禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしを深めている最中であったが、原発事故にあう。
東京生まれ。20代のとき岩手県で3年間農業研修生として慣行農法を学ぶ。その後、仙台の郊外に家庭菜園を借り有機農法や自然農法を実践する。平成18年より宮城県角田市で山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしをさらに深めている最中であったが、原発事故後は仙台市内に戻る。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その2)
禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
『碧巌録』より 第三六則 長沙一日遊山 / 長沙遂落花囘(その1)
草花をめでることのできる良い時節は、いましかないのかもしれない。ならば、お勤めよりも、心の赴くままに時節を満喫した方がよいのかもしれぬ。一日遊んで夕方帰ってきたら、「どこに行ってました」と問い詰める者がいたとしても。
「前三三、後三三」とは、いったいどのような意味だろう。その疑念を、そのこだわりをしばらく胸に抱いたままにする。やがて、その意味が分かった、つまり、その問いと一体となったと思えたころ、もう抱いた疑問はどうでもよくなっている。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その4)
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その3)
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その2)
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その1)
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
『碧巌録』より 第三三則 陳尚書看資福 / 陳操看資福(その1)
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その2)
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その1)
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その4)
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その3)
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その2)
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その1)
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
『碧巌録』より 第三〇則 趙州大蘿蔔 / 趙州大蘿蔔頭(その1)
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
魚が水中を泳げば水が濁り、鳥が空を飛べば羽毛が落ちる。このように跡をくらますことは難しく、必ず痕跡が残る。即ち心が動けば必ず認識が起こり、世界が立ち現れてくる。
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その2)
鏡はすべての存在をありのままにそのまま映し出し、取捨選択することはない。私たちのうちにある「鏡」である心も、あらゆる現象を映し出すのであるが、映ったものを判断し取捨選択するので、「心」と「境」が一体となったあの「わかった」という瞬間からは遠くなる。
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その1)
言ってしまえば、過ぎ去ってしまい、もはや真実ではない。いや、言葉にしようとすることで、もう離れてしまっている。どうやってもとあったものと一体になるか。分離したものを体得して「わかった」となる瞬間を待つしかない。
師が学僧のためにすることは、菩薩業を思い起こさせる。禅もまた、人を救済するために、「捨身飼虎」する。
僧問雲門、樹凋葉落時如何。雲門云、體露金風。ありのまま、しかも厳しい真実が露わになる。だがそれは、常にそうなのである。
「独坐大雄峰」には、二つの解釈が成り立つという。「大雄峰」は、ただの地名であるが漢字はどうしても即物的なその成り立ちから、イメージを喚起する。そこで、百丈が、どっかりと禅定してそれが外から仰ぎ見られるほどの独秀だというのが、百丈の禅の心境を表しているというもの。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その6)
一瞬たりとも停滞してはいけない、とどまればそこは死地であるということ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その5)
