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『碧巌録』より 第二一則 智門蓮花荷葉(その3)
霊雲の公案は、ブッダ出現の前後で主観と客観が大きく分かれてしまった前でも後でも、存在は存在として堅固にそこにあるということ。その存在が露わとなって迫ってくるとき、物・境界の方が露わとなって自分に迫ってくるとき、それをそのまま受け止めるということ。
#存在が露わとなって迫ってくる
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ハラダ ヨシナリ