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『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その5)
「主観」と「客観」が分裂する以前の、存在の世界はどのようなものであったろう。そこに、「教え」などというものはない。しかし、人間は、この世に生まれてくる宿命として「主」を打ち立てる。「主」があったとしても、「客」が依然として「客」のままでいて、その「客」が「主」にはいってこれる世界、それが究極に禅が達しようとしていること。
#主観と客観が分裂する以前の存在の世界はどのようなものであったろう。
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ハラダ ヨシナリ