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霊雲の公案は、ブッダ出現の前後で主観と客観が大きく分かれてしまった前でも後でも、存在は存在として堅固にそこにあるということ。その存在が露わとなって迫ってくるとき、物・境界の方が露わとなって自分に迫ってくるとき、それをそのまま受け止めるということ。
もともと静寂な境地があった。だが、そこに問いを立てる。するとそこから波紋が広がり静寂は乱される。そうなると、世界は主観と客観に分かれ、「われ」と「なんじ」が対立する。
蓮の花は水中で葉のなかにあって開く準備をし、水中より上がってきたときに開花する。だが智門は一種の逆転の発想で、水中にある時が蓮の花で、水中より出た時が蓮の葉だという。