擬議すれば、そこは死地。
山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしを深めている最中であったが、原発事故にあう。
東京生まれ。20代のとき岩手県で3年間農業研修生として慣行農法を学ぶ。その後、仙台の郊外に家庭菜園を借り有機農法や自然農法を実践する。平成18年より宮城県角田市で山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしをさらに深めている最中であったが、原発事故後は仙台市内に戻る。
擬議すれば、そこは死地。
『碧巌録』より 第八〇則 趙州孩子六識 / 趙州初生孩子(その3)
遇茶喫茶、遇飯喫飯。一つのことに徹底することが必要なのだ。だが、こだわらない、放下する、向上一路が禅のあり様なのだ。
『碧巌録』より 第八〇則 趙州孩子六識 / 趙州初生孩子(その2)
得道の人は無心の大地山河にたとえられる。こだわる心が引っかかるそういったものをすべて無にして、ただ運行していく。無心だからこそ、慈愛深くすべてを受け入れることができる。最後に、禅はひとつの境地にとどまることを許さない。得たものを捨てて超えていく。
『碧巌録』より 第八〇則 趙州孩子六識 / 趙州初生孩子(その1)
禅は心の問題を扱う。心があらゆるものをつくり出し、そのつくり出したものが心を動かすのだから、心の流れを断ち切り無心になることをめざす。
そこに間髪を入れてはだめだ。自由な精神は、どこまでも停滞することなく転じていく。
『碧巌録』より 第七八則 十六開士入浴 / 開士悟水因 (その3)
求めれば、相手は去る。ただただ、日常の行住坐臥を生き抜くことだ。そこと一体になれれば、自由の境地に至れる。
『碧巌録』より 第七八則 十六開士入浴 / 開士悟水因 (その2)
心の問題は実に厄介だ。だが、自分の心を懸命に明(あき)らめてみよ、そうすれば心などない、ということが、あれほどこだわっていた自分の心などどこにもない、ということがわかる。
『碧巌録』より 第七八則 十六開士入浴 / 開士悟水因 (その1)
その昔16人のボサツたちは、礼式に従い入浴している時、水が、汚れにも触れず、体にも触れず、その中間に水は水として安穏として存在しているという水の本質により悟りを得た。
真理にさえ、悟りにさえ停滞しては、立ち止まってはいけない、というのが禅の教えだ。では、そこを超えたところには何があるのか。ゴマ餅で表象される、具体物、日常性、何物にもとらわれないこと、深く考えをむすばないこと、そこにそのままあること。
ここも、「どこから来た?」の恐ろしい質問が端緒となっている。
霊妙な宝剣は。常に現前していて、またよく人を殺しもし、またよく人を活かしもする。
『碧巌録』より 第七四則 金牛和尚呵呵笑 / 金牛飯桶(その2)
ここでも、禅は自らの体験、一瞬の心の動きのことであると言っている。(言語を否定しつつ、言語で「それ」を指し示す矛盾)
『碧巌録』より 第七四則 金牛和尚呵呵笑 / 金牛飯桶(その1)
日常茶飯、行住坐臥の中に禅はある。どこか特別なところにあるのではない。
『碧巌録』より 第七三則 馬大師四句百非 / 馬祖四句百非(その2)
禅的真理(悟り)を得ようとするものには、わざわざ真理を語らない。ではどうやって真理に到達し、その真理と契合するのか。
『碧巌録』より 第七三則 馬大師四句百非 / 馬祖四句百非(その1)
禅は「意味」の追求をやめねばならない。「意味」のない世界に耐えねばならない。さらに、「耐える」ということをも突き抜けて、ただ「生きる」、ただただ「生きる」を行為する。
百丈はまた雲巖に問うた、「のどや口をふさがれて、どう言う」。雲巖が答えた、「そうやられて、和尚様でも一言いうことができましょうか」。百丈が言う、「このありさまでは、私の法を継ぐ者は絶えてしまうであろう」
往々にして、答えは質問そのものの中にある。質問者が、自分の中に答えを持っている。その答えをどうやって引き出すのかが、禅の指導者の役割だ。
永遠と一瞬が包摂し、重なり合うことを、禅ではよく述べる。
