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禅は、言葉を軽んじる一方で、言葉による問答を重視し、その問答を契機としてその言葉がひらく真実の世界の体得を目指す。だから、その契機となる「一句」が分かれば、祖仏祖仏たちに負うている恩に報いることができるのだ。
言葉は、理知から出て、理性を象徴するものである。禅は、ことばによる真実の伝達を嫌い、直接的な個人的体験を重んじるが、その直接的体験にいざなうために、言葉の指示を重んじもする。
「教外別傳、單傳心印、直指人心、見性成佛」、これがまさに禅宗の標榜するもの。人は誰でも、代々のボサツやブッタのように、苦しみや迷いの世を乗り越え目覚めたものになる可能性を持っている。可能性を目覚めさせその道を登っていく。