「同安居」という言葉
我々は、道元禅師が用いた言葉であっても、それが現代と同じ意味として使われているとは限らないことを知るべきなのだろう。例えば、次の御垂示はどう理解すべきだろうか?しかうしてのち、衆僧、おのおのこころにしたがひて人事す。人事とは、あひ礼拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は、堂中の法になずらふ、人にしたがひて今案のことばも存す。『正法眼蔵』「安居」巻これは、「安居(特に、道元禅師の時代は「夏安居」に限定)」が始まるときに、修行僧達がお互いに挨拶する行持(人事)について指摘されたものである。それで、今でもそうだが、当時、修行僧達は住持に対して挨拶をした後で、お互いに挨拶したのであった。「人事(読み方...「同安居」という言葉
2024/06/03 20:26