自由気ままにふるまっていても、大事なところからは少しも離れていない。すべての川は流れを異にするものの、行きつく先はすべて海。
仰山が三聖に尋ねた、「おまえの名は何という」。三聖が言う、「慧寂でございます」。仰山が言う、「おい、慧寂はこのわたしだぞ」。三聖が言う、「慧然でございます」。仰山はアハハと大笑いした。
ここでも、禅は言葉でもなく、知識でもなく、自らの了解の体験なのだということを示す梁の武帝を通しての逸話となっている。
巖頭が寺へやってきた僧に問うた、「どこから来なすった」。僧が答える、「長安です」。巖頭が言う、「おお、長安と言えば、黄巣の賊どもがいなくなった後、奴らが天から降ってきたと言いふらしていた剣は回収できたのか」。僧が答える、「回収いたしました」。巖頭が首を伸べて前に進み出ると、「ストン」と言った。僧は言う、「和尚様の首は落ちましたぞ」。巖頭は、「わはは」と大笑した。
『碧巌録』より 第六五則 外道問仏有無 / 外道問佛(その3)
鏡と存在事物との喩えは、禅で多用される。心を鏡面のようにせよ、その心の鏡にに森羅万象がそのまま映り込み流れ行くようにせよ。
『碧巌録』より 第六五則 外道問仏有無 / 外道問佛(その2)
「~である」と肯定するのではなく、「~ではない」と否定していくのは仏教でよく取られる論理論法である。「~ではない」と言われれば、では「~なのか」と分別心が沸き起こる。しかし、またそれも否定して、「そうではない」と言う。するとまた、では「~なのか」という心が生じる。それをも否定して、また「そうではない」と否定言辞を重ねる。そうして否定し尽くした先に、論理ではたどり着けない仏教的な真理がある。それは「~である」と肯定の言辞ではたどり着けないし、指し示すこともできないので、仮に否定を重ねるが、本来は各人が各人でそれを体験してわかるしかない。
『碧巌録』より 第六五則 外道問仏有無 / 外道問佛(その1)
この沈黙の間に、ブッダは外道の尊者に何を伝えたのであろうか。もちろんブッダが述べているように外道の尊者は、もうすでに熟し落ちる寸前。ブッダの沈黙の中で伝えられたものを、自分の内面で体験し、「わかった」のだ。
南泉は言った、「生死を超える一句を言ってみよ、もし言えれば、この猫を斬らずにおこう」。その場における反応は、火打石が火花を散らすようにも、雷の光がひらめくようにも、迅速でなければならない。趙州は、わらじを頭に載せて出て行ってしまった。趙州が修行のために参習しているのは、生きている語句であって、死んだ語句ではない。活きた語句とは、その内実が日々新たに、時々刻々に改まるものである。
南泉が猫を斬る話は、アレクサンドロス大王の話を思い起こさせる。また、南泉の話は、アキレスと亀の話も、私に思い起こさせる。
『碧巌録』より 第六二則 雲門中有一宝 / 雲門祕在形山(その3)
真実は露わであり、汚(けが)れはない。
『碧巌録』より 第六二則 雲門中有一宝 / 雲門祕在形山(その2)
すべてはありのまま、そのままである。本来そうなのであるが、私たちがそれをそうだとは受け入れない。
『碧巌録』より 第六二則 雲門中有一宝 / 雲門祕在形山(その1)
情識に捕らわれていれば、そこから抜け出せない。その緊縛を切って、その人の本来面目を全面的に明るみに開示させることのできる「ことば」の働きが、殺活ということ。
鏡面のような澄んだ意識の表面に、わずかにさざ波が立つと、それに応じて存在の世界が現成(げんじょう)する。鏡面のような澄んだ意識の表面に何も起こらずそのままであれば、世界は立ち現れない。
『碧巌録』より 第六〇則 雲門拄杖子 / 雲門拄杖化為龍(その2)
心を明らめようと苦労した、二祖の慧可(えか)のことを思い出させる。心、心、心と探し求めていって、心などないと師の達磨(だるま)に言われ、一切が明らかになった。
『碧巌録』より 第六〇則 雲門拄杖子 / 雲門拄杖化為龍(その1)
極微の中に極大が宿り、極大の中に極微も宿る。そうなれば、もう自己と他者の境や差別はなくなる。
禅は、言語を超えていくものであるにもかかわらず、ある言葉に徹底的に思いを凝らす。言葉に思いを凝らすのも禅の営み、すなわち「参禅」となる。
