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☆自宗に語るべき実体がない.この一カ月、歌唱「まるでダメ男(だめお)氏について、いくつもの記事を書いています。過去において彼の記事はほとんど読むことはなく...
☆鏡を見る生活のすすめ.昨年、池田先生が亡くなられ、その訃報に歓喜した、仮称・まるでダメ男(だめお)氏を初めとする日顕一派が、池田先生をあざ笑い、誹謗中傷...
☆一神教と多神教と仏教.私たちの地球には沢山の民族が存在し、沢山の宗教があります。一体、宗教とは何でしょうか?「たった30分でわかる宗教の誕生と人類の進化...
☆望外の功徳の不思議.故郷の樹齢700年の醍醐桜の写真を以下に添付します。「15、16、17と私の人生暗かった」・・そんな謡が昔、流行りました。私の人生に...
☆結成50周年の明年へ.以下に、きょうの聖教新聞の写真を添付します。写真解説「12月の香港総会(香港文化会館)の写真です」一国二制度が反故され圧政が続く香...
☆原田会長のタイ訪問.以下に、12月8日に開催されたタイ総会の写真を添付します。池田先生のタイ訪問30周年記念」の総会が12月8日、バンコク近郊のタイ本部...
☆ついに約束を完了する.3カ所に送付したレターパックの写真を以下に添付します。写真解説「レターパックには提案書、写真集、データの入ったUSBが入っています...
近年の創価学会員の教学レベルの低下には開いた口は塞がらず目は覆いたくなるよな。以前はネットでもリアルでも少しは法論ができる創価活動家がいたが今ではまともに法論ができるレベルの学会員は私の周辺には皆無だ。それは創価教学要綱に顕著なように創価教学そのものレベルの低下も原因だろうが、創価学会員の教学学習方法にも問題があると思う。率直に言うと創価学会員は教学を「学んでいない」(又は学んだふり)のである。私が創価活動家幹部時代に部員には「御書は分かる事ではなく感じることが大切だ」といつも言っていた。これは言い替えると「暗記ではなく思索することが大切」だということである。私は感性とは知性であり知性とは思索…
若し御自身に、我を以て本尊とせよと遊ばされたらば、何れの人か之を信ずべけんや。此れを以て文底に秘して、文の上を遊ばされたり。されば当家の習う法門は是れなり。 今回のは『法華取要抄私記』から当ブログでいつも書いている「御本尊は日蓮大聖人の色心二法である」という日寛上人の御指南です。創価や身延或いは無宗教に転向した人達は、戒壇大御本尊や大聖人本仏論といった正宗教義を否定するために「御書(遺文)に書いていない」ということを根拠としますが、御書に重要な事が書かれていない理由を日寛上人がここで述べています。大聖人が御自身の事を本尊にせよと言ったならばそれを理解できない僧俗信徒が信用せず不信を起こして退転…
日本国内の衰退に歯止めの効かない創価ではやたら「世界に広がる創価学会」をアピールしていて一般会員までも「世界に広がる創価学会」を自慢している。そんな能天気な創価員には「オマエは世界広布に1ミリも貢献してないだろう。世界広布を自慢している暇があったら個人折伏しろよ(爆)」とツッコミを入れたくなるが実際には創価ご自慢の世界広布の実態とはどの程度なのだろうか。公式発表によるとSGIの会員数は世界192か国で280万人だそうだ。日本を除く世界の人口は約80億人だからSGIの会員は世界人口の0.035%である。更に280万人の内160万人が韓国なので(韓国人口の3%)韓国以外では120万人で世界人口に対…
日蓮大聖人門下の使命といえば『国立戒壇』なんていうのは顕正会員くらいで普通は真っ先に『広宣流布』という言葉が思い浮かぶ人が多いと思う。創価は二言目には「宗門は広宣流布してこなかった。創価学会が広宣流布してきた」といってマウントをとるけど、このようにいう池田大作と創価学会員は何のために広宣流布をするのかまるで理解できていないお莫迦な連中だ。なぜ広宣流布をするのか?「大聖人の御遺命」「自他共の幸福」「世界平和」等々、全て間違っていないがもっと根本的な目的のための手段として広宣流布するのである。広宣流布は手段であって目的ではない。まずはそこのところが池田創価は理解できていない。広宣流布の文証は法華経…
月間ペン裁判の大半を占めるのは池田大作の女性スキャンダルに関する件だが、事実として明らかになったのは既に記事に書いたように、1池田会長が地方へ行く際は本部職員の女性を連れていく。施設では池田と女性しか入れない状況にあった部屋の存在。2三菱などの取引先との接待を通じて池田会長が複数の芸者と遊んでいた。という事のほかに、3渡部通子同様、池田会長の〝お手付き情婦〟と書かれた湊時子(旧姓・後の多田時子)のこと。4池田会長が渡米の際に買ったいう金髪コールガールのこと。5池田会長がソ連訪問旅行のさいに、KGB(ソ連秘密情報機関)の手によって仕組まれた女性関係等々があるが、中でも「芸者遊び」といえば池田創価…
創価学会退会の処方箋②創価を退会したら友達を失ってしまうと思っている方
