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『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その5)
大中はその後、鹽官和尚の禅寺の修行僧たちの中にあって、書記の役職を務めていた。黃檗も鹽官和尚のもと首座の役職を務めていた。黃檗がある時、仏を礼拝していると、大中がこれを見て言う。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その4)
唐の憲宗にはこどもが二人いた。穆宗と宣宗である。宣宗というのがここで言う大中のことである。年は13歳で若かったが聡明であった。常に座禅を組むのを好んでいた。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その3)
黃檗と裴相國とは塵外の交わりを結んでいた。裴相國が宛陵に赴任すると、裴相國は黃檗を官舎に招き、自分の禅境の進歩ぶりを紙に書き記して黃檗に提示した。黃檗はそれを受け取ると座において、まったく開いてみようとしなかった。ややしばらくして黃檗が言う。「わかったか」。裴相國は、「わかりません」。黃檗が言う。「もしそんなふうにしてわかったとしても、やはり違うな。悟境を紙に書きしるすようなことをすれば、いったいどこに禅宗の宗旨が存在するというのだ」。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その2)
黃檗が弟子たちに示していった、「おまえたちは皆、仏教の教えを腹いっぱい詰め込んでそれで酔っぱらってしまったようなものだ。そんなふうで修練していったところで、立派にやり切れることなどあるものか。この国には修行僧を導く禅匠がいないことを知らないのか」。この時、弟子たちの中から一僧が出て言う。「この国の各地で弟子たちを率い鍛え上げている指導者達がいらっしゃるのは、いかがなものでしょう」。黃檗は言う。「禅宗がなくなったと言っているわけではない。ただ、衆を導く師がいないと言っているのだ」
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その1)
ブッダや祖師たちの持っている大いなる働きは、悟りを求めてやってくるあらゆる人々のことを見て取り、彼らの命運をあたかも簡単に指先で操るように掌握する。ブッダや祖師たちの発するそのさりげない言葉でさえ、人々を揺すぶり驚かす。