簡単なことが難しい。それができるようになるために修練するのだけれど、禅の修練は、捨てること、しないことを修練する。
『碧巌録』より 第五七則 趙州至道無難 / 趙州田厙奴(その2)
難しいことはない、簡単だ、ただ、分別する心、判断する心を持たないことだ。だが、簡単なことが、難しい。簡単なことができるようになる、それには修練が必要だ。
『碧巌録』より 第五七則 趙州至道無難 / 趙州田庫奴 (その1)
難しい、難しいと思っていたところは、他所にあらず、実は自分だったというはなし。
『碧巌録』より 第五六則 欽山一鏃破三関 / 欽山一鏃破三關(その2)
大事なところで擬議してはならぬ。擬議すれば死地に赴く。
『碧巌録』より 第五六則 欽山一鏃破三関 / 欽山一鏃破三關(その1)
優れた覚者があらわれたことが今までないとか、教えを説いたことがない、心印が伝授されてきたことがない、というのはもちろん逆説である。自分の外にそれを求めるなという事であり、それを体感し、わかる体験をするのはほかならぬ「おのれ」しかないということなのだ。
『碧巌録』より 第五五則 道吾漸源弔孝 / 道吾漸源弔慰 (その2)
「だからなに?それでなに?」という言葉が、こだわりを解くのだ。こだわりが解ければ、突き抜けることができる。一切がすべてにつながる。
『碧巌録』より 第五五則 道吾漸源弔孝 / 道吾漸源弔慰 (その1)
禅では、まったく同じ文言で対話を重ねることが多い。ここでも、漸源が道吾に尋ねそして得た文言が、漸源と石霜との間に繰り返されている。漸源にとっては、同じ文言の問答は二度目のはずだが、一度目と二度目の問答では、漸源の内面が違う。漸源は同じ文言でも、その文言を二度目の時に内面から体験し一体となり、わかったのである。
雲門の平手打ちは、僧の中に眠る機関の発動を目覚めさせるもの。機が発動すれば精神はいききと、こだわりを抜けて自由自在に働きだせる。学人を鍛える雲門のちょっと手荒な指導法。
たとえば現象の世界のいちいちの事物や事績、その個々のものを深く深く極め去っていけば、その底はあらゆる事物や事績に繋がる共通の基底に踊り入る。その共通の基底の所に降り立つこと、浸透していくこと、そこへ抜け出してしまうことを「透脱」という。いちいちのものは、すべてのものに繋がっているのだから、「一所に透脱すれば、千所にも万所にも透脱できる」というのは当然だ。
『碧巌録』より 第五二則 趙州石橋略彴 / 趙州渡驢渡馬 (その2)
禅は言葉に縛られるのを嫌うけれど、趙州の問答は言葉が固定しないで常に揺れ動いている。その変化についていけなければ、そこは窮地となる。だが窮地から脱する手掛かりとなるのも、趙州の発した言葉なのである。趙州の言葉は、「平実安穩」のところで用いられたというけれど、日常茶飯の中に生死はある。
『碧巌録』より 第五二則 趙州石橋略彴 / 趙州渡驢渡馬 (その1)
趙州が最後に言い放った「渡驢渡馬」という見事な一句に、碧巌録の著書は、「一網打就。直得盡大地人、無出氣處。一死更不再活。」(一言で、全世界中の人々を救い上げてしまい、人は気を吐くところがない。ひとたび死ねばさらに生に戻ることはない)という評唱を付けている。
禅における、真実の伝えかたをのべたもの。
言葉で言えないこと、言葉で伝えられないことを何というか。祖師たちは、「これは何だ」のような疑問形で言ってみたり、「これ」のような指示語を使ってみたりした。結局、禅は「わかる」という個別な体験を個人がすることであり、その体験は言句を超えたところにある。
そこにはそれが存在する。そのあたりまえの存在のあり様を、体得しようとするのが禅だ。
肩透かしのような問答だが、そこに「こだわらない」という禅の有り方が見て取れる。
最後の雪竇の言葉にもあるように、禅はしばしば暴力的でもある。それは言語でくだくだしく述べるのであれば、一瞬の決断と行動で示す、という考え方に基づいているように思われる。
この物理的世界を透過して、その向こうには透明な存在である真理の法則が存在する。「法」は、物理的存在ではないので、見たり、触れたりできない。だが、この物理的世界が存在するためには、それを支える「法」がなければならない。
