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今日は海の日である。もう何年か前から「ハッピーマンデー」になっていたので、今日となる。ところで、大乗仏教で「海」といえば「海印三昧」がある。この三昧は、本来無礙なる仏の智慧の海に、一切の真実相が「印」されて映るような禅定三昧を意味し、『華厳経』という仏典は、この「海印三昧」を説いたものであるとされる。道元禅師は、この「海印三昧」を承けて、中国禅宗の祖師方が説いた教えをもって解釈し『正法眼蔵』「海印三昧」巻を、仁治3年(1242)4月20日に興聖寺で著されたが、他にも道元禅師の著作には「海」が多く登場する。寮中の清浄大海衆、いまし凡いまし聖、誰か測度するん者ならんや。〈中略〉但、四河海に入って復た本名無く、四姓出家しても同じく釈氏と称せよとの仏語を念え。『永平寺衆寮箴規』そもそも、修行僧は「清浄大海衆」とさ...道元禅師と「海の日」(令和6年度版)
現在、【『正法眼蔵』勉強会】にて、『正法眼蔵』「海印三昧」巻を読んでいる。実際、拙僧にしてみれば、久方ぶりの同巻であった。無論、常日頃『正法眼蔵』を読みつつ目を通してはいるが、受講者にしっかり学んでもらえるくらいまで読むとなると、12年ぶりらしい。そこで、この記事では、勉強会で申し上げることをまとめているときに改めて、以前から気になっていた、「海印三昧」巻冒頭の一節について、私見を開陳してみたい。大学院生だった頃にまとめた、ゼミ用の予習ノートを見返していたところ、「海印三昧」巻冒頭について、「本則の場所が不明瞭」「これ、別の本則があったのではないか?」という書き込みがされていた。最初は、記憶の彼方にあったことなので、何のことか本人が分からなかったのだが、色々と考えている内に思い出した。それは、本文をご覧い...『正法眼蔵』「海印三昧」巻冒頭の話