この「盧老不知何處去、白雲流水共依依」の句には、あとをとどめぬ禅のあり様が言い表されている。禅は、執着すること、とどまること、痕跡をとどめることは許されない。到達したあとには、無心に白雲流水がたなびき流れていないといけないのだ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その4)
禅の問答では、師は修行者の力量を問う。嚴陽尊者に出会った僧は、身構えた。尊者が示したものは、杖ではあるが、尊者が問うているのは「杖」ではない。なざすことのできない、「杖」で象徴される禅の宗旨である何かだ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その3)
二六時中、つまり今生きているこの1日のうちのすべての間、行住坐臥、つまり私たちの行ったり、来たり、立ったり、座ったり、掃除したり、ものを食べたりといったすべての行動が、打成一片、すなわち行動・行為・環境と自分の意識とが溶融して一つになるようにする、意識しないようになる、それが禅宗らしい修練の日日である。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その2)
20年間同じ問いを発し続けたのは、仏恩に報いるためである。そして誰一人として答えられない公案であった。そこから、禅における言葉の関係の考察に入る。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その1)
一瞬のひらめきの中に活路を見出し、躊躇していては命を落とす。一所不住で、つねにとどまらない。
劉鐵磨と溈山の応酬は間髪を入れない。そこに躊躇や疑義を挟めば、精神は死ぬ。彼らの応酬に意味があるのか。普通に考えたら、合理的な意味を持ち、目的を達するための有意な会話ではない。だが、禅は「意味」も越えねばならない。意味がなくても行為し行動しなければならない。
『碧巌録』より 第二三則 保福妙峰頂 / 保福長慶遊山(その3)
禅が目指すのはもちろん、「妙峯孤頂」の境地であるが、そこはどのような世界なのか。存在は存在として、独露している。相対的な差別相の世界を超越しているのだから、目、耳、鼻、舌、身体の感覚も手掛かりを失い、冷熱、物質といった物理法則も及ばない。しかも、禅はその「妙峯孤頂」にとどまることも忌む。「妙峯孤頂」を常に超えていくことを求める。
『碧巌録』より 第二三則 保福妙峰頂 / 保福長慶遊山(その2)
山や自然の境は対すれば、おのずから静寂・静謐の雰囲気が迫ってくる。だが、そこにとどまるを良しとしないのが禅だ。常にとどまらず、流動し、生き生きと変化する。停滞やなずみは「死」として退ける。
『碧巌録』より 第二三則 保福妙峰頂 / 保福長慶遊山(その1)
物は試練によって本性を表す。人も試練によって本物になっていく。禅ではどうやって人を試すのか。やはり言葉が触発の大きな契機になる。
禅における言葉、言句の問題。教えや理論を解いた言葉には拘泥しないが、「わかる」を触発する機は、言句なのだ。その言句である「公案」を思考する。だが、「わかる」には、その言句を突き抜けねばならぬ。
修行にやってきた僧たちに趙州が言う、「喫茶去」と、院主に言う「喫茶去」とでは何が違うのか。院主は、趙州に名を呼ばれ意識が覚醒しようとしている。そこに、「喫茶去」という言葉が降りてくる。院主が、その意味を分かり・体感するにはほんの一瞬の機転の間しかない。
存在がそのままにゅっと現れる。その存在は生死を突き動かす。死ぬか生きるか、その生死の境目での禅匠の雪峰の存在感を示したもの。
禅は言葉を重んじるものの、その言葉がその人本人の経験や見地、境地を反映した独自のものであることが大切だ。本当に自分の中から出た言葉だけが本物なのだ。
公案は言葉だ。その公案の言葉についてさんざん考える。だが、その言葉に捉えられず、跡形(あとかた)を消し去って、何にもとらわれない
霊雲の公案は、ブッダ出現の前後で主観と客観が大きく分かれてしまった前でも後でも、存在は存在として堅固にそこにあるということ。その存在が露わとなって迫ってくるとき、物・境界の方が露わとなって自分に迫ってくるとき、それをそのまま受け止めるということ。
もともと静寂な境地があった。だが、そこに問いを立てる。するとそこから波紋が広がり静寂は乱される。そうなると、世界は主観と客観に分かれ、「われ」と「なんじ」が対立する。
蓮の花は水中で葉のなかにあって開く準備をし、水中より上がってきたときに開花する。だが智門は一種の逆転の発想で、水中にある時が蓮の花で、水中より出た時が蓮の葉だという。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その6)
禅は精神が生き生きとしていることを重んじ、停滞しているところを死地、流動して停滞のないところを生地とする。だから、ブッダの教えに泥む(なずむ)ことさえ否定する。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その5)
生地、死地、活句と死句と、禅が問題とするのはやはり、生死、死活の分際だ。龍牙という禅僧は、あえて生地を選ばず死地に飛び込んだ。こうして自身の生きる道を確立したという。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その4)