境に惹かれて、心がそれを追い求める。本当に大事なものは、すでに自分のうちにあるのに。だから、外に追い求めても決してたどり着けず、迷妄の中からは抜け出せない。
『碧巌録』より 第四十五則 趙州万法帰一 / 趙州萬法歸一(その3)
すべてのものが帰するところに、自分も帰することができれば、そこには何の差異もない。自由にふるまっても、それは法と一致する。
『碧巌録』より 第四十五則 趙州万法帰一 /趙州萬法歸一(その2)
人は、眼前の樹のような存在に対峙する。存在を認識するためには、存在から離れてその存在を眼耳鼻舌身の感官で受け止めなければいけない。だが、その認識の仕方では、自分の外にある存在や境界と一体となることはできない
『碧巌録』より 第四十五則 趙州万法帰一 /趙州萬法歸一(その1)
この問答も、問いに対して、無意味なことを答えているように見える。人は「意味」を求める。だが、「意味」はないのだ。「意味」がない世界で「意味」を追い求めず、それでも絶望せずに、日々を生きていく。体を動かせということ、行動せよということ。
「真実を超えてさらに向上を求める人がやってきたとき、和尚はこの人をどのように遇しますか」。禾山が言う、「よく太鼓を打てるようになりなさい」。
『碧巌録』より 第四十三則 洞山寒暑廻避 / 洞山無寒暑(その2)
「了解」は体験である。その時、その場所、その人の中での1回きりの体験である。
『碧巌録』より 第四十三則 洞山寒暑廻避 / 洞山無寒暑(その1)
徹底せよ、透徹せよという、禅の教え。そうなったとき、そこに何が見えるのか。一点の曇りなく、全存在が隠れもなく現われている。
言葉はその時々の心境を表し、その人の禅の境地をうかがわしむるものとなる。「機」の速さが重要。停滞していてはだめで、生きいきと活発に流動していなければならない。
龐(ほう)居士(こじ)は空中を指さして言う、「雪だ。ひらひらと舞い落ちてきて、落ちるべきところへと落ちていく」。
有るがままの存在がそこに露呈しているから、そのあるがままを虚心に受け入れて生きていく。一つのことを徹底し尽くせば、見えてくることがある。
『碧巌録』より 第四十則 南泉如夢相似 / 南泉一株花(その2)
自分のまわりの境界に対面してみる。そうすると、ふつうは「己(おのれ)」と「他(た)」と二分される。だが、ほんとうは「己」と「他」は一体。全世界が寒ければ「己」も寒く、全世界が熱ければ「己」も熱く、「己」が寒ければ全世界も寒く、「己」が熱ければ全世界もそのまま熱い。
『碧巌録』より 第四十則 南泉如夢相似 / 南泉一株花(その1)
自分が花なのか、花が自分なのか、ひらひらと目の前を飛んでいる蝶が自分なのか、自分が蝶なのか、その境界が分からなくなり陶然となった、いにしえの思想家がいた。
『碧巌録』より 第三九則 雲門金毛獅子 / 雲門花藥欄(その2)
永嘉は言う、「真理の法則を悟ってしまえば、そこにはなにも存在しない、自分のもとにある変わらぬ本性はもともと真実の仏だったのだ」
『碧巌録』より 第三九則 雲門金毛獅子 / 雲門花藥欄(その1)
ここでも禅は、精神が滞留することを戒める。
『碧巌録』より 第三八則 風穴鉄牛機 / 風穴祖師心印(その2)
禅は変化の中に機を見、機をとらえる。機を見たら、それを取るか取らざるか、禅は一瞬の決断を迫られる。決断できず機を逃せば、機は二度と現れないし、機を逃すことは人をたちまち死地に追い込む。
『碧巌録』より 第三八則 風穴鉄牛機 / 風穴祖師心印(その1)
「心」は得ようとしても得られない。常に変化する、どこにしっかりとそれを把握することができようか。だが、その心に悟りの境地が刻まれる。だがそこに執着すれば、それはたちまち去ってしまう。去ってしまえば、かえって心に刻まれる。そんな不安定な土台である心と、禅の求める「わかった」「把握した」「つかんだ」という境地との関係を論じたものだ。
山色渓声そのものが、そのまま真実で仏の教えを語っている。われわれは自然に対して、どうやってその教えに参入していくか。もちろん自らの識閾を低くして、山色渓声がわれに流れ込むようにしなければならない。
