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以前、【雪峰義存禅師の出家事情】という記事をアップしたことがあるのだが、それと関連したような、していないような記事である。第三十祖僧璨大師は、何許の人か知らざるなり。初め白衣を以て二祖に謁し、既に度を受け法を伝う。舒州の皖公山に隠れ、属して後、周の武帝、仏法を破滅す。師、太湖県司空山に往来し、無常処に居ながら十余載を積む。時の人、能く知る者無し。隋の開皇十二年壬子歳に至り、沙弥道信有り、年始十四なり。来たりて師を礼して曰わく、願わくは和尚、慈悲、乞うらくは解脱の法門を与えよ。師曰わく、誰か汝を縛るや。曰わく、人の縛るもの無し。師曰わく、何を更に解脱を求めんや。信、言下に於いて大悟し、九載服労す。『景徳伝灯録』巻3これは、中国禅宗三祖(インドの初祖・摩訶迦葉尊者から数えると三十祖)となる鑑智僧璨禅師について...『景徳伝灯録』に見える破仏について