ここにはないどこかにその探し求めているものを尋ね当てようとするのが、おおくの人のするところだ。しかし、ただここにすでにあるもの、それがあるということに気づくということ、気づけばそれはもうわかったということ、その消息が五洩と石頭との物語に語られている。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その3)
禅では、躊躇すること、言い淀むこと、精神の働きが停滞することを嫌う。力をため込まれたばねが弾けるように、雷が一瞬ひらめくように、精神を働かせて言葉を返すか、さっと体を動かし行動することを重んじる。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その2)
翠微、臨済の師匠たちは、龍牙のこだわりを打つ。
『碧巌録』より 第二十則 龍牙西来意 / 龍牙西來無意(その1)
禅匠の持つ大きな気宇を示したもの。大海をひっくり返すことも、大山を蹴倒すことも物理的には狭小な人間にはできないが、心は無限で、大海も入れることができ、大山も住まわせることができ、そしてそれらを虚空に抛却することだってできる。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その5)
一つのことを徹底することが、千のところ万のところに通じ徹底すると考えるのが禅である。ゆえに禅は、いま、そこを、足下を徹底的に掘り下げよというのである。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その4)
俱胝が童子の指を断じる。いささか乱暴のようではあるが、禅ではこれがよくある。なぜかと言えば、生死を超えるには、生死のぎりぎりのところに立ち、身命を惜しんではいられないからだ。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その3)
禅では、言葉を「葛藤」、わずらわしいものとして忌避し、「そのもの」をずばり指し示したり、「そのもの」に直に到達することを重んじる一方で、俱胝和尚と実際尼僧との逸話のように、電光石火の如くそこで言い得ることも重んじる。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その2)
禅が重んじることのひとつに「徹底」がある。寒い時は寒さに徹し、暑い時は暑さに徹す。その時に、その時のことを徹底して行うのだ。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その1)
塵のような極小の世界の中に、全宇宙が宿り、ひとつの花がひらく過程は、全世界が展開していく過程を含んでいるのである。そういう世界観がここでは見事に展開している。
『碧巌録』より 第十八則 粛宗請塔様 / 忠國師無縫塔(その3)
溈山が仰山の名を呼び、「そこだ」と指して気づかせてやる、目覚めさせてやる。無明を晴らしてやるために、深い真闇にいるものにそのものの名を呼び掛ける。これに類する話は前にもあった。
言葉のある世界も、言葉のない世界も超えたところにあるのが沈黙の世界だ。それは「無」の世界ではない豊かな世界だ。その沈黙に触れ合い一体となることができれば、覚者の智慧は伝わってくる。
無縫塔は、天衣無縫の如く、継ぎ目がないので作り様がない。初めから完真のものは、その完真のままで受け入れる。その事をどうやって伝えるのか、伝えたらよいのか。もちろんそれは言説を超えている。豊かで深い沈黙によって伝える。
『碧巌録』より 第十七則 香林西来意 / 香林坐久成勞(その2)
宗匠たちは実に堅実で地に足がついていて、そこには煩わしい仏教の知見や教理などはなく、時節に臨んでその時その時に自在に力量を発揮する。いわゆる、「その場その場で行われたことが仏法になり、あらゆる機会に仏法を説けば、あらゆる場所が道場になる」というものだ。
『碧巌録』より 第十七則 香林西来意 / 香林坐久成勞(その1)
僧が香林に尋ねた。「仏教の奥義とは何でしょうか」。香林が言う。「長く座っていて、くたびれた」
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その3)
仏陀を撃ち殺すとは穏やかではない。だがここに禅の機微がある。ブッダが教えを説かなければ、教えのことは誰も知らないし、誰もその教えに思い煩うことはない。
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その2)
禅には、「啐啄同時」という機がある。内からの啐する力と、外からの啄する力が合わされば、しかもそれがその時期に同時に合わされば、ひなは殻を破って外に出てこられる。
仏教徒でも、ブッダの教えの束縛から抜け出る必要があるのか。禅では、ある。仏陀が求めたもの、得た真実を、禅者も追い求める。しかし、それがつかめたら、それにこだわらない。それを忘れる。束縛を脱したところの自由自在の境地がある。
