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現在の曹洞宗の宗典になっている『修証義』の思想構造について考えてみると、いわゆる「四大綱領」を基本にしていることは明らかだが、「四大綱領」を考えた大内青巒居士の見解を参照すると、大事なのは「受戒入位」と「行持報恩」になる。そして、これは以前、別の文章でも書いたことがあるのだが、青巒居士がこの2つを基本に据えたのは、「四恩十善」という考えが元になっているとされる。「四恩十善」については、青巒居士が主体的に関わった明治時代初期の仏教結社であった和敬会や明道協会などで重視された。そして、この記事で見ておきたいのはこの原典であり、本来ならばどういう文脈で語られたものなのか?ということである。然るに、「四恩十善」というのは、伝統的な文脈に存在しているのだろうか?その辺について見ておきたい。ところで、青巒居士は浄土宗...「四恩十善」にかかる雑考
これまで、大内青巒居士について、何度か論文を書いたことがあったのだが、気付かなかった一節を見出した。いや、その本自体は読んでいたので、単純にこのことに関心が及ばなかった、ということだろう。それは、次の一節である。明治十七年十一月東京絶江の露堂に於て菩薩戒弟子藹々居士大内青巒謹識大内青巒編『曹洞宗両祖伝略』鴻盟社・明治17年このように、青巒居士自身は自称の中に、「菩薩戒弟子」と入れ込んでいる。そうなると、この段階で受戒していたことを意味している。問題は、戒師が誰だったのか?ということと、いつ頃の受戒だったのか?ということが気になった。それで、結論からいうと、良く分からなかった。例えば、この署名について、この後の文献も使い続けているのなら、その前の受戒という理解が可能だが、どうも、前の著作でも後の著作でも、こ...大内青巒居士は誰から受戒したのか?
流石に令和の時代まで来ると、周囲でも用いている人は多くないけれども、当方は以前であれば『本山版縮刷正法眼蔵(全)』(鴻盟社)を使用していた。最近は、大久保道舟先生編『古本校定正法眼蔵(全)』(筑摩書房)か、『本山版訂補正法眼蔵』(大法輪閣)を用いている。三者に共通するのは、一冊でほぼ全ての『正法眼蔵』を拝読可能であり、只管に読むためには優れていると思う。さて、最初に紹介した鴻盟社版が「縮刷」で発刊されるに到ったのは、明治時代のことであり、大内青巒居士の編集が大きいとされている(現在鴻盟社より刊行されているのは、この明治期の改訂再刊本であり、昭和27年の道元禅師700回大遠忌を記念した事業であった。当方の手元には明治18年に発刊された初版本もあるが、現行本と初版本の決定的な違いは、初版本には当時未発見であっ...『正法眼蔵』の売り文句