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現在、【『正法眼蔵』勉強会】にて、『正法眼蔵』「海印三昧」巻を読んでいる。実際、拙僧にしてみれば、久方ぶりの同巻であった。無論、常日頃『正法眼蔵』を読みつつ目を通してはいるが、受講者にしっかり学んでもらえるくらいまで読むとなると、12年ぶりらしい。そこで、この記事では、勉強会で申し上げることをまとめているときに改めて、以前から気になっていた、「海印三昧」巻冒頭の一節について、私見を開陳してみたい。大学院生だった頃にまとめた、ゼミ用の予習ノートを見返していたところ、「海印三昧」巻冒頭について、「本則の場所が不明瞭」「これ、別の本則があったのではないか?」という書き込みがされていた。最初は、記憶の彼方にあったことなので、何のことか本人が分からなかったのだが、色々と考えている内に思い出した。それは、本文をご覧い...『正法眼蔵』「海印三昧」巻冒頭の話
拙僧が昨年度から講師を担当している【『正法眼蔵』勉強会】は2つあるが、その1つで「画餅」巻を読み終えた(次回からは「海印三昧」巻となる)。そこで、末尾に結構難しい一節があるので、それを学んでみたい。しかあればすなはち、画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず、画充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし。この宗旨を参学するとき、いささか転物物転の功徳を、身心に究尽するなり。この功徳、いまだ現前せざるがごときは、学道の力量、いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、証画現成なり。『正法眼蔵』「画餅」巻さて、注意しなければならないのは、「飢」「不飢」「充」「...『正法眼蔵』「画餅」巻の一節の参究