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盂蘭盆会は何故7月15日なのか?(高田道見先生『盆の由来』参究4)
【七世の父母か?無量世の父母か?(高田道見先生『盆の由来』参究3)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、然らば此法は何時にても、随意に之を行ふて然るべき筈なるに、毎年七月十五日と定めたるは如何なる訳なるぞ、又此法は如何なる縁起によりて始まりたるものなりや、委しくその由来を示せ○答ふ、これは目連尊者がその亡母をたすけ玉ひしより始まりしものなり、今ま盂蘭盆経によりて、その来縁を按ずるに、〈中略〉其母は哀れ餓鬼道に生じて苦みを受くること無量なり〈中略〉ソコデ又仏目連尊者に告げ玉はく、七月十五日は十方より集まり居れる衆僧が、自恣とて随意に休暇(ドンタク)を催ふして、既往三箇月中の善し悪しを述べ、甲乙互に懺悔滅罪を為す喜ばしき日柄なれば、其時を幸ひとして当に盂蘭盆会を...盂蘭盆会は何故7月15日なのか?(高田道見先生『盆の由来』参究4)
今日は海の日である。もう何年か前から「ハッピーマンデー」になっていたので、今日となる。ところで、大乗仏教で「海」といえば「海印三昧」がある。この三昧は、本来無礙なる仏の智慧の海に、一切の真実相が「印」されて映るような禅定三昧を意味し、『華厳経』という仏典は、この「海印三昧」を説いたものであるとされる。道元禅師は、この「海印三昧」を承けて、中国禅宗の祖師方が説いた教えをもって解釈し『正法眼蔵』「海印三昧」巻を、仁治3年(1242)4月20日に興聖寺で著されたが、他にも道元禅師の著作には「海」が多く登場する。寮中の清浄大海衆、いまし凡いまし聖、誰か測度するん者ならんや。〈中略〉但、四河海に入って復た本名無く、四姓出家しても同じく釈氏と称せよとの仏語を念え。『永平寺衆寮箴規』そもそも、修行僧は「清浄大海衆」とさ...道元禅師と「海の日」(令和6年度版)
↑(公財)日本海事広報協会からお借りしましたブログ村に登録しています ポチッと応援クリックお絵描きの励みになりますのでお願いします2024年7/15は『海の日』です
こんばんは、ねこうさです。 今日はNissyのFCイベント二次先行の当落日。 一次先行で既に私の誕生日の10月公演と、最終日の沖縄公演の2公演当選していました。(FCイベント当落の日。) 二次先行も一次先行同様、8月~10月までの前半と11月~2月までの後半に分かれての申し込みでした。 日程が多すぎて、申込するたびに迷う(笑)あそこも行きたい、ここも行きたいと欲が出てしまいます。 色々と悩んだ末、既に確保している公演の日が2日間とも昼夜2公演ある日だったため、まだ当たっていない方を第1希望にして申し込みました。 そして今日、その当落発表の日。一次先行の当選率から当たる自信を取り戻した私。 案の…
今日7月15日は解夏である。いわゆる、夏安居の解制である。そこで、この意義について、道元禅師の教えを学んでみたい。夏安居の一橛、これ新にあらず、旧にあらず、来にあらず、去にあらず。その量は、拳頭量なり、その様は、巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆえにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆえにさる、帀地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆえに、結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、新曾の面面、ともに結・解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。『正法眼蔵』「安居」巻夏安居を「一橛」と表現されている。この「橛」とは、「くい」の意味だが、真言宗では結界の四方を示すというから、この場合も安居を1つの「結界」と見ていることを指す...今日は解夏の日(令和5年度版)
半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日。 元々は正月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元、合わせて「三元」とする道教の習慣。 中国仏教ではこの日に祖霊を供養する「盂蘭盆会」を行った。 つまりは「お盆」。 👇画像は東洋経済より。 日本では江戸時代から、商売...