禅が考える「自由」のあり様を述べている。「自由」は、縛るものがないこと、囚われることがないこと、たとい、それが真理であっても、真実であっても、悟りであってもだ。
少しでも擬議すれば命を失う。これが戦国武士に禅の帰依者が多かった理由でもある。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その3)
私たちは、私たちを取り巻く外界やその中に存在するあらゆるものを何かと判断したがる。だがもし、そのような心の働きが止み、分裂した意識が統一されれば、外界の存在物がありのままに、私たちに入ってきて私たちと一体となるのだ。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その2)
禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その1)
草花をめでることのできる良い時節は、いましかないのかもしれない。ならば、お勤めよりも、心の赴くままに時節を満喫した方がよいのかもしれぬ。一日遊んで夕方帰ってきたら、「どこに行ってました」と問い詰める者がいたとしても。
「前三三、後三三」とは、いったいどのような意味だろう。その疑念を、そのこだわりをしばらく胸に抱いたままにする。やがて、その意味が分かった、つまり、その問いと一体となったと思えたころ、もう抱いた疑問はどうでもよくなっている。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その4)
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その3)
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その2)
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その1)
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
『碧巌録』より 第三三則 陳尚書看資福 / 陳操看資福(その1)
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その2)
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その1)
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その4)
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その3)
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その2)
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その1)
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
『碧巌録』より 第三〇則 趙州大蘿蔔 / 趙州大蘿蔔頭(その1)
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
魚が水中を泳げば水が濁り、鳥が空を飛べば羽毛が落ちる。このように跡をくらますことは難しく、必ず痕跡が残る。即ち心が動けば必ず認識が起こり、世界が立ち現れてくる。
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その2)
鏡はすべての存在をありのままにそのまま映し出し、取捨選択することはない。私たちのうちにある「鏡」である心も、あらゆる現象を映し出すのであるが、映ったものを判断し取捨選択するので、「心」と「境」が一体となったあの「わかった」という瞬間からは遠くなる。
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その1)
言ってしまえば、過ぎ去ってしまい、もはや真実ではない。いや、言葉にしようとすることで、もう離れてしまっている。どうやってもとあったものと一体になるか。分離したものを体得して「わかった」となる瞬間を待つしかない。