ブッダのわかったことを、言葉なしで迦葉に伝え、迦葉もわかった。なかなかわかるに至りがたかった阿難も、迦葉に呼ばれて「はい」と返事をした途端、説法は終わったと伝えられ、その瞬間に「わかった」。
自ら身を投げ出し衆生に寄り添う祖師たちの姿は菩薩業を思い出させる。ここは、優れた祖師たちの自在の働きについて述べているところだが、機用の働きが大きいからこそ、修行者の機に即して生死の際を同行し、そして本人に窮極の「それ」をわからせることができる。
露柱や燈籠といった、目の前の存在物は、禅の存在論の象徴的なものである。それらは、堅固で確かにそこに、そのままむき出しで存在してある。それらは無言でそこにあるのであるが、禅者は、それらに対峙して、それらに入っていかなければならない。
「如明鏡臨臺、胡來胡現、漢來漢現」は、禅の本質を垣間見させる、美しい語句だ。明鏡のように、相手の機も境もそのまま、自分の中に映し出す。自分は、認識する上で判断しないからこそ、相手がそのまま写り入って来る。
アキレスと亀の話を思い浮かべるのである。足の早いアキレス神でも、亀には追い付けない。なぜなら、前方にいる相手に追いつくには、必ず自分と相手との直線距離上の中間点を通過しなければならない。
禅は、言葉を軽んじる一方で、言葉による問答を重視し、その問答を契機としてその言葉がひらく真実の世界の体得を目指す。だから、その契機となる「一句」が分かれば、祖仏祖仏たちに負うている恩に報いることができるのだ。
言葉は、理知から出て、理性を象徴するものである。禅は、ことばによる真実の伝達を嫌い、直接的な個人的体験を重んじるが、その直接的体験にいざなうために、言葉の指示を重んじもする。
「教外別傳、單傳心印、直指人心、見性成佛」、これがまさに禅宗の標榜するもの。人は誰でも、代々のボサツやブッタのように、苦しみや迷いの世を乗り越え目覚めたものになる可能性を持っている。可能性を目覚めさせその道を登っていく。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その4)
禅は「生き死に」のことである。そして、生きる道、すなわち活路を求めるのであるが、宗匠は求道者を死地に追い込む。死地を自力で主体的に抜け出て来いと、追い落とすのである。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その3)
生き死にのうちに、出身の道があることを示す。だが、その出身のところはどこなのか、巴陵の三転語は取りつきようがない。だが、そこにわずかに啓示がある。よき師を契機にせよと。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その2)
「銀の器に、雪を盛る」とは見事なイメージであるが、ここでは「言語」が何をもたらすかを考えなければならない。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その1)
世界が露わになる瞬間、そういう認識の仕方が禅では求められる。そういう認識方法はどのようにして得るのか。
禅の心の働きを、見事にイメージしたもの。わずかなひらめき、かすかな動きにも応じなければ、たちまちそこは死地だということ。そういったぎりぎりのところに応じるために、人はどのような心持を持っていなければならぬのか。
毎日毎日、私たちはこんなふうに生きていけるだろうか。人間の心は「境界」に影響されて動じる。だが、心を動ぜず、日々の運行をそのまま心に受けとめ、無心に生きていく。そういう心の持ちようをめざす。
仏教では、「仏」とは、特定の時代に生きた、特定の教祖を指して言うのではない。「仏」とは、生死を始め、この世の苦しみを生む諸現象を乗り越え、そこから解放された過去、および現在、および未来のすべての悟ったものをいう。
禅は仏教の中で、生死の迷いからの脱却の理解を、学問や身体的苦行に頼らず、過去多くの諸仏たちが得た実体験をそのまま原体験することを目指す宗派である。生死の境を脱却するのだから、殺活の剣の喩えがよく出てくる。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その5)
大中はその後、鹽官和尚の禅寺の修行僧たちの中にあって、書記の役職を務めていた。黃檗も鹽官和尚のもと首座の役職を務めていた。黃檗がある時、仏を礼拝していると、大中がこれを見て言う。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その4)
唐の憲宗にはこどもが二人いた。穆宗と宣宗である。宣宗というのがここで言う大中のことである。年は13歳で若かったが聡明であった。常に座禅を組むのを好んでいた。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その3)
黃檗と裴相國とは塵外の交わりを結んでいた。裴相國が宛陵に赴任すると、裴相國は黃檗を官舎に招き、自分の禅境の進歩ぶりを紙に書き記して黃檗に提示した。黃檗はそれを受け取ると座において、まったく開いてみようとしなかった。ややしばらくして黃檗が言う。「わかったか」。裴相國は、「わかりません」。黃檗が言う。「もしそんなふうにしてわかったとしても、やはり違うな。悟境を紙に書きしるすようなことをすれば、いったいどこに禅宗の宗旨が存在するというのだ」。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その2)
