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色々とあって、最近、『正法眼蔵』「安居」巻を参究していた。無論、何度も拝読している。だが、参究というのは、参学眼を通して、正法眼で本文に自己を没却させていく作業である。こちらが読むのではなくて、本文に読ませてもらう。その時、自己は忘れているが、かえって仏道は学ばれていく。まさしく、「仏道をならうというは・・・」という「現成公案」である。さて、「安居」について以下の一節を参究してみたい。九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆえに、仏仏祖祖嫡嫡正稟して今日にいたれり。しかあれば、夏安居にあふは、諸仏諸祖にあふなり、夏安居にあふは、見仏見祖なり、夏安居、ひさしく作仏祖せるなり。「安居」巻我々は、仏祖が安居をするものだと思っている。だが、実は逆で、先に「安居」がある...「安居」のシステム論的考察
加賀大乘寺山内の行持作法を定めた『椙樹林清規』について、以前から気になる一節があったので、探っておきたい。具体的には、毎月3回行われる、「宣読箴規」についてである。そもそも、『椙樹林清規』は、大乘寺25世・月舟宗胡禅師、26世・卍山道白禅師による『瑩山清規』研究などが前提となって編まれているものだが、そのためか、「宣読箴規」についても、以下の通り定められている。飯後坐禅板鳴て、知客、衆寮本尊前に就て、亀鏡文を読む、其の式は、止静の魚声を聞て、衆寮前の版、打すること三通、時に禅堂外堂、同列に衆寮に赴く、大衆普同三拝して、具上に坐す、知客、本尊前に進て、炷香、文を香に薫じて、具上にして之を読む、大衆諦聴す、読了て普同三拝、結制の中は、必行茶あり、副寮等之を弁ず、行茶了て大衆帰堂、各おの被位に倚て坐禅す、清規に...『椙樹林清規』に見る『正法眼蔵』講義について
「還吾安居来」は、当方が用いてしまった個人的表現だが、典拠としたのは次の御垂示である。・万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。・もし児孫と称するともがら、坐夏九旬を、無言説なり、といはば、還吾九旬坐夏来、といふべし。ともに『正法眼蔵』「安居」巻このように、道元禅師が「還吾」云々という表現が以前から気になっていたのだが、色々と調べていたところ、どうも典拠らしき表現を見出したので、紹介しつつ検討したい。還吾平生粥飯来(還た吾れ平生に粥飯し来たる)『霊竺浄慈自得禅師録』巻4「示衆」漢語仏典を見ていくと、もちろん、「還吾」という表現は頻出するのだが、道元禅師のように用いている事例としては、以上の一節を見ていくべきだといえる。この語録とは、中国曹洞宗の自得慧暉禅師(宏智正覚禅師の資、1090~1159)のものである...「還吾安居来」の話
今日7月15日は解夏である。いわゆる、夏安居の解制である。そこで、この意義について、道元禅師の教えを学んでみたい。夏安居の一橛、これ新にあらず、旧にあらず、来にあらず、去にあらず。その量は、拳頭量なり、その様は、巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆえにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆえにさる、帀地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆえに、結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、新曾の面面、ともに結・解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。『正法眼蔵』「安居」巻夏安居を「一橛」と表現されている。この「橛」とは、「くい」の意味だが、真言宗では結界の四方を示すというから、この場合も安居を1つの「結界」と見ていることを指す...今日は解夏の日(令和5年度版)
以前から思うことの1つに、「暫到」って、本当はどういう意味なのか?ということがある。現在の宗門では、僧堂修行に赴くと、まずは「暫到和尚さん」と呼ばれる。で、「暫到」の「暫」というのは、「しばらく」という意味であるから、これを素直に受け取ると、しばらくの間到れる者、という意味になると思われる。要は、長期間いることを前提にされていない者、という意味のはずなのだ。そう思っていたら、江戸時代の臨済宗の学僧・無著道忠禅師が、以下のような記載をしていた。忠曰く、暫くの時、某寺に到る。当に久しからずして、而も去るべし。故に暫到僧と曰う。『禅林象器箋』巻6「第六類稱呼門」「暫到」項ここに、「久からずして、去る」とある通り、「暫到」というのは、その叢林に長居することを前提にされていない者のはずなのだ。いや、実はこの用語、宗...「暫到」考