師が学僧のためにすることは、菩薩業を思い起こさせる。禅もまた、人を救済するために、「捨身飼虎」する。
僧問雲門、樹凋葉落時如何。雲門云、體露金風。ありのまま、しかも厳しい真実が露わになる。だがそれは、常にそうなのである。
「独坐大雄峰」には、二つの解釈が成り立つという。「大雄峰」は、ただの地名であるが漢字はどうしても即物的なその成り立ちから、イメージを喚起する。そこで、百丈が、どっかりと禅定してそれが外から仰ぎ見られるほどの独秀だというのが、百丈の禅の心境を表しているというもの。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その6)
一瞬たりとも停滞してはいけない、とどまればそこは死地であるということ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その5)
この「盧老不知何處去、白雲流水共依依」の句には、あとをとどめぬ禅のあり様が言い表されている。禅は、執着すること、とどまること、痕跡をとどめることは許されない。到達したあとには、無心に白雲流水がたなびき流れていないといけないのだ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その4)
禅の問答では、師は修行者の力量を問う。嚴陽尊者に出会った僧は、身構えた。尊者が示したものは、杖ではあるが、尊者が問うているのは「杖」ではない。なざすことのできない、「杖」で象徴される禅の宗旨である何かだ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その3)
二六時中、つまり今生きているこの1日のうちのすべての間、行住坐臥、つまり私たちの行ったり、来たり、立ったり、座ったり、掃除したり、ものを食べたりといったすべての行動が、打成一片、すなわち行動・行為・環境と自分の意識とが溶融して一つになるようにする、意識しないようになる、それが禅宗らしい修練の日日である。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その2)
20年間同じ問いを発し続けたのは、仏恩に報いるためである。そして誰一人として答えられない公案であった。そこから、禅における言葉の関係の考察に入る。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その1)
一瞬のひらめきの中に活路を見出し、躊躇していては命を落とす。一所不住で、つねにとどまらない。
劉鐵磨と溈山の応酬は間髪を入れない。そこに躊躇や疑義を挟めば、精神は死ぬ。彼らの応酬に意味があるのか。普通に考えたら、合理的な意味を持ち、目的を達するための有意な会話ではない。だが、禅は「意味」も越えねばならない。意味がなくても行為し行動しなければならない。
『碧巌録』より 第二三則 保福妙峰頂 / 保福長慶遊山(その3)
禅が目指すのはもちろん、「妙峯孤頂」の境地であるが、そこはどのような世界なのか。存在は存在として、独露している。相対的な差別相の世界を超越しているのだから、目、耳、鼻、舌、身体の感覚も手掛かりを失い、冷熱、物質といった物理法則も及ばない。しかも、禅はその「妙峯孤頂」にとどまることも忌む。「妙峯孤頂」を常に超えていくことを求める。
擬議すれば、そこは死地。
遇茶喫茶、遇飯喫飯。一つのことに徹底することが必要なのだ。だが、こだわらない、放下する、向上一路が禅のあり様なのだ。
得道の人は無心の大地山河にたとえられる。こだわる心が引っかかるそういったものをすべて無にして、ただ運行していく。無心だからこそ、慈愛深くすべてを受け入れることができる。最後に、禅はひとつの境地にとどまることを許さない。得たものを捨てて超えていく。
禅は心の問題を扱う。心があらゆるものをつくり出し、そのつくり出したものが心を動かすのだから、心の流れを断ち切り無心になることをめざす。
そこに間髪を入れてはだめだ。自由な精神は、どこまでも停滞することなく転じていく。
