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ただ今お盆休みだ。13日に実家に帰って迎え火のお墓参りに行ってきた。お花を供えたり、線香を上げたりしながらいろいろなことを考えた。毎年のことだけど、いつも堂々…
以前に二度ほどアップした記事だが、再改訂する必要が出て来たので、今日はそういう内容である。そこで、最大の問題は、拙僧自身、「施食会」と「盂蘭盆会」との違いが良く分かっていなかったということがいえる。また、「施食会」やその作法に関する参究も進めて、原典や歴史的経緯なども明らかになってきた。現在では、「盂蘭盆会」の季節になると、曹洞宗では「施食会」という儀式が一緒に行われる。「施食会」とは、古来から「施餓鬼会」「水陸会」「冥陽会」などと呼ばれた儀式で、餓鬼道にあって苦しむ一切の衆生に食べ物を施して供養し、そして現当二世の福徳を祈るという内容である。そもそも餓鬼道とは「生前に嫉妬深かったり、物惜しみやむさぼる行為が甚だしかった者が赴く場所である」とされるか、ヒンドゥー教では死後1年経つと祖霊の仲間入りをするが、...施食会と盂蘭盆会(再改訂版・令和5年度「裏盆」の学び1)
『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究3(令和5年度「盂蘭盆会」の学び3)
本当は、8月を盆月として、盂蘭盆会の記事を書こうと思っていたが、他の記念日の記事で埋め尽くしてしまったので、ようやく一昨日・昨日と記事を書いた。なお、これまで、注目はしていたが、記事を書いたことが無かったので、『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項を学んでみたい。○経に又た云く、七月十五日、僧の自恣日なり。当に七世の父母及び現在の父母の厄難中の者の為〈此の文、又た通ず。現在の父母を保安す〉に、飲の百味五果、汲灌の盆器・香油・挺燭・床敷・臥具、尽く世の甘美たるを具え、以て盆中〈盆会の中〉に著けて、十方の大徳・衆僧を供養す。又た云く、初めて食を受くるの時、先づ仏塔中を安洒し、衆僧呪願し竟れば、便ち自ら食を受く〈若しくは仏の食を供養し、回して僧に供する者、即ち此の日に得て、他日には通ぜず。今、却って寺中に於いて、亡人への...『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究3(令和5年度「盂蘭盆会」の学び3)
今の時期はお盆ということで各宗派のお寺で『盂蘭盆会(うらぼんえ)』の法要が行われていますね。『施食会(せじきえ)』という宗派もあります。私の菩提寺でも昨日『盂蘭盆会』があり参詣してきました。他宗ではどんな感じなのか分かりませんが日蓮正宗では最初に献膳の義、その後読経・唱題に入り読経の途中でお焼香をするといった流れです。唱題が終わると御住職が塔婆供養を願い出た方々と菩提寺の檀信徒の精霊に追善回向の御観念をしてくれます。こういう法要に参詣する度に創価学会という新興宗教を辞めて日蓮正宗に移籍してよかったと思います。創価員は今頃は先祖供養なんて放っておいて「友好活動」という名の選挙事前運動をしているの…
『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究2(令和5年度「盂蘭盆会」の学び2)
本当は、8月を盆月として、盂蘭盆会の記事を書こうと思っていたが、他の記念日の記事で埋め尽くしてしまったので、ようやく昨日から記事を書き始めた。なお、これまで、注目はしていたが、記事を書いたことが無かったので、『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項を学んでみたい。○古師云く、盆、或いは是れ鉢なり。但だ訳す時、俗称の盆に随うのみ。盆と之れ鉢と、皆、器なるが故なり。経に云く、是れ仏弟子の孝順を修する者、応に念念中に常に父母を憶うべし。乃至、七世の父母、年年の七月十五日、為に盂蘭盆を作し、仏及び僧に施し、以て父母の長育慈愛の恩に報ゆ。『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項ここでは、「古師云く」ということになっているが、典拠は圭峰宗密『盂蘭盆経疏』巻下で間違いないようだ。それから、後者の「経に云く」の部分は、『盂蘭盆経』の末尾に当たる...『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究2(令和5年度「盂蘭盆会」の学び2)
『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究1(令和5年度「盂蘭盆会」の学び1)
本当は、8月を盆月として、盂蘭盆会の記事を書こうと思っていたが、他の記念日の記事で埋め尽くしてしまったので、ようやく今日から記事を書いておきたい。なお、これまで、注目はしていたが、記事を書いたことが無かったので、『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項を学んでみたい。此れ釈子、孝を申して報恩し、救苦の要たるは、目連の救母を以て始と為すなり。梵語の盂蘭、此に云わく倒懸を救うなり。盆、則ち此れ方器なり。此の経目、華梵を双つ挙ぐるなり。若し梵語の声に従えば、其の盂の字、須らく皿に従わざれば、必ず執笔者の誤にして爾り。若しくは于闐等、知るべきなり。『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項いわゆる『盂蘭盆経』に因んだ内容である。何故ならば、孝のために報恩し、衆生の苦悩を救うことが、目連尊者が、その母を救うことをその初めとすると書いてあるた...『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項参究1(令和5年度「盂蘭盆会」の学び1)
昨日、盂蘭盆会の送り火が炊かれ、きっとメーテルはお空に帰っていっただろう。盂蘭盆会の間、不思議なことがあった。なおはキャットタワーにあまり登らない。それが、キャットタワーに登って、私がとっても好きなメーテルの写真と同じポーズをしてくれた。こちらのポーズ
メーテルを埋葬したお寺の盂蘭盆会は16日に迎え火をして24日に送り火をする。メーテルは来てくれたかな?ママは全然気づかないけどさ。ママはメーたんがお空で元気で幸せなら何も言うことはありません。困ったときはママができるだけのことはするけど、ママはお空には行けな
今日7月15日は解夏である。いわゆる、夏安居の解制である。そこで、この意義について、道元禅師の教えを学んでみたい。夏安居の一橛、これ新にあらず、旧にあらず、来にあらず、去にあらず。その量は、拳頭量なり、その様は、巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆえにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆえにさる、帀地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆえに、結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、新曾の面面、ともに結・解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。『正法眼蔵』「安居」巻夏安居を「一橛」と表現されている。この「橛」とは、「くい」の意味だが、真言宗では結界の四方を示すというから、この場合も安居を1つの「結界」と見ていることを指す...今日は解夏の日(令和5年度版)
13日からお供えした仏さんのお膳も、16日で最後(言うても我が家では3食ではなく、朝しかお供えせんけど)。16日はアラメを湯がいて、その汁をかど(表)に流す。「追い出しアラメ」で、どす黒い熱湯に追い立てられ、おしょらいさんはあの世へ帰って行かれるのである。最終日
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2700名以上…
勝手な感じだが、8月5日になったので、八月盆(8月に行われる盂蘭盆会)について考えようと思う。今日から8月14日まで、幾つかの記事をアップするようにしたい。ところで、明治期に行われていた日本の仏教儀礼研究の成果を見てみると、盂蘭盆会については『日本書紀』を典拠にしつつ、推古天皇の御宇に行われたとする場合が複数見られた。そのため、典拠とされる一節を見てみた。十四年夏四月乙酉朔壬辰、〈中略〉是の年より初めて毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す。『日本書紀』巻22「推古天皇」項以上の通りなのだが、これは推古天皇14年(606)のこととされる。そして、この年、奈良や飛鳥の諸大寺に仏像が安置されたことを示すのだが、その一節の末尾に「毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す」とあるのだが、この内、「四月八日」については説明は...日本の盂蘭盆会の始まり(令和4年度八月盆①)