黃檗が弟子たちに示していった、「おまえたちは皆、仏教の教えを腹いっぱい詰め込んでそれで酔っぱらってしまったようなものだ。そんなふうで修練していったところで、立派にやり切れることなどあるものか。この国には修行僧を導く禅匠がいないことを知らないのか」。この時、弟子たちの中から一僧が出て言う。「この国の各地で弟子たちを率い鍛え上げている指導者達がいらっしゃるのは、いかがなものでしょう」。黃檗は言う。「禅宗がなくなったと言っているわけではない。ただ、衆を導く師がいないと言っているのだ」
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その1)
ブッダや祖師たちの持っている大いなる働きは、悟りを求めてやってくるあらゆる人々のことを見て取り、彼らの命運をあたかも簡単に指先で操るように掌握する。ブッダや祖師たちの発するそのさりげない言葉でさえ、人々を揺すぶり驚かす。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その3)
禅は、この世に自我の認識が立ちあがり、それに合わせて対峙する客観的な世界が自我にとって認識され存在する「主客」が分かれた世界、そういった世界のそれより以前の世界、即ち認識する自我もなく、認識される客観的な世界もない時「主客未分」のことを考える。
いま私たちがこうして平和に暮らせて好きなことをできるのも○○のおかげ(その2)
いま私たちがこうして平和に暮らせているのは、誰かがわたしたちのために死んでくれたからではないと思う。例えば、核発電所が爆発しそうになって、炉心冷却するには人間がその現場にどうしても行かざるを得なくなり、その行かねばならぬ誰かに誰かが選ばれ、その人のおかげで核爆発が避けられたのであれば、それは確かに、いま私たちがこうして平和に暮らせているのは、その人のおかげかも知れない。
いま私たちがこうして平和に暮らせて好きなことをできるのも○○のおかげ(その1)
以下の話は架空の暗黒未来小説であり、実在する国、人物、事件とは一切関わりはございません)西紀20××年、巨大地震と大津波に襲われた核発電所が火災を起こし、炉心の冷却電源と冷却水を失い炉心溶融と爆発の危機にあった。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その2)
「窮則変、変則通」、これは、禅師の睦州に「おまえさんの喝はなかなかいいぞ。だが、3度でも4度でも喝といったあとはどうする」と問い詰められた僧がついに答えに窮したことに関していった語句である。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その1)
「お前、どこから来た」は、なんということのなさそうな問いかけだが、禅では禅匠が弟子や修行僧の力量を見るために質問する。「どこから来た」は、実は深い哲学的な問いかけでもある。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その5)
「主観」と「客観」が分裂する以前の、存在の世界はどのようなものであったろう。そこに、「教え」などというものはない。しかし、人間は、この世に生まれてくる宿命として「主」を打ち立てる。「主」があったとしても、「客」が依然として「客」のままでいて、その「客」が「主」にはいってこれる世界、それが究極に禅が達しようとしていること。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その4)
生死、出入、愛憎、等々の相対的な世界にこだわるなということ。その相対的な世界を超えたところに進んでいくには、おのおの、個人個人が関門を突破することが大事。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その3)
善か悪か、愛しいか嫌いか、このように分別したり選択したりすることがあれば、そこに心が生じる。本当は心なんてどこを尋ねても存在しないのに、生じた心によって、人は苦しむ。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その2)
禅の言葉は、自分の心境や禅機を託すものもあるが、弟子や相手に与えて考えさせるものもある。禅は言葉に捉われること嫌うが、悟りに向かうその方向を示唆してくれるものが言葉である。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その1)
鏡が、ありのままを映し出すことは禅の話の中によく出てくる。鏡には、作意が無いからだ。そこで、鏡とは何かといえば、それは境界(=私たちの周りを取り囲む、自然界や人事の世界)を映し出す、私たちの心のたとえなのだ。
以下の話は架空のものであり、実在する国、人物、事件とは一切関わりはございません
禅において悟境を述べたり、人を唱導したりする言句は短い一句であるが、その一句を述べるそこにどれだけの大力量が込められていることだろうか。