創価学会員として男子部デビューしたばかりの頃、創価活動家は学会員以外(いわゆる外部)の友達が極端に少ないなぁと感じました。二世活動家などは子供のころから学会員の友人しかいなかったというし、「学会活動を真剣にしたら友人がいなくなった。でもそれは真の友人ではなかったのだからいなくなっても構わない」と外部に友人が少ないことを自虐ネタの自慢話に語る幹部もいたけど、いまいち笑えなかった。私は学会活動をしたら友達が増えると思っていたし外部に友人がいなかったら広宣流布なんてできないと思っていた。(事実、外部友人の少ない活動家は新聞啓蒙も折伏も結果をだせないでいた)でもいざ自分が学会活動を始めると確かに外部の…
「師弟不二」よりも酷いインチキ法門と言えば「人間革命」だろうな。創価公式によると「人間革命」とは、自分自身の生命や境涯をよりよく変革し人間として成長・向上していくことらしく創価思想を凝縮した言葉だそうだが、勿論「人間革命」などという言葉は御書には書いていない。御書に書いていないどころか創価オリジナルでもない。創価における「人間革命」の初出は昭和24年8月の戸田城聖会長の巻頭言(戸田城聖全集第1巻)である。 この「人間革命」は政治学者であり東大名誉教授だった南原繁氏のが初めて使った言葉である。その内容を一部抜粋すると「人間そのものの革命「人間革命」を成し遂げねばならぬ。われわれは単に政治的或は社…
池田大作の「裸の三畳間」は「月間ペン事件裁判」でもっとも興味を惹く部分だ。「裸の三畳間」とは、松島通子(旧姓・後の渡部道子)宅の三畳間で裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として元学会員の「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。二人とも当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。また当時松島家に同居していたいう「高根美枝」も証言台に立った。創価側は、「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが当時の松島家の住人や家族また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価…
創価怪文書『地涌』を破す③(創価幹部に論証された『地涌』のデマ)
創価怪文書『地涌』は今読み返すと本当に無根拠のデマと無教学のホラばかりで笑いを取りに来ている文書であることがよくわかるのだが、そんな『地涌』のウソ・デマはほぼ正宗側から破折されいてるのにも関わらず今だに『地涌』(フェイク・新報いった地涌の後追いも含む)の論説を主張してくる創価活動家がいるのにはほとほと呆れる。『地涌』のデマ記事ではなく大聖人仏法の法門で勝負してくる学会員がいないというのは元広宣部としては忸怩たる思いだ。『地涌』の論説を代弁する創価員は「地涌の記事がデマだと証拠はない」といってデマ記事の正当性を主張するがこれは【無知に訴える論証】という誤謬であり正しい論理として成立しない。この場…
SNSのフォローさんが当ブログ記事への反論ブログ見つけて教えてくれたので折角なので読んでみた。『私は宿業深き創価学会員(以下略)』という創価婦人部のブログだ。(いや学会員は宿業深いというより日々謗法現在進行形だが)反論の対象となっている当ブログの記事は、体験談だけが頼りの創価員。仏法は理屈だよ。 - 創価ダメだしブログだ。なんで現証大好き創価員は体験談を否定されると脊髄反射するのか不思議だわ。さて件の婦人部のブログもザッと読んだけど案の定反論のテイをなしていない駄文だった。私が記事中で主張したのは、現証(体験)は宗教の正邪を判定する材料にならないと趣旨で現証を否定しているわけではない。だから反…
創価謀略怪文書の『地涌』の第1号は1991年1月1日である。宗門に言論統制があるため自由な発言を出来なという理由から執筆者は匿名・出版元も極秘にするなどともっともらしい話を冒頭で書いているが何のことはない匿名で池田や創価の罵詈雑言をネットで発言している有象無象のアンチ創価発言と何も変わらないのが全体を通しての『地涌』の記事内容である。それもそのはずで執筆者の不破優は52年路線での池田の会長勇退をいまでも「池田は悪くない。僧侶と創価幹部に裏切らた」と『地涌選集』のまえがきに書いてしまうほどの池田教信者なのだ。池田教信者の特徴は大聖人仏法に対する教学も信心もないことだ。『地涌』の各記事を読めば不破…
ブログ等で体験談を語りその体験を根拠に「創価の信心は正しい」とか言う創価員って結構いる。中には日蓮正宗には功徳御体験がないなんて勝手に決めつけて正宗や法華講を腐すようなアタオカ学会員もいたりする。まぁ聞かれてもいないのに体験を自分から語る学会員の体験談はたいていは「大したことない」体験が多い。「俺も昔はヤンチャして云々」と自分から語るヤツがたいしてヤンチャしていないと同じだ。本人にとってはものスゴイ体験なんだろうけど第三者から見たら別にどうってことないような事ばかりでどこに自慢ポイントがあるのかサッパリ分からない。当ブログの読者で正宗に移籍して大白法(正宗の機関誌)に体験談が掲載された方がいる…