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『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その3)
龍潭和尚は、徳山が仏の化身である老婆によって提起された「過去心・現在心・未来心」の公案を、徳山自身が体得できるよう、徳山の機微に合わせて接してやったのである。この徳山の説話は、禅における「わかる=悟る」の契機とその体験を垣間見させてくれる。
禅では、私が世界に対峙して、その世界(境界)の見方が求められるし、そういう見方ができるように修練することが禅でもある。そのものの見方とは、世界(境界)をありのまま、ありのままに見るということだ。
趙州が禅僧たちに示して言う、「禅の究極の道に至ることは難しい事ではない。ただ、あれこれ分別して選ぶことをしないことだ。境界を判断してそれをわずかに言葉にしただけで、それは分別・判断であり、ことを明白にしたということである。