求めれば、相手は去る。ただただ、日常の行住坐臥を生き抜くことだ。そこと一体になれれば、自由の境地に至れる。
心の問題は実に厄介だ。だが、自分の心を懸命に明(あき)らめてみよ、そうすれば心などない、ということが、あれほどこだわっていた自分の心などどこにもない、ということがわかる。
その昔16人のボサツたちは、礼式に従い入浴している時、水が、汚れにも触れず、体にも触れず、その中間に水は水として安穏として存在しているという水の本質により悟りを得た。
真理にさえ、悟りにさえ停滞しては、立ち止まってはいけない、というのが禅の教えだ。では、そこを超えたところには何があるのか。ゴマ餅で表象される、具体物、日常性、何物にもとらわれないこと、深く考えをむすばないこと、そこにそのままあること。
ここも、「どこから来た?」の恐ろしい質問が端緒となっている。
霊妙な宝剣は。常に現前していて、またよく人を殺しもし、またよく人を活かしもする。
ここでも、禅は自らの体験、一瞬の心の動きのことであると言っている。(言語を否定しつつ、言語で「それ」を指し示す矛盾)
日常茶飯、行住坐臥の中に禅はある。どこか特別なところにあるのではない。
禅的真理(悟り)を得ようとするものには、わざわざ真理を語らない。ではどうやって真理に到達し、その真理と契合するのか。
禅は「意味」の追求をやめねばならない。「意味」のない世界に耐えねばならない。さらに、「耐える」ということをも突き抜けて、ただ「生きる」、ただただ「生きる」を行為する。
百丈はまた雲巖に問うた、「のどや口をふさがれて、どう言う」。雲巖が答えた、「そうやられて、和尚様でも一言いうことができましょうか」。百丈が言う、「このありさまでは、私の法を継ぐ者は絶えてしまうであろう」
往々にして、答えは質問そのものの中にある。質問者が、自分の中に答えを持っている。その答えをどうやって引き出すのかが、禅の指導者の役割だ。
永遠と一瞬が包摂し、重なり合うことを、禅ではよく述べる。
自由気ままにふるまっていても、大事なところからは少しも離れていない。すべての川は流れを異にするものの、行きつく先はすべて海。
仰山が三聖に尋ねた、「おまえの名は何という」。三聖が言う、「慧寂でございます」。仰山が言う、「おい、慧寂はこのわたしだぞ」。三聖が言う、「慧然でございます」。仰山はアハハと大笑いした。
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
魚が水中を泳げば水が濁り、鳥が空を飛べば羽毛が落ちる。このように跡をくらますことは難しく、必ず痕跡が残る。即ち心が動けば必ず認識が起こり、世界が立ち現れてくる。
鏡はすべての存在をありのままにそのまま映し出し、取捨選択することはない。私たちのうちにある「鏡」である心も、あらゆる現象を映し出すのであるが、映ったものを判断し取捨選択するので、「心」と「境」が一体となったあの「わかった」という瞬間からは遠くなる。
言ってしまえば、過ぎ去ってしまい、もはや真実ではない。いや、言葉にしようとすることで、もう離れてしまっている。どうやってもとあったものと一体になるか。分離したものを体得して「わかった」となる瞬間を待つしかない。
師が学僧のためにすることは、菩薩業を思い起こさせる。禅もまた、人を救済するために、「捨身飼虎」する。
僧問雲門、樹凋葉落時如何。雲門云、體露金風。ありのまま、しかも厳しい真実が露わになる。だがそれは、常にそうなのである。
「独坐大雄峰」には、二つの解釈が成り立つという。「大雄峰」は、ただの地名であるが漢字はどうしても即物的なその成り立ちから、イメージを喚起する。そこで、百丈が、どっかりと禅定してそれが外から仰ぎ見られるほどの独秀だというのが、百丈の禅の心境を表しているというもの。
一瞬たりとも停滞してはいけない、とどまればそこは死地であるということ。
この「盧老不知何處去、白雲流水共依依」の句には、あとをとどめぬ禅のあり様が言い表されている。禅は、執着すること、とどまること、痕跡をとどめることは許されない。到達したあとには、無心に白雲流水がたなびき流れていないといけないのだ。