禅の宗匠は、人を死地に追い込み、そしてそこから生きて出てくる道を探らせる。もしそこで、言えなかったら、死地から帰還することはできない。どうやって人を死地に追い込むのか。それは、「駆耕夫之牛、奪飢人之食」という語句に示されている。人が固執していることを、厳しく奪い去るのだ。
禅者のはたらき(-はたらきとは、それを持っていればその持ち主を機能させること。それが外に自在に発現すること)は、自由であるということ。決まった形はなく、跡を追ってもその跡がつかめない。自由であるということは、とらわれないということ。しかしおのずとのりを超えない。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その2)
「丙丁童子来求火」という公案は、則監院が言うように、火の化身である神が、火を求めるということである。つまりは、人は皆己自身が「仏」であり、仏になる可能性を内に秘めているのに、外に「仏」を求めていることを示したものである。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その1)
「そりゃ、おまえさんだよ」という法眼の応えは、仏は自分の中にあるということか。ここでは、仏性の問題を考えねばならない。「仏性」は、仏となる可能性のことで、男でも、女でも、生きとし生けるものはすべて仏となれる秘めた可能性を持っている。
関連する2冊の本を読んだ。(そもそもこういう貴重な書籍を研究・翻訳してくれたり出版してくれたりしている人々に感謝だ)ちくま学芸文庫『経済の文明史』(カール・ポランニー)岩波文庫『贈与論』(マルセル・モース)
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画「道(ラ・ストラダ)」も円環する時間の中で2回目を見た。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その7)
この舜若多という虚空神の、その存在が悲しい。他からの光に照らされてはじめて存在する。そういう悲しい存在の存在を想像した、その想像力こそが尊い。仏教神話は、そういう悲しい透明な存在物を想定し得たから、人間は悲哀をまぬがれえていたのかと思う。今はそういう悲しい存在物を想定しえない。だから人間そのものが悲哀を背負っていかなければならない。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その6)
本当の智慧、苦しみを乗り越え平穏な心境にたどり着くための智慧は、以心伝心でしか伝えることができないことや、その伝え方の尊い有り様を示した問答である。機に適う一期一会の瞬間を実に色彩豊かに感動的に描いている。だが、スブーティの「わかった」は、天人の知る所となった。これではまだ不十分だ。天人にも悟られず、一切の痕跡を消すことが求められる。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その5)
正しい認識が得られれば、意識は滞留することはないということ。そうすれば、生死の境を脱却できるということ。
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禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
草花をめでることのできる良い時節は、いましかないのかもしれない。ならば、お勤めよりも、心の赴くままに時節を満喫した方がよいのかもしれぬ。一日遊んで夕方帰ってきたら、「どこに行ってました」と問い詰める者がいたとしても。
「前三三、後三三」とは、いったいどのような意味だろう。その疑念を、そのこだわりをしばらく胸に抱いたままにする。やがて、その意味が分かった、つまり、その問いと一体となったと思えたころ、もう抱いた疑問はどうでもよくなっている。
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
魚が水中を泳げば水が濁り、鳥が空を飛べば羽毛が落ちる。このように跡をくらますことは難しく、必ず痕跡が残る。即ち心が動けば必ず認識が起こり、世界が立ち現れてくる。
鏡はすべての存在をありのままにそのまま映し出し、取捨選択することはない。私たちのうちにある「鏡」である心も、あらゆる現象を映し出すのであるが、映ったものを判断し取捨選択するので、「心」と「境」が一体となったあの「わかった」という瞬間からは遠くなる。
言ってしまえば、過ぎ去ってしまい、もはや真実ではない。いや、言葉にしようとすることで、もう離れてしまっている。どうやってもとあったものと一体になるか。分離したものを体得して「わかった」となる瞬間を待つしかない。
師が学僧のためにすることは、菩薩業を思い起こさせる。禅もまた、人を救済するために、「捨身飼虎」する。
僧問雲門、樹凋葉落時如何。雲門云、體露金風。ありのまま、しかも厳しい真実が露わになる。だがそれは、常にそうなのである。
「そりゃ、おまえさんだよ」という法眼の応えは、仏は自分の中にあるということか。ここでは、仏性の問題を考えねばならない。「仏性」は、仏となる可能性のことで、男でも、女でも、生きとし生けるものはすべて仏となれる秘めた可能性を持っている。
