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禅の心の働きを、見事にイメージしたもの。わずかなひらめき、かすかな動きにも応じなければ、たちまちそこは死地だということ。そういったぎりぎりのところに応じるために、人はどのような心持を持っていなければならぬのか。
毎日毎日、私たちはこんなふうに生きていけるだろうか。人間の心は「境界」に影響されて動じる。だが、心を動ぜず、日々の運行をそのまま心に受けとめ、無心に生きていく。そういう心の持ちようをめざす。
仏教では、「仏」とは、特定の時代に生きた、特定の教祖を指して言うのではない。「仏」とは、生死を始め、この世の苦しみを生む諸現象を乗り越え、そこから解放された過去、および現在、および未来のすべての悟ったものをいう。
禅は仏教の中で、生死の迷いからの脱却の理解を、学問や身体的苦行に頼らず、過去多くの諸仏たちが得た実体験をそのまま原体験することを目指す宗派である。生死の境を脱却するのだから、殺活の剣の喩えがよく出てくる。