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とても似たような用語に、「五辛」と「五葷」がある。同じだという場合もある。なお、江戸時代以降の禅宗寺院に良く見られる「禁葷酒入山門」という石碑は、「葷と酒を山門に入ることを禁ず」となるわけだが、この場合の「葷」とは「五葷」を指している。ただ、一方で菩薩戒を見ていくと、「五葷」よりは「五辛」表記が一般的な気がする。なんじ仏子、五辛〈大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠〉を食することを得ざれ。是の五種、一切食中に食することを得ざれ。若し故らに食する者は、軽垢罪を犯す。『梵網経』巻下「食五辛戒第四」以上の通りである。しかし、それでは「五葷」はどこに出てくるのか?最近の『大蔵経』検索サイトで調べてみると、「五葷」は中国明代以降の文献にしか出てこない。前述の「禁葷酒入山門」について、黄檗宗到来以降だという話があるので、明代...五辛と五葷に関する雑談
「道具」という言葉がある。今では、英語の「tool」の訳語としての位置付けになっていると思うのだが、元々、「道具」というのは仏道を学ぶための「具」だったともされる。将に叢林に入るには、先づ道具を弁ずべし。中阿含経に云わく、蓄うる所の物、身を資するべきは、即ち是れ善法増長の具なり。菩薩戒経に云わく、資生順道の具なり。『勅修百丈清規』巻5「弁道具」項以上の通りである。ここで「道具」については、『中阿含経』を典拠として挙げつつ、「善法増長の具」とし、また、『菩薩戒経』を典拠として挙げつつ、「資生順道の具」だとしている。つまりは、自分自身の身の助けとしつつ、善法に順うための「具」を意味しているといえよう。ところで、ここで挙げられた『中阿含経』や『菩薩戒経』だが、実際の典拠はどうだったのだろうか?少し調べてみたが、...仏道修行の「道具」の話