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『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その3)
私たちは、私たちを取り巻く外界やその中に存在するあらゆるものを何かと判断したがる。だがもし、そのような心の働きが止み、分裂した意識が統一されれば、外界の存在物がありのままに、私たちに入ってきて私たちと一体となるのだ。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その2)
禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その1)
草花をめでることのできる良い時節は、いましかないのかもしれない。ならば、お勤めよりも、心の赴くままに時節を満喫した方がよいのかもしれぬ。一日遊んで夕方帰ってきたら、「どこに行ってました」と問い詰める者がいたとしても。