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#第二二則
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『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その5)
禅における言葉、言句の問題。教えや理論を解いた言葉には拘泥しないが、「わかる」を触発する機は、言句なのだ。その言句である「公案」を思考する。だが、「わかる」には、その言句を突き抜けねばならぬ。
2025/01/26 12:18
第二二則
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『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その4)
修行にやってきた僧たちに趙州が言う、「喫茶去」と、院主に言う「喫茶去」とでは何が違うのか。院主は、趙州に名を呼ばれ意識が覚醒しようとしている。そこに、「喫茶去」という言葉が降りてくる。院主が、その意味を分かり・体感するにはほんの一瞬の機転の間しかない。
2025/01/25 11:21
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その3)
存在がそのままにゅっと現れる。その存在は生死を突き動かす。死ぬか生きるか、その生死の境目での禅匠の雪峰の存在感を示したもの。
2025/01/13 16:11
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その2)
禅は言葉を重んじるものの、その言葉がその人本人の経験や見地、境地を反映した独自のものであることが大切だ。本当に自分の中から出た言葉だけが本物なのだ。
2025/01/12 16:29
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その1)
公案は言葉だ。その公案の言葉についてさんざん考える。だが、その言葉に捉えられず、跡形(あとかた)を消し去って、何にもとらわれない
2025/01/11 17:18