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戸田城聖・創価2代会長の最晩年と言えば、いわゆる「3・16」に尽きる。創価では「広宣流布記念の日」と制定されているらしいが近年はあまりその意義が語られることは少ないらしい。大石寺から破門となった今の創価にとって戸田会長の「広宣流布の模擬試験」は、実現不可能とだからどちらかといえば無くしてしまいたい歴史なのかもしれない。とはいえ戸田会長の死去の僅か半月ほど前に行われた「3・16の式典」は戸田会長の最後の指揮であったから「無かったこと」にはできないだろう。更に言えば戸田会長は死去の前日まで総本山大石寺の理境坊にいた。誠に素晴らしい事だと思う。この戸田会長の最晩年について池田大作は「人生の最後の最後…
創価の二代会長・戸田城聖の『獄中の悟達』が、池田創価の原点であると創価は主張する。いやソコが創価の原点ならば初代の牧口常三郎は原点以前の人だから創価とは全然関係ない人だよね。なんで牧口会長を初代にするのさ?というツッコミはさて置き、戸田会長の悟達とは簡単に言うと獄中で無量義経を読んで「仏とは生命なり」と「戸田会長が虚空会の儀式に参加したいた」と悟ったことらしい。さらに出獄後の昭和26年2月には「路上の悟達」もあったとか(笑)そもそも2度も3度も悟達してたら最初の悟達の時は悟達してなかったということになるだろうが!というツッコミも置いていて、教学的に言えば無量義経で悟達なんてできるわけがない。無…