関連する2冊の本を読んだ。(そもそもこういう貴重な書籍を研究・翻訳してくれたり出版してくれたりしている人々に感謝だ)ちくま学芸文庫『経済の文明史』(カール・ポランニー)岩波文庫『贈与論』(マルセル・モース)
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画「道(ラ・ストラダ)」も円環する時間の中で2回目を見た。
この舜若多という虚空神の、その存在が悲しい。他からの光に照らされてはじめて存在する。そういう悲しい存在の存在を想像した、その想像力こそが尊い。仏教神話は、そういう悲しい透明な存在物を想定し得たから、人間は悲哀をまぬがれえていたのかと思う。今はそういう悲しい存在物を想定しえない。だから人間そのものが悲哀を背負っていかなければならない。
本当の智慧、苦しみを乗り越え平穏な心境にたどり着くための智慧は、以心伝心でしか伝えることができないことや、その伝え方の尊い有り様を示した問答である。機に適う一期一会の瞬間を実に色彩豊かに感動的に描いている。だが、スブーティの「わかった」は、天人の知る所となった。これではまだ不十分だ。天人にも悟られず、一切の痕跡を消すことが求められる。
正しい認識が得られれば、意識は滞留することはないということ。そうすれば、生死の境を脱却できるということ。
世界の中でモノ自体が本来を露わにしている。しかし、そこに親疎を立て分別するのが人間の認識。私たちの認識の閾値を低め、低めてモノ本来が露わになるようにしてやる。そこではモノがモノ本来の本然の姿で現れている。
「打成一片(だじょういっぺん)」という言葉がある。区別・差別を建てないものの見方だ。われわれに入ってきた外界の事物は、われわれの中で区別される。善・悪という道徳的な判断がされ区別が建てられ、好・悪という感情的な判断がなされる。
死中に活路を求めること、ぎりぎりの状態に追い込まれた死地からどう生還するか、それを教えるのが禅だ。死中に活を求めるには、思惟を働かせてはだめだという。思惟の働きは遅い。一瞬の閃電光のひらめきのように即断即決できれば、死地から生還できる行動を起こせる。
「日日是好日」は禅から出た有名な句で、日常生活の中でも目にすることが多い。私は、一日一日が素晴らしい、活力あふれる清新な日のなかに生きることの心境を述べたものだと思うが、しかし、こういう句は、本当はその場その場で、その場にいる人や発話した人の機境に応じて発せられた言葉であって、その瞬間に意味があったものである。
雪峰は、砂を洗い去って米をとぐのか、米を洗い去って砂をとぐのかの、公案を胸に、修行を重ねた。徳山に参禅し、痛棒され、少し突き抜けた気がし、その心鏡を言葉に託したが、それは外からやってきたものであった。外から来たものは自己本来のものではない。
洞山の雪峰への問いは、相対的な分別についての禅の見解を、興味深い逸話で示唆してくれる。食事をするには、米を炊かねばならぬ。米を炊くには、米に混じった砂を水でゆすいで取り除かねばならぬ。米と砂を分別して、残すための米をしっかり見て、かつ不要の砂にも目を付けて、必要な米は選び、不要な砂を取り除く。
極大の世界に極小の世界は宿り、極小の世界には極大の世界が広がる。(極小と極大は融通無碍(ゆうづうむげ)に往き来する)ゆえに、極大を極小の世界にいれこむことができる。さて、その時、その世界をどう認識するのか。
禅は常に生死にかかわる所ぎりぎりのところで行われている。時に行者は、危険をも顧みず、虎のひげにさえ手をかけ、虎口に飛び込まなければならない。生死の境、そのあわいを透脱できれば死地を挽回し生地におもむける。
もちろんここで言っているのは、本当に物理的に人を殺めることを言っているのではない。修行者と力量ある師である作家との問答は、命を懸けた真剣勝負なのである。
「死中得活(死中に活を得る)」。この語句は禅を考えるうえで重要な契機を与えてくれる。このような語句が多く登場することは、禅が生死に渡ることを示す。
龍潭和尚は、徳山が仏の化身である老婆によって提起された「過去心・現在心・未来心」の公案を、徳山自身が体得できるよう、徳山の機微に合わせて接してやったのである。この徳山の説話は、禅における「わかる=悟る」の契機とその体験を垣間見させてくれる。
この問答も傑作だ。「心」の問題を取り扱っている。「点心」と「点那箇心」がひっかけてあり機知にと富む問答になっているが、徳山にとっては、おばあさんの言葉は、「心」の問題を突き詰めてくる容赦のない問いとして迫ってきたであろう。
禅では、形にとらわれない、執着しない、拘泥しないということが求められる。そのためには、時にこの徳山のような激しい行動が必要だ。心は行動に現れる。行動は心を形作る。形に捉われない心は、時にこんな奇矯とも取れる行動となって現れるし、奇矯な行動はとらわれのない心の表れでもある。
禅に「向上」「向上一路」という語がよく登場する。禅が目指す究極の境地を言う語でもあるし、また一つの境地に決してとどまることをしない(たとえ、それが究極の境地であっても)禅が、常に現状を打破し現在をつき抜けていく時のやむことのない努力を表す語でもある。