文書『地涌』は今読み返すと本当に無根拠のデマと無教学のホラばかりで笑いを取りに来ている文書であることがよくわかるのだが、そんな『地涌』のウソ・デマはほぼ正宗側から破折されいてるのにも関わらず今だに『地涌』(フェイク・新報いった地涌の後追いも含む)の論説を主張してくる創価活動家がいるのにはほとほと呆れる。『地涌』のデマ記事ではなく大聖人仏法の法門で勝負してくる学会員がいないというのは元広宣部としては忸怩たる思いだ。『地涌』の論説を代弁する創価員は「地涌の記事がデマだと証拠はない」といってデマ記事の正当性を主張するがこれは【無知に訴える論証】という誤謬であり正しい論理として成立しない。この場…
SNSのフォローさんが当ブログ記事への反論ブログ見つけて教えてくれたので折角なので読んでみた。『私は宿業深き創価学会員(以下略)』という創価婦人部のブログだ。(いや学会員は宿業深いというより日々謗法現在進行形だが)反論の対象となっている当ブログの記事は、体験談だけが頼りの創価員。仏法は理屈だよ。 - 創価ダメだしブログだ。なんで現証大好き創価員は体験談を否定されると脊髄反射するのか不思議だわ。さて件の婦人部のブログもザッと読んだけど案の定反論のテイをなしていない駄文だった。私が記事中で主張したのは、現証(体験)は宗教の正邪を判定する材料にならないと趣旨で現証を否定しているわけではない。だから反…
創価謀略怪文書の『地涌』の第1号は1991年1月1日である。宗門に言論統制があるため自由な発言を出来なという理由から執筆者は匿名・出版元も極秘にするなどともっともらしい話を冒頭で書いているが何のことはない匿名で池田や創価の罵詈雑言をネットで発言している有象無象のアンチ創価発言と何も変わらないのが全体を通しての『地涌』の記事内容である。それもそのはずで執筆者の不破優は52年路線での池田の会長勇退をいまでも「池田は悪くない。僧侶と創価幹部に裏切らた」と『地涌選集』のまえがきに書いてしまうほどの池田教信者なのだ。池田教信者の特徴は大聖人仏法に対する教学も信心もないことだ。『地涌』の各記事を読めば不破…
ブログ等で体験談を語りその体験を根拠に「創価の信心は正しい」とか言う創価員って結構いる。中には日蓮正宗には功徳御体験がないなんて勝手に決めつけて正宗や法華講を腐すようなアタオカ学会員もいたりする。まぁ聞かれてもいないのに体験を自分から語る学会員の体験談はたいていは「大したことない」体験が多い。「俺も昔はヤンチャして云々」と自分から語るヤツがたいしてヤンチャしていないと同じだ。本人にとってはものスゴイ体験なんだろうけど第三者から見たら別にどうってことないような事ばかりでどこに自慢ポイントがあるのかサッパリ分からない。当ブログの読者で正宗に移籍して大白法(正宗の機関誌)に体験談が掲載された方がいる…