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今日は、三月八日である。ちょうど、「3」と「8」の数字が重なっているので、語呂合わせ的に「三八念誦」の話をしたいと思う。三八念誦というのは、禅宗叢林で行う念誦(仏名のお唱え)のことであり、特に3と8が末に付く日に行ったので、「三八念誦」と通称される。行う目的は、念誦の回向文を見ると分かる。念誦〈三日〉皇風永く扇ぎ、帝道遐かに昌たり、仏日輝きを増し、法輪常に転ず。伽藍土地、護法安人し、十方の施主、福を増し慧を増さんことを。如上の為に縁を念ず。〈十仏名之れ在り〉念誦〈八日〉大衆に白す。如来大師入般涅槃し、今に至って日本〈某〉年、已に二千二百歳を得たり。是の日已に過ぎ、命亦た随って減ず。小水の魚の如し。斯に何の楽しみか有らん。衆等、当に勤精進して頭燃を救うが如くせよ。但だ無常を念じて慎んで放逸なること勿れ。伽藍...三八念誦の話(令和6年版)
今日という日付の語呂合わせで、「三八念誦の日」・・・には決まっていない。当方で勝手に、この日は禅林で、日付の3・8の日に行われている「三八念誦」について考える日だと決めている。この「三八念誦」については、例えば以下の記述が参照可能である。比丘に示す、慎んで放逸なること勿れ増一阿含経に云わく、眼、色を以て食と為す。耳、声を以て食と為す。鼻、香を以て食と為す。舌、味を以て食と為す。身、触を以て食と為す。意、法を以て食と為す。涅槃、放逸無きを以て食と為す。如今の叢林中、三八念誦、鐘を鳴らして衆を集め、維那、白して云わく、衆等、当に精進を勤むるは頭然を救うが如くすべし。但だ無常を念じて慎んで放逸すること勿れ、と。此の語、増一と頗る同じ。往往にして聞く者、以て常例と為す。風の樹を過ぎるが如く、略して采を餐せざれ。仏...「三八念誦」という話(令和5年度版)