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池田大作の「裸の三畳間」は「月間ペン事件裁判」でもっとも興味を惹く部分だ。「裸の三畳間」とは、松島通子(旧姓・後の渡部道子)宅の三畳間で裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として元学会員の「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。二人とも当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。また当時松島家に同居していたいう「高根美枝」も証言台に立った。創価側は、「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが当時の松島家の住人や家族また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価…
池田大作・創価の裏工作が失敗し池田が2度法廷に立って晒された「月間ペン事件裁判」は創価側の勝訴の判決が出ているが、その判決によって恰も池田が潔白で被告の隈部の言ったこと(書いたこと)は全てウソ・デマと創価は会員に触れ回っているが名誉棄損というのは「事実を言っても(書いても)」成立する。隈部によって書かれた記事が「全て噓だった」ということを認定する判決ではない。裁判において注目べきは主文ではなくその判決文の内容なのである。特に名誉棄損裁判においては裁判の過程で何が語られたが重要である。例えば日顕上人の「芸者写真」裁判では宗門側の名誉棄損の訴えが認められず創価の勝訴になったが(この判決は今回の月間…
池田創価史に「夕張炭労事件」という歴史がある。『小説人間革命』にも書かれているが、この直後に池田創価ご自慢の自称権力との闘争(単なる選挙違反)である「大阪事件」につなっがていくので「夕張炭労事件」は「大阪事件」のオマケのような扱いで語られることは少ないので今時の創価員は知らない会員も多いだろう。もっとも今となっては「夕張炭労事件」は語らない方が身のためかも知れないが。事件の概略は1956年(昭和31年)に行われた第4回参議院選挙に端を発していて、それまで炭労の候補者に投票していた夕張の創価学会員が創価推薦候補を支援したことにより夕張炭労の2500票が創価推薦候補に奪われ炭労側が創価の組員に対す…
『言論出版妨害事件』といっても既に半世紀も昔の事で今の創価員にとって風化された事件であり、この事件についての創価員の知識は『人間革命』などで改竄された歴史程度のものだろう。『言論出版妨害事件』とは、昭和44年(1969年)に明治大学教授で政治評論家の藤原弘達が創価学会・公明党を批判した書籍『創価学会を斬る』の出版予告電車の中刷り広告で告示されると藤原や出版元の「日新報道」社に対して学会員が組織的に電話や手紙で抗議(脅迫)し、直後に予定されていた衆議院選挙への影響を考えた公明党幹部(東京都議会議員)藤原行正や聖教新聞社主幹だった秋谷栄之助(後の学会第5代会長)が、藤原や日新報道